本題に入る前に少しだけお時間を戴きます・・・
姥神の定義
あの世とこの世の境には三途の川があるという話は、日本人であればほとんどの方が聞いたことがあると思われます。その三途の川の岸辺にいるのが“奪衣婆”(だつえば)です。
奪衣婆は、亡者の服を脱がせる役目があり、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけます。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動きません。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになり、衣領樹は罪の重さを量る秤という考え方です。あの世で亡者の罪を量るという点で地獄の裁判官とされる閻魔様と同じような役割を持つためか、一緒に祀られることが多いです。
奪衣婆の姿は、目をらんらんと見開き、耳まで裂けた口には牙を生やした鬼婆の顔。そして片膝を立てて座り、はだけた上着からはあばら骨が浮き出た下に萎びて垂れた胸をあらわにしているものがほとんどです。
この奪衣婆に対しその姿が一緒であり、しかしながら閻魔王などと一緒ではなく単独で祀られているものが全国に見られます。これは姥神のほか、おんば様、姥尊、優婆尊、咳の婆など様々な呼び名で呼ばれ、信仰形態もまた様々です。
その姿が奪衣婆と同じで、しかしながら地獄信仰としてではなく、主に単独で祀られているものをこのシリーズでは統一姥神と呼称し、そして地獄信仰として閻魔像などと一緒に祀られているものを奪衣婆と呼称し、それぞれを区別しています。
日本各地の姥神たち・埼玉県
前回は東京都の隣、神奈川県の姥神像を紹介しましたが、今回は埼玉県の姥神像を紹介したいと思います。
・川口市薬林寺
薬林寺、岡の薬師堂内にある奪衣婆像
薬林寺、岡の薬師堂
川口市に、寛正元(1460)年開山とされる薬林寺があります。もともとは、朝日地区の芝川のほとりにあったようですが、天正年間(1573~91年)に北条氏との闘いに敗れた岩槻太田の落人が、薬林寺に逃れて来た時に村人が集って堂を壊してしまい、現在の場所に再建されたと伝えられています。
同寺は阿弥陀如来が本尊ですが、境内に川口三大薬師のひとつで岡の薬師と呼ばれ、伝教大師(最澄)の作とされている薬師如来像が祀られた薬師堂があります。その岡の薬師堂の中、薬師如来の横に、頭に綿を被った奪衣婆像があります。綿があることから、その16や17で紹介しました咳の姥神信仰と同じような信仰があったと考えられ、そうだとすれば本尊-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
・秩父市長泉院
長泉院の奪衣婆像
以前その33で秩父市の奪衣婆を紹介しましたが、同市長泉院にも奪衣婆像があります。長泉院は、正暦元(990)年に開山したとされ、平安時代からの歴史のある寺です。その本堂前に木製の祠に納められた奪衣婆像があります。単独でありますので、本尊-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
・上尾市
上尾市にある奪衣婆像
上尾市内、春日神社の近く、住宅地の空き地に堂があり、中に奪衣婆像が置かれています。婆さん石像、葬頭河の婆さん、脱衣婆などと呼ばれ、周りにはお墓も見られます。その由来などについては特に伝わっているものが無いようですが、墓地に単独で置かれていたと考えられ、境界-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
・飯能市浄心寺
浄心寺墓地にある奪衣婆像
浄心寺、永代供養納骨堂にある閻魔像
飯能市に元和2(1616)年に開山したとされる浄心寺があり、その境内、墓地の入り口に2体の奪衣婆像があります。同じく境内に永代供養納骨堂があり、その中に閻魔像がありますが、墓地とは離れていること、新しく作られていることから、奪衣婆像のみが墓地にあったと考えられます。そのため、境界-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
・行田市長光寺
長光寺にある奪衣婆像
行田市に文禄2(1593)年に開山したとされる長光寺があります。同寺境内にある阿弥陀如来を収めた厨子は、市の文化財として指定されています。同じく境内、本堂への参道途中に奪衣婆と思われる石像があります。周りに閻魔像などはなく、単独で置かれていますので、境界-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
次回に続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
全国の姥神像行脚(その16)
新宿正受院の姥神像「綿のおばばと呼ばれ信仰」
東京都新宿に、文禄3(1594)年に開山されたとされる浄土宗明了山正受院願光寺があり、ここに姥神像が安置されています。
この寺では毎年2月8日に針供養大法要が行われており、この日に姥神像も開帳されます。とは言っても、入り口にある大きい姥神像はガラス戸で安置されていますので、常に拝観することはできます。ただし、針供養の際、神輿に小さい姥神像をのせるのですが、この像は2月8日にしか拝観できません。
入り口の像は、平安時代に地獄と現世を行き来し、閻魔大王の裁判の補佐をしていたとされる小野篁の作とされ、また、元禄14(1701)年の墨書があることから、この頃から正受院に安置されていたとされます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その16)新宿正受院の姥神像「綿のおばばと呼ばれ信仰」・・・【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7987147
全国の姥神像行脚(その17)
せきの姥神「新型コロナウイルスにも効き目があるかも⁉」
東京・江戸の姥神たち
前回は新宿正受院の姥神をご紹介しましたが、東京、江戸ではほかにも姥神信仰が多くあったようです。
江戸時代後期(文政4(1821)年~天保12(1841)年)、肥前国平戸藩(長崎県)松浦静山によって書かれた随筆集『甲子夜話』巻之六十三に、江戸時代の修験者、行智の関の姥神についての記文が紹介されており、そのなかで「せきの姥神の石像」について、咳に霊験のあるものとして、咳は「さえぎる」の意味の「関」が転化したものだろうという説明の後、江戸にこの姥神像が多くあったとあります。なお、例として、当時の姥神像の絵も残されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その17)せきの姥神「新型コロナウイルスにも効き目があるかも⁉」・・・【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8173027
全国の姥神像行脚(その33)
秩父 三途婆像と姥神信仰
埼玉県で一番広い面積を持つ秩父市は、秩父地方の中心として、街の中心部にこの地方の総鎮守となる秩父神社があります。八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)、知知夫彦命(チチブヒコノミコト)、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、秩父宮雍仁親王(チチブノミヤヤスヒトシンノウ)の四柱を祀り、思兼命は学問の神であり、知知夫彦命はその子孫とされます。
なお、天之御中主神は合祀した妙見信仰の主神、秩父宮雍仁親王は、昭和天皇の弟宮様です。この神社は第十代崇神天皇の時代に創建されたとされ、延長5(927)年の『延喜式』にも記載されているなど、その歴史は非常に古く、由緒正しい神社です。
また、秩父市には羊山公園の芝桜や三十槌の氷柱などの観光名所が多々ありますが、なかでも秩父夜祭の屋台は非常に壮大で見応えがあります。この祭りは毎年12月3日に催され、日本三大曳山祭のひとつであり、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その33)「秩父 三途婆像と姥神信仰 」・・・【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/21627963
日本的美意識の神髄
自然芸術趣味の極致「水石」
盆栽は知っているけれども、水石は知らないという方の為に、「水石とは」一般社団法人日本水石協会によると、
徳川美術館蔵醍醐天皇愛石銘『夢の浮橋』
「水石とは、山水景情の総称であります。水石は、一石のなかから大宇宙を感得するもので、趣味のなかでもっとも奥を極めたものといわれます。また、水石と盆栽は車の車輪とも言われ、盆栽の愛好家即水石の愛好家でもあるわけですが、盆栽のさらに奥にあるのが水石だということができます。
水石の歴史は、室町中期の流行にともなって始まったと伝えられ、西本願寺の寺宝銘「末の松山」や徳川美術館蔵醍醐天皇愛石銘『夢の浮橋』などの名石がいまに残されています。
その後、禅や茶事と結びつき、精神的な深みをもつことになりました。本格的水石趣味が始まったのは江戸末期から明治中期と思われます。
賴山陽を代表とする文人墨客から自然石による山水美観賞の気風が、明治に入ると盆栽趣味家に受継がれ、自然芸術趣味の極致といわれる水石は、日本的美意識の神髄です。
日本には豊かな自然を形成する山河が多く全国各地で雅味のある水石を産出します。水石の観賞は、それを眺める人の心にあるといわれます。
大自然に心あそばせる、すぐれた山水景石、姿石や紋様石を見て森羅万像、自然の風物詩に溶けこんでゆく幽玄な侘び寂びに通じる沈潜した無限の世界があります。」
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「世界最高峰の展示会 第8回世界盆栽大会inさいたま【日本の盆栽水石至宝展】開催のご案内」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1584970
埼玉県営和光樹林公園
個性的な植物が集まるマルシェ
和光樹林公園は、昭和20年米軍に接収された「キャンプ朝霞基地」の跡地の一部で、快適な住環境の確保と、美しい都市景観の創出を図る公園として、平成元年3月に開設された20.2haの公園です。
多目的利用が可能な広場やジョギングコースなどがあるスポーツ・レクリエーションの場所、また広域避難地として県民に親しまれています。園内には、小さなお子様連れで親子三世代で楽しめる遊具広場「三世代交流広場」や、手ぶらバーベキューも可能な「BBQ広場」があります。
所在地:埼玉県和光市広沢三番地内
開園時間:終日解放・年中無休
入園料:無料
駐車場:
北駐車場・南駐車場 料金200円/1時間(以降30分100円)、午前6時~午後7時まで入庫可能
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020個性的な植物が集まるマルシェ「ゆにーくしょくぶつ販売会」2023年6月3日(土)・4日(日)開催(埼玉県営和光樹林公園)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/43342258
埼玉県町田市
「選ばれる郊外」と「選ばれない郊外」とは
~地域活動、映画・映像制作、農業など若い世代の人材が活躍中~
町田市は、2022年度の総務省発表統計※1において、転入超過数が全国1719市町村中の15番目、また、年齢区分別の転入超過数では年少人口(0~14歳)で政令市以外にて全国1位※2となりました。
※1 出典:総務省統計局「住民基本台帳人口移動報告 2022年(令和4年)結果」
※2 政令市を含めると全国2位(1位は、さいたま市)
自然環境に恵まれた 町田市 薬師池公園
東京都の最南端(島しょ部を除く)に位置する町田市は、東京都市部では2番目に多い、約43万人の人口を擁し、都心部の代表的な「ベッドタウン」として知られてきました。
新宿・渋谷などの都心部からも、横浜からも約30分でアクセスが可能な上、JR・小田急町田駅周辺には百貨店やファッションビルが立ち並ぶなど生活利便性が高く、2019年には、南町田グランベリーパークが官民連携により大規模再開発されています。
一方、北部丘陵には、農地と雑木林から構成される里山が広がり豊かな自然が残るなど、「都市」と「自然」のバランスがとれた郊外都市です。近年では、子育て世代を中心とした移住が進んでおり、「今、人気の街」になっています。
コロナ禍の発生以降、2021年度に東京23区で転出が転入を初めて上回るなど(2022年度は大幅な転入超過)、郊外都市への人口移動の流れが注目されていますが、首都圏の全ての郊外都市へ人口流入が進むのではなく、今後は「選ばれる郊外」と「選ばれない郊外」への二極化が進むと言われています。
そんな中、町田市では、まちだ〇ごと大作戦18-20+1などの実施によって、市民、地域団体、事業者など多様な主体の活動が市内各地域で広がり、新たな活力が生まれ続けており、街を盛り上げる「兆し」が見えてきています。
また、地域活動、農業、映画・映像制作など、様々な分野で若い世代の人々の挑戦や活躍もあり、その「兆し」はさらに活発化してきています。
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