ZIPANG-10 TOKIO 2020 発酵文化の未来を考える ~銚子の醤油~江戸の昔から造られている[ひ志お(醤・ひしお)] 【寄稿文】 醬司 室井房治

銚子の醤油---江戸の昔から造られている[ひ志お(醤・ひしお)]について


銚子の自然がひ志おを造る


千葉県の自然を象徴する「銚子ジオパークミュージアム」 ~発酵文化の夜明け~


ひ志おの仕込みは冬に行います。いわゆる寒仕込みです。

寒い時期に仕込み、春暖かくなりゆっくりと麹が成長し夏に発酵が進みます。

寒暖差が少なく、夏涼しく、冬暖かい銚子の気候がひ志お造りには最適です。

樽に入れてからは一切人の手は加えず、銚子の自然の力でひ志おはできています。


     万葉の昔からある発酵調味料「ひ志お(醤) 箸でつかめる「食べる醤油」です。
            このまま食べてよし、野菜などにつけてよし 調理につかってよし、


             万能の調味料です


千葉県 銚子山十 箸でつまめる醬油「ひ志お(醤)」


銚子山十 商品カテゴリ



1. はじめに

江戸の昔から銚子の各醬油屋では、ひ志おを造っていました。山十のひ志おはその当時から今日まで造りつづけ、銚子の名産品のひとつに数えられています。


ここでは、なぜひ志おが造られるようになったかを、銚子の醤油産業の生い立ちから含めて解説するものです。さらにひ志おの造り方、使い方など説明することにより、発酵調味料が持っている大きな力、その未来を考えます。


銚子山十「ひ志お(醤)」醸造工場


2. なぜ醤油産業が繁盛したのか

江戸時代以前、銚子を含めた下総の地域は、入江のような潟と、葦が多い荒野の地でした。ところが、徳川家康は江戸に入ると直ちに利根川の流れを銚子に変える工事を命じ、1654年利根川は銚子に流れるようになりました。


銚子は江戸との水運が可能となり、奥州と江戸を結ぶ物流の拠点として発展しました。時は同じころ、銚子は黒潮に乗り鰯を追いかけてきた紀州の人々の前進基地となり、紀州広村との交流が始まりました。


広村との間では、漁師以外にも多くの人の交流ができ、濱口家(ヤマサ)、岩崎家(ヤマジュウ)といった醤油屋も銚子に進出しました。


醤油を発酵熟成することに適した紀州と同じ気候と、西国の高度な製造技術が相まって、銚子では高品質の濃口醬油を造ることができるようになりました。


銚子と江戸を結ぶ利根の水運も発達し、銚子の醤油を大量に低コストで江戸まで輸送することが可能になりました。江戸の人々は、高品質でしかも安い醤油を入手できるようになり、一気に庶民も大量に醤油を使い始め、銚子の醬油は爆発的に売れました。


3. なぜひ志おが造られたか

醬油の生産には大量の麹を日々作っていく必要があり、多くの職工の手で、しかも24時間体制での作業が不可欠でした。そのため各醬油蔵では住み込みで働く職工を多く抱え、その食事を3食賄うことが必要でした。


この食事のお供として、各醤油屋さんは、手元にある原材料(大豆、麦)を使い、自前の生産ラインを活用して、おかず味噌としてひ志お造っていました。それは、あくまで職工のための賄い食ですが、山十では江戸時代よりひ志おを販売していました。


4. ひ志おの作り方、使い方


ひ志お(醤)製造 木樽の底から蒸気を入れ、蒸す


樽から出し広げて冷ます


ひ志おの原料は大豆と大麦です。大豆を煎り、皮を取り除いた後大麦と混ぜ、麹を作り、出来た麹に塩水を加え、樽に入れて1年以上発酵熟成させます。


熟成している間は人間の手を加えることなく、銚子の自然の力と発酵微生物の活動によって、風味豊かなひ志おが出来上がります。


形状は味噌のような固形物ですが、味、風味は醤油に近い発酵調味料です。このまま、ご飯のおともとして使えます。さらに新鮮な野菜や刺身などにつけることにより、素材のうまさがより一層高まります。


マヨネーズやオリーブオイルなどと混ぜお好みのソースやドレッシングなども作ることができます。和洋中華の料理にも、うま味を加える隠し味としてその活躍の場は広いです。


千葉でとれた魚や野菜をネタに勿論、シャリも千葉米の御寿司です


メイン料理


                                 編集局イメージ


ローマ教皇来日時の昼食。千葉県の食材を使用テーマは「日本の食の魅力と千葉を元気に」
(料理提供・プロデュースを担当したのは、千葉県でイタリアンレストラン・オリベートを経営する株式会社パシフィックプロジェクト(本社:千葉県佐倉市南ユーカリが丘13-1オリベート電話番号043-488-3751代表取締役:萩原勇作)です。


銚子市内のお店では、シェフの皆さんがそれぞれ腕によりをかけひ志おを使った料理を提供していただいております。


5. 和食を支える銚子の産業

和食の原点は平安時代の食卓といわれています。野菜や魚介類をそのまま煮たり焼いたりし、数種類の調味料を使い分けながら、食べる人自らが味付けして食べました。その調味料の中にひ志おが並んでいました。素材の味をより美味しくできる、調味料の役目は大きいです。


和食はこのように素材のうまさをどのように引き出すかが一番重要なポイントです。銚子ではひ志お、醤油など発酵調味料の故郷でもあり、しかも豊富な魚介類、農産物の産地です。すなわち和食に必要な基本的な要素を見事揃えることができる街です。和食が世界遺産に指定されたことはその原材料の供給基地である銚子にとって大きなチャンスの到来です。


参考文献

篠崎四郎、銚子市史
平凡社、世界大百科事典
谷本雅之、日本の味醤油の歴史 銚子の醤油醸造業
茂木孝也 松若昭夫、醤研 Vol2 No5,1995
「江戸時代の醤油業と現代醤油のルーツについて」
河野友美、日本人の食物「しょうゆ 味の旅」
松本忠久、平安時代の醤油を味わう
小泉武夫、発酵食品の魔法の力
ZIPANG-10 TOKIO 2020



【寄稿文】 醬司 室井房治


株式会社 山十 代表取締役社長
東京理科大学卒業
銚子市消防団顧問  
千葉科学大学危機管理学部危機管理学科 シニアフェロー、非常勤講師
千葉科学大学学生消防隊 監督


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)


協力(敬称略)

公益社団法人 千葉県観光物産協会



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


古今折衷 ~ 伝統は進化する ~ 『美しい食文化』の極致とは・・・



石川県「第35回記念 旨し、美し。金沢・加賀・能登展」


加賀百万石「石川県の食文化」

1.能登と加賀(金沢-白山麓)

南北にのびる石川県は、大きく二つの地域に区分されます。県北部に位置する能登地方は、 三方を海に囲まれており、一方、県南部の加賀地方は、南東部に両白山地を抱え、日本海側 に向けて平野(加賀平野)が広がる地勢条件を有しています。この二地域の風土の違いは社会・ 歴史的条件も含めそれぞれの食文化を形成しています。


2. 能登地方

能登地方の食文化は、内陸部と沿岸部においてそれぞれ異なっています。
能登内陸部においては、 冬の積雪が多く、季節風は厳しい。半島西側では、麦、小豆が栽培されており、麦飯が日常食で、秋には里芋飯や大根飯が食されてきました。山の畑で栽培される小麦はうどんや、そうめ んに加工されています。


一方、能登沿岸部では、海の幸を中心とした古い食文化の歴史があり、 食卓に上る近海魚、貝、海藻の種類は豊富にあります。丘陵地域から採れる山菜と、発酵食品のいしり(魚醤)等が食卓を彩ってきました。内浦では定置網漁業により「ぶり」、「たら」などが採れ、湾内では「かき」と「のり」の養殖等も行われています。


3.加賀地方(金沢-白山麓)

○金沢市内 石川県の中心地である金沢では、江戸時代から代表的城下町であり、「加賀百万石」の四季おりおりの行事とともに豊かな食文化が残されています。商人の町、職人の町、軍人の町として発展してきた歴史的背景から、華やかさ、食材の種類の面で他地域とは異なる金沢独特の食文化を形づくってきたのでした。


年間を通して、魚が絶えず入手可能であり、「ぶり大根」、「ごり料理」、 「かぶらずし」、「巻きぶり」、「いなだ」、「治部煮」※などが金沢の郷土料理として残されています。また浄土真宗が盛んであることから、信仰の町としても知られ、行事食として精進料理 も継承されています。


※治部煮(じぶ に)

食と器の深いつながり

由来は諸説あります。

①兵糧武業岡部治部衛門が考案した説。

②キリシタン大名 高山右近が高麗から持ち込んだ説。

③古い文献に宮中の婚礼に「鴨のじぶじぶ煮」と記されていることから煮たときの「じぶじぶ」という音から来たのでは、という説。

いずれにしましても治部椀という治部を盛り付ける為だけの平たいお椀があるくらい石川の伝統工芸と料理が一つになった、お祝い時に欠かせない一品です。


 つば甚:治部煮(じぶ に)

石川の代表的な郷土料理の一つである治部煮(じぶ に)※には専用の盛り付けるための器(治部椀)がつくられていることに象徴されるように、石川県における 食文化は器とは切り離せない関係にあるのです。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 古今折衷 ~ 伝統は進化する ~ 『美しい食文化』の極致とは・・・
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7580582



ー 大本山 成田山新勝寺 ー


成田山新勝寺 仁王門 


大本山 成田山新勝寺は、天慶3年(940)、宇多天皇の孫にあたる寛朝( かんちょう)大僧正により開山されました、全国8カ寺の別院や末寺など合わせて71ケ寺を有する真言宗智山派の大本山です。


ご本尊は平安時代に真言宗の開祖、弘法大師が一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りを込めて敬刻開眼された不動明王像と伝えられています。


江戸時代から「成田のお不動様」とよばれ数多くの人びとに親しまれ、歌舞伎の成田屋・市川團十郎丈、海老蔵丈なども参詣する霊場です。


正月3が日には約305万人、年間約1,000万人以上のご参詣者が訪れます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ー 大本山 成田山新勝寺 ー 「開山から約1070年。成田山の歴史とお不動様の教えを紐解く。(その1)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5515453



弘法大師と興教大師の時空を超えた願い


真言密教の開祖、弘法大師空海

弘法大師の足跡


(画像は本文にて)


804年、第16次遣唐使船で唐に渡った空海その時、日本で最後の寄港地となったのが五島の福江島です。記念碑に刻まれた「辞本涯(じほんがい)」とは「日本の最果ての地を去る」という意味で、空海が書物に残した言葉です。


(画像は本文にて)


成田山とのご縁

成田山の御本尊である不動明王は、真言宗の祖である弘法大師空海が自ら祈りをこめて敬刻開眼された御尊像です。成田山では弘法大師が中国より伝来された真言密教の教えにより、千年以上、御護摩祈祷を続けています。


興教大師と成田山

真言宗中興の祖、興教大師

興教大師の足跡


真言宗中興の祖 興教大師覚鑁


興教大師覚鑁は、嘉保2(1095)年、現在の佐賀県鹿島市にお生まれになりました。20歳の時に高野山に登られた興教大師は、鳥羽上皇の支援を受けて高野山を整備、弘法大師の教えを再興するとともに、学徒を養成し、「新義」といわれる教学を確立しました。これが真言宗中興の祖と呼ばれるゆえんです。


その後、高野山の座主にまでなりますが、権力の争いを避けるため、その座を降り、根来山(和歌山県)に移られます。この地の整備をすすめていましたが、3年後に49歳で入滅されました。


成田山とのご縁

興教大師は高野山から根来に移り真言教学を再興させ、後に真言宗中興の祖と仰がれます。成田山は興教大師の教えを受け継ぐ真言宗智山派の寺院です。


大本山 成田山新勝寺

境内のご案内

各所のご利益を見る


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ー 大本山 成田山新勝寺 ー「弘法大師と興教大師の時空を超えた願い(その2)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5524941



※現在、2500件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
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ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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