―小学3年生から6年生のお子様とご家族、計60名を募集―
宝酒造株式会社は、社会貢献イベント“宝酒造「田んぼの学校」2025”の参加者の募集を、本日2月4日(火)より開始します。募集の対象は小学3年生から6年生のお子様(2025年4月時点)とそのご家族(大人)で、募集人数は60名です。
“宝酒造「田んぼの学校」”は、お米づくりや自然観察などの体験を通して、生物多様性を守ることの大切さを肌で感じ、自然の恵みと命のつながりを親子で学ぶ体験授業です。
この活動は2004年に千葉県で開始し、2011年より開催拠点を京都府に移し開催しています。2020年から3年間は新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から現地開催を中止していましたが、2023年に再開し、今回で通算19年目の開催となります。
“宝酒造「田んぼの学校」2025”では、春から秋までに、「田植え編」「草取り編」「収穫編」の計3回の授業を行います。場所は、里山を背にした田園風景が広がる自然豊かな京都府南丹市園部町の田んぼで、参加者自らの手で苗を植え、草取りをし、稲を刈り取るまでを体験していただきます。また、田んぼ周辺の植物や昆虫などの自然観察を行い、自然の恵みと命のつながりを学んでいただきます。
宝グループが、事業活動を通じた社会的価値の創造を実現し続けていくために策定した「宝グループ・サステナビリティ・ポリシー」では、宝グループを取り巻く社会課題について10の重要課題(マテリアリティ)を取り上げ、各々について取り組み方針を示しています。マテリアリティの1つである「コミュニティ」では、地域社会の発展に貢献する目標を掲げており、その施策の一つとして“宝酒造「田んぼの学校」”を実施しています。
当社では、“宝酒造「田んぼの学校」”の実施を通じた子どもたちへの環境教育により、生物多様性の保全と地域の活性化に貢献して参ります。
【宝酒造「田んぼの学校」2025 開催概要と応募方法】
●主催:宝酒造株式会社
●協力:NPO法人 森の学校、京都自然教室、仁江里山を生かす会
●日程:年間3回
第1回<田植え編>…2025年5月25日(日)
第2回<草取り編>…2025年7月 6日(日)
第3回<収穫編> …2025年9月14日(日)
●開催会場:京都府南丹市園部町の田んぼ(京都府南丹市園部町仁江) ※現地集合、現地解散
●募集人員: 60名(小学3年生から6年生のお子様とそのご家族)
※小学生は2025年4月からの新学年、ご家族は大人
※全3回にご参加いただけるお子様とご家族
※応募が定員を超えた場合は抽選(抽選結果は4月上旬に郵送にて連絡)
●参加費用:大人1人 年間1,000円、お子様 無料 ※会場までの交通費は参加者負担
●応募方法:郵便ハガキに次の項目をご記入の上、下記宛先に申し込み
(1)代表者(大人)の氏名(ふりがな)・年齢
(2)郵便番号・住所
(3)電話番号
(4)代表者を含む参加者の人数
(5)代表者以外の参加者の氏名・年齢・代表者との関係
●宛先・お問い合わせ先:
「宝酒造田んぼの学校」事務局R係
〒104-0061 東京都中央区銀座7-18-13-203
TEL 03-6226-3633(平日11:00~18:00)
●応募締切: 2025年3月24日(月)必着
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
ヤマタノオロチ伝説(雲南市)その1
『スサノオノミコトの御座所』
布須神社
鳥居から石段にて拝殿へ
御室山
布須神社由緒記
【御祭神】
須佐之男命
稲田姫命
【社殿】
本殿なし 神奈備式玉垣一坪 拝殿十坪 平成七年十一月改建造
スサノオノミコトとクシナダヒメの岩座
夫婦岩 須我神社の奥宮
スサノオノミコト、クシナダヒメが造ったとされる「日本初之宮」、
須我神社 の奥宮『夫婦岩』。
【主祭神】
須佐之男命(すさのおのみこと)
奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)
御子神の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
『古事記』によれば、
スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治されたあと、クシナダヒメを伴って、八雲山の麓に至ったとき、「吾此地に来て、我が御心すがすがし」といわれたことから、この地域を須賀(スガ)というようになった。
【三十一文字和歌発祥の地】
“八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる 其の八重垣を”
この地にたちのぼる美しい雲を見て、須佐之男命が詠まれた和歌で、日本で初めての和歌になります。
そしてこの和歌にある「出雲」が出雲国の名前の起源と言われています。
雲南市にはヤマタノオロチ伝説で知られる斐伊川※が流れ、各地に神話や伝説、神楽などが伝承されており、加茂岩倉遺跡や神原神社古墳をはじめとした多くの遺跡や古墳が発掘されています。
※斐伊川の歴史
斐伊川は、「古事記」(712年成立)の「八岐大蛇(やまたのおろち)説話」にあるように、古来より氾濫を起こしては流域に多大な被害をもたらし恐れられてきたと伝えられています。
かつての斐伊川と神戸川は、それぞれ「出雲大川(いずものおおかわ)」、「神門川(かんどのかわ)」と呼ばれ、出雲平野を西に流れ、共に神門水海(かむどのうみ)(現在の神西湖(じんざいこ)の前身)に注いでいた歴史があります。
その後、寛永年間の大洪水を契機に斐伊川は流れを変え東流し宍道湖に注ぐようになったといわれています。
日本最古の歴史書「古事記」に残るスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治。
この舞台が雲南市をはじめとした斐伊川流域といわれており、現在でも数多くの伝承地が残されています。
そこで本号では、スサノオノミコトとクシナダヒメの足跡を辿ってみたいと思います。
『日本初之宮』
須我神社
須我神社は、スサノオノミコトとクシナダヒメが造ったとされる「日本初之宮」。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝説(雲南市)「 スサノオノミコト と クシナダヒメ と その御子の磐座 源流 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6743067
〜ヤマタノオロチ伝説の里
奥出雲に日本古代を探る〜 その2
日本最古の歴史書「古事記」に残るスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治。
この舞台が雲南市をはじめとした斐伊川流域といわれており、現在でも数多くの伝承地が残されています。
前号では奥出雲の原風景の中に残されている重要な伝承地をご紹介いたしました。
更に本号では、引き続き気になる伝承地を幾つかご紹介してまいりたいと思います。
『八塩折の酒を造った釜跡』
釜石
布須神社の麓には「釜石」といわれる神石があり、スサノオノミコトがヤマタノオロチに飲ませたお酒を造らせた釜跡という言い伝えがあります。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝説(雲南市)「スサノオノミコトとクシナダヒメ~伝説の里に日本古代を探る~」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6760544
~伝説の里に日本古代を探る~(続編)その3
『クシナダヒメの御産所』
河辺神社
スサノオノミコトの妻、クシナダヒメが懐妊されたとき、産湯に使う良い水を探し求められたところ、「甚く久麻久麻志枳谷なり(いたくくまくましきたになり=奥まった静かできれいな谷)」といわれ、河辺神社を御産所に定められたといわれています。
今でも産湯に使う水を取ったとされる井戸のことを「熊谷さん」と呼び、熊谷の地名のいわれにもなっています。
住所 島根県雲南市木次町上熊谷1462-1
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝説(雲南市)「スサノオノミコトとクシナダヒメ~伝説の里に日本古代を探る~(続編)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6763706
人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)その4
雲南の出雲神楽とは
出雲神楽とは、岩屋戸から天照大神を引っ張り出したひとり 「アメノウズメノミコト」の舞をそのままに受け継ぐ、 出雲地方(島根県東部)に伝わる伝統芸能です。
古事記、日本書紀の「神代」には、 神楽の元となった出雲神話が多数挿入されており、 そこに登場するスサノヲ、オロチ、オオクニヌシ、イナタヒメ。
すべて雲南市を流れる斐伊川にまつわる神話です。
雲南市内には現在、15もの神楽社中があり、 出雲神楽は地域の郷土芸能として脈々と受け継がれています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)「 うんなんの出雲神楽 ~前編~ 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6769204
うんなんの出雲神楽 ~特別編~ その5
龍頭が滝
落差40mの雄滝と30mの雌滝からなる龍頭が滝は、中国地方随一の名瀑といわれ、八重滝とともに「日本の滝百選」に選定されています。
激しくしぶきを飛び散らせながら流れ落ちる滝は、まさにうねりをあげて昇天する龍のようです。
雄滝の裏側は『裏見の滝』と呼ばれ、百畳ほどの見事な岩窟があり、滝観音が祀られています。
神楽の宿
須我神社のすぐ傍にある『神楽の宿』は、座敷でおこなう神楽を保存・再現するために特別に造られた茅葺屋根の建物です。
「はやしこ」と「ふるさとの花田植え」
日本の原風景の中で受け継がれて来た伝統文化 山あいの谷間に響くのどかな「はやしこ」、守り伝えたい「ふるさとの花田植え」 毎年恒例の入間の花田植えが今年も5月に開催されました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)「 うんなんの出雲神楽 ~特別編~ 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6775727
八重山神社 の スサノオ伝説 とは
「 うんなんの出雲神楽 ~後編~」その6
八重山神社
きりたった岩壁のくぼみに拝殿や本殿が建立されています。
松江藩ゆかりの牛馬の守護神であり、家内繁盛や病気平癒の神様としても有名です。
いったん火事で焼失しましたが、1734年に松江藩主によって再建され、「一社一例国主守護之社」として崇拝されています。
編集後記
曾ては日本のいたる所で行われていたというお神楽ですが、現代でも滅多に主要メディアに登場する事もなく、インバウンドの恩恵からも遠い存在でした。
歴史的に日本は封建、鎖国時代を経て、二度の日本文化における大変革を体験しています。それは明治維新と第二次世界大戦での日本降伏です。驚くのはこの二つの転換期に日本伝統の徳目 (仁・義・礼・智・信)は底流にあるものの、その上に築かれた汎ゆる地域的行事、祭礼、風習、日常の衣食住における様式まで捨て去り、大げさに言えば見事に、一日にして和魂洋才化してしまいました。
その根拠が明治政府を担った岩倉具視以下使節団は西欧諸国を見聞した結果、我が国の科学技術の遅れを痛感し、屈辱、敗北感から生じたものでした。そして間髪置かず西洋文明を導入。それは徹底した西洋崇拝です。それ以来、(1000年〜1500年も続いた日本固有の伝統文化さえも遅れたものと勘違い) 日本の建物は西欧建築を真似た疑似洋風建築、衣服や髪型迄西洋風の物真似でした。
いきおい政策も工業立国を目指し、科学技術や重工業への肩入れから始まり……この間我が国は日露戦争、上海事変、日清戦争を経て第二世界大戦で大敗を喫します。しかしながら、終戦後もその復興を目指した政策中身は変わることなく、日本文化の軽視と大企業による経済中心主義でした。その結果が、先進国の仲間入りを遂げた一時は"ジャパン・アズ・ナンバーワン" とされたこともある今日の日本の姿です。
しかし、ここに至って世界的に伝播した情報通信メディアの発達で世界的にインターネットやSNSなどを通じて様々な分野での情報が共有され、いきおい海外からは独特且つ異色な日本文化や小さな地域文化に目が注がれ始めています。そのスピードは鰻登りとなってきました。
さて、一昨日から本日にかけての記事はそうした中、長い期間にわたり、放置され続けてきたのが日本の誇れる地域の伝承芸能です。やっと、日の目を見る機会到来に期待したいものです。
我が国は確かに、経済大国には成りはしたものの、その陰に隠れて、こうした貴重な地域文化がいつしか人々の記憶から忘れ去られたように感じておりましたが、まだまだ地域は限定されており、こうした地域の伝統芸能の中で日本の歴史を表現するお神楽を受継ぎ、その伝承、進化の為に取組まれている方々が大勢おられることを知り、大変心強く感じるものでした。
このように全国各地においては地域文化の継承保存活動が未だ沢山、地下に埋もれているのでは?これからも機会あるごとに、そうした事例を広くご紹介出来ればと決意を新たにしたところです。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
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