千葉県勝浦市に新たな隠れ家リゾートが誕生!竹林の絶景とサウナが 魅力の贅沢なヴィラ「and FOREST 竹の離れ」がオープン
「まだ誰も知らない絶景と過ごす」をテーマに、リゾートヴィラ「and RIVER勝浦」などを展開する株式会社タスマニアンプロジェクトが、千葉県勝浦市に新たな隠れ家リゾート、「and FOREST 竹の離れ」を2024年11月にオープンしました。
千葉県勝浦市 竹林に囲まれた隠れ家ヴィラ「and FOREST 竹の離れ」へ
美しい竹林に囲まれたこのリゾートヴィラは、
心揺さぶる絶景と共に、贅沢なひとときをご提供いたします。
竹林の隠れ家ヴィラ「竹の離れ」
竹林の隠れ家ヴィラ light up
■贅沢な露天風呂と檜サウナ
spaエリア
SAUNA
「and FOREST 竹の離れ」では、地下130メートルから汲み上げた天然水を利用した露天風呂と、檜を贅沢に使ったオリジナルサウナを完備しています。
HARVIA社のサウナストーブを導入し、竹林の絶景を眺めながら「ととのう」体験が可能です。心と体を解き放つ贅沢な時間を提供いたします。
■人と自然が織りなす竹林の美
ガーデン
この周りは、地元のタケノコ農家の方々が代々手入れを続けてきた故に美しい竹林が広がっています。丁寧に手入れされたこの景観は、自然と人の営みが生み出す特別な空間として訪れる方々に心の安らぎをもたらします。
■一日一組限定、心の隠れ家
Terrace
「and FOREST 竹の離れ」は、一日一組様限定での貸し切りをご提供いたします。都会の喧騒を忘れ、竹林の静寂の中で心と体を解き放ち、特別なプライベート空間で過ごす贅沢な時間をお楽しみいただけます。
■五感を満たす贅沢な食体験
竹林を眺めるダイニング
「and FOREST 竹の離れ」では、通常サービスとしてお寿司職人やフレンチのシェフによる特別な食体験もご用意しております(別途追加料金)。
和と洋が織り成す料理が、五感に響くひとときを提供し、自然の美しさと共に味わう食事は格別です。
■インバウンドのお客様へ
「and FOREST 竹の離れ」では、国内のお客様はもちろん、海外からのお客様にも心からリラックスできる空間をご提供いたします。英語対応も完備しており、異国の地でありながらも安心して過ごしていただけるよう努めております。
ガーデン
「and FOREST 竹の離れ」は、ウェディングやプライベートなパーティー、企業様のイベントのためのスペースとしてもご利用いただけます。特別な日を、美しい竹林に囲まれたこの特別な空間で演出し、心に残る思い出を創り上げてください。
■「and FOREST 竹の離れ」概要
所在地 :千葉県勝浦市佐野853
料金 :1泊1棟114,000円(税込)~
オプション:ディナープラン、ペット可、BBQコンロ、BBQ食材セットなど
アメニティ:自炊可能な調理器具、カトラリー、タオル、歯ブラシ、
コットン等も完備
※オプションについては、別途ご料金が発生します
【ご予約・お問い合わせ】
株式会社タスマニアンプロジェクト
and resort villas 担当 竹内 080-7089-8443
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
紀元前3000年・顧みれば5000年の歴史をもつ「竹」
晒竹犬矢来(京都市 祇園)
我が国における竹の歴史
静岡市登呂遺跡からは篠竹で編んだと思われるかご(篭)が出土し、紀元前3000 年~今日まで5000 年もの歴史があるといわれています。
登呂遺跡(静岡県静岡市)
竹取物語の一節に
「竹をよろずのことに使ひけり」
とあることから、平安時代には既に多くの生活用具が竹で作られていたと思われます。
竹の栽培の始まりは、均一の材料を大量に必要とする武器作りのためだったといわれ、城の周辺では竹槍に適したハチクが栽培されたり、弓、矢の材料に適したマダケやヤダケが栽培されました。
また、河川の氾濫や山崩れなどの災害を防止する目的からも竹が植えられるようになり、全国各地に広まりました。
ハチク 、マダケ 、モウソウチク は 、昔から利用を目的として栽培されてきたため、日本の三大有用竹といわれています。
1970年頃にマダケが開花するまでは、日本の竹林面積の割合はマダケが70% 、モウソウチクが20% 、ハチクはわずか3% であったが、マダケは一斉開花枯死と竹材の需要が減ったことで減少し、逆にモウソウチクはタケノコ栽培が盛んになったことや江戸時代に中国から渡来して以来一斉開花枯死がないことなどで、現在はモウソウチクが70% 、マダケが20% となり、1970 年頃とは逆になっています。
ハチクは1902~1911年頃に全国で一斉開花枯死により減ってからはほとんど変わっていないが、平安時代頃まではマダケよりも多く栽培されていたようです。
竹林整備読本(静岡県、冊子・平成16年3月発行)より
京銘竹について
『京銘竹』とは京都府の指定工芸品で京都府産の竹に特殊加工を施した美しい竹のことです。
用途は内装材、外装材と様々で今まで京都を中心に一般住宅、歴史的建造物、公共施設、商業施設等を彩ってきた経緯があります。
そこで前回に続いて、京都から本場の「京銘竹」の中から「銘竹」の施工例をご紹介したくご案内致します。
銘竹
一口に竹と言っても、その種類はきわめて多く、風合いもさまざまです。
200年近い時と煙の芸術、独特の渋みが特徴の「本煤竹」。
表面に網目模様を残して煤竹の味わいを染めつけた「染煤竹縄巻き」。
黒い色が竹のイメージを変える「黒竹」。
芽の付いた「芽付晒竹」……。
形も、角・平・丸と多種多様にあります。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~古今折衷~ 紀元前3000年・顧みれば5000年の歴史をもつ「竹」を今に活かす!
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/14746991
室町時代から続く
’’一子相伝’’ 茶筌(ちゃせん)づくりの技を今に伝える!
竹の寒干し
高山の冬の風物詩「竹の寒干し」は、奈良県生駒市高山地区内で毎年2月の寒い時期に行われています。竹を笠のように寒風にさらして1ヶ月程度天日で干します。
一子相伝の技「高山茶筌(ちゃせん)」
茶筌とは抹茶を点てるために使用する道具の1つです。
抹茶と言えば、こんもりと泡立てた姿が有名なため「泡だて器の一種」と考えられることも多く、例えば“茶せん”を英語で表記すると“Tea Whisk(お茶泡だて器)”となります。しかしながら、茶せんは本来お湯を加えた抹茶を、茶碗の中でかき回し均一に分散させる道具であり、泡を立てる道具ではありません。
世界でただ一つの茶筌「このみ」 高山竹林園(奈良県生駒市高山)所蔵
茶道を支える高山茶筌
生駒市の北端にある高山地区は竹製品の伝統技を伝える里。500年以上の歴史を有する高山茶筌を始めとする茶道具や編み針を秘伝の技により高山の人々によって伝えられてきました。
高山茶筌は室町時代中期から「一子相伝」の技として今日まで脈々と受け継がれており、永年の研究と努力から継承されてきた伝統の技は、小刀と指先でほとんどを作ることから「指頭芸術」といわれ、国の内外で高く評価されています。
現在も茶筌の国内生産シェアの95%以上を占めています。
高山の歴史
万葉歌碑
生駒市の万葉歌碑
生駒市では、万葉集で生駒という固有名詞が出てくる6首の歌碑を建立している。
その一基が竹林園内にあります。
「妹に逢はず あらばすべなみ 岩根踏む生駒の山を 越えてぞ我が来る」
遣新羅使人 巻15-3590
あなたに逢わないではいられなくて、岩を踏んで険しい生駒山を越えてきた。
茶筌の国内生産量のほとんどを占めて日本唯一の茶筌の生産地として有名な高山ですが、なぜ、この高山の地でこんなにも茶筌作りが盛んになったのでしょうか?
それは、今から500年以上も昔、室町幕府8代将軍足利義政の時代のお話です。
その昔、ここ高山は、鷹山氏が支配していた村でした。
この村で茶筌が作られたのは、室町時代の中頃のことです。高山城主の次男宗砌が親友の村田珠光に依頼されて作ったのが始まりと伝えられています。
さて、茶筌作りを依頼したというこの村田珠光とは、一体何者なのでしょうか? 実はこの村田珠光は、称名寺※という寺の住職で当時流行の連歌、和歌、書道の達人として有名な人物で、現代では、一般的にわび茶の創設者とされています。
そんな珠光と宗砌は連歌や和歌を通じて親交が厚く珠光が初めて茶道を考案したときに茶道にふさわしく茶をまぜる道具の制作を依頼され作りあげたのが、この茶筌なのです。
その後、珠光が京都へ移り時の帝、後土御門天皇が茶の湯の席へ出かけられたとき、宗砌が献上した自作の茶筌を鑑賞されました。
そして、その繊細な作りを見てお褒めの言葉を頂くと同時に、その茶筌に高穂(たかほ)という名前をつけてくださいました。これに宗砌は感激して茶筌つくりに力を入れ、その製法を鷹山家の秘伝としました。
こうして天皇が名前をつけてくださったことにより、高穂茶筌が有名になり、ここ鷹山村の名前や家名の鷹山を廃止し高穂にちなんで高山と改めました。 高山城がなくなった後も秘伝の茶筌制作、販売を許された家臣16名が秘伝としての言いつけを固く守り一子相伝の伎として、生まれて性を名乗る男子以外には、茶筌の制作を許すことはありませんでした。
時は流れて昭和の時代を迎えても、この秘伝は固く守られてきましたが、人不足によりこの制度はこわれ、長きにわたって秘伝とされてきた技術も一般に公開されるようになりました。また、500年の歴史と技術を認められ国の伝統的工芸品に指定されています。
高山では茶筌の製造に付属して、茶道具も生産されるようになりました。茶道具には柄杓、茶杓、茶合、花器、菓子箸などその種類は数えきれないほど豊富にあり、その手作りの伝統製法は秘伝として400年余りの歴史を持っています。
明治時代の終わりごろからは、伸子針をもって始まった高山の編針製造は、大正7.8年ごろから毛糸編針の出現により、一大発展期を迎えました。さらに戦後になり、女性の手芸手編みブームで編針の需要は急激に加速しました。こうして高山は茶筌、茶道具、編針と時代を超えて竹製品の産地として有名になりました。
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