ZIPANG-10 TOKIO 2020 島根県奥出雲地域と和歌山県有田・下津地域が新たに世界農業遺産(GIAHS)に認定されました!【農林水産省】

〇 日本から新たに島根県奥出雲地域、和歌山県有田・下津地域の2地域が世界農業遺産に認定。
〇 日本国内の世界農業遺産認定地域は17地域に。


令和7年8月26日(火曜日)、国際連合食糧農業機関(FAO)により、島根県奥出雲地域の「たたら製鉄を再適用した奥出雲地域の持続可能な水管理及び農林畜産システム」と和歌山県有田・下津地域の「有田・下津地域の石積み階段園みかんシステム」が新たに世界農業遺産に認定されました。


1.概要

世界農業遺産とは、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ(※1)及びシースケープ(※2)、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった地域を、世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域として、国際連合食糧農業機関(FAO)が認定する制度です。

※1ランドスケープ:土地の上に農林水産業の営みを展開し、それが呈する一つの地域的まとまり

※2シースケープ:里海であり、沿岸海域で行われる漁業や養殖業等によって形成されるもの


世界農業遺産とは

世界農業遺産は、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域を、国連食糧農業機関(FAO)が認定する制度です。


2.認定地域の概要


〇 島根県奥出雲(おくいずも)地域(令和3年10月申請)

日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、砂鉄採取のために導いた水路やため池を再利用して棚田に再生しました。


砂鉄の運搬や農耕用に飼養していた和牛は肉用牛に転換し、その牛ふんは堆肥として水田の土づくりに利用するとともに、稲わらや水田の畦及び森林の草を牛に餌として与えるなど、稲作と畜産を中心とした複合的な農業が受け継がれています。

島根県奥出雲地域「たたら製鉄を再適用した奥出雲地域の持続可能な水管理及び農林畜産システム」


島根県奥出雲地域

農林水産業システムの名称 「たたら製鉄を再適用した奥出雲地域の持続可能な水管理及び農林畜産システム」

◇平成31年2月 日本農業遺産認定 ◇令和7年8月 世界農業遺産認定


(写真:福頼棚田展望台からの風景(奥出雲町横田地域) )


鉱山跡地を棚田に再生し、採掘のために導いた水路やため池を再利用するなど、独自の土地利用により稲作や畜産を中心とした複合的な農業が営まれてきた。


中国山地の山中にある奥出雲地域は、日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、採掘のために導いた水路やため池を再利用して棚田に再生してきました。


運搬や農耕のため17世紀初頭に行われた役牛改良の知識を活用して肉用牛の種雄牛(仁多牛)を造成し、その牛ふんや山草を堆肥化した土づくりを行い、良質な「仁多米」を生産しています。


また、約30年周期で伐採してきた薪炭林はシイタケ生産に活用され、森林や水田畦畔に棲むハナバチ類はソバの受粉を促し、在来ソバの遺伝資源を今日に伝え、「出雲そば」にルーツとなり、蕎麦文化が色濃く残っています。


棚田には墓地や神木を祀った小山(鉄穴残丘)が点在し、神(自然)を畏れ祖先を敬う日本の宗教観を表す農業景観を形成しています。



〇 和歌山県有田・下津(ありだしもつ)地域(令和5年10月申請)

この地域の農家は約400年以上前から、みかん栽培のため傾斜地に石積み階段園を築き上げてきました。現在では、海岸部から内陸部まで広がる壮大な景観を形成しています。


また、その園地では土地ごとの日当たり、気温、土壌などの自然条件の違いに応じた品種の選定や栽培技術、苗木の地域内生産による産地の基盤形成、貯蔵技術(蔵出し)等により、高品質な温州みかんが生産されています。

和歌山県有田・下津地域「有田・下津地域の石積み階段園みかんシステム」


和歌山県有田・下津地域

農林水産業システムの名称 「有田・下津地域の石積み階段園みかんシステム」

◇令和7年8月 世界農業遺産認定


(写真:有田・下津地域のランドスケープ)


400年以上の歳月をかけて築き上げ、受け継がれてきたみかん栽培文化。

有田・下津地域では、400年以上前からみかん栽培のために石積み階段園を築き上げてきました。17世紀中ごろには、より有利な販売ができるよう日本初のみかん共同出荷組織「蜜柑方」(みかんがた)が組織されました。こうした地域の取り組みにより、みかん栽培は日本で初めて生計の手段へと発展を遂げ、現在に至るまで海岸部から内陸部へと広がる壮大な景観を形成してきました。


農家は、日当たり、気温、土壌といった土地ごとの自然条件の違いに応じた多様な品種の選定や栽培技術、地域内での苗木生産による産地の基盤形成、貯蔵技術(蔵出し)等により、高品質な温州みかんを生産しています。


また、長いみかん栽培の歴史の中で、みかんの豊作を祈願する「みかん祭」といった伝統行事が生まれ、石積み階段園を中心とした特有の生態系が育まれています。



参考

世界農業遺産申請から認定までの流れ





鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

農林水産省

中国四国農政局消費・安全部消費生活課 

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


世界農業遺産 奥出雲シリーズ

「 松江藩大鉄師『絲原家』  とは


絲原家のたたら製鉄を行っていた頃の住宅に併設していた高殿の風景


天平5年(733)に編纂された『出雲国風土記』の仁多郡(現在の奥出雲町にあたる)の条に三所(みところ)郷(のさと)・布勢(ふせの)郷(さと)・三沢(みざわの)郷(さと)・横(よこ)田(たの)郷(さと)あわせて4郷が所在し、「諸郷(もろもろのさと)より出(いだ)すところの鉄(まがね)堅(かた)くして、尤(もっと)も雑(くさぐさ)の具(もの)を造(つく)るに堪(た)ふ」と記しています。


このことは、その当時から盛んに製鉄が行なわれていたことを示すとともに、当地方で産する鉄の優秀性を物語っています。そして、今日もなお世界で唯一“たたら製鉄”の炎があがる町として全国に周知され、その技術は国選定保存技術に選定されているのです。


歴史的に見ると、近世・近代にかけて奥出雲地域は、我が国の鉄生産の中心地として隆盛を極め、たたら製鉄で栄えた地であります。 また、松江藩の鉄政策により、櫻井(さくらい)家、絲(いと)原(はら)家、ト蔵(ぼくら)家という大鉄師(だいてつし)(たたら経営者)を産みだし、櫻井家住宅は国重要文化財に指定され、絲原家住宅は登録有形文化財に登録されるなど、鉄師頭取の佇まいを今に残しています。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 松江藩大鉄師『絲原家』  とは・・・絲原記念館・登録有形文化財住宅・国名勝庭園について 【第四話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5855524/


ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町とは、世界で唯一古来からの【たたら製鉄】の伝統技術を 守る町です。【第一話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5764450


ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町  日本農業遺産認定 ~たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業~【第二話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5782896


ZIPANG-3 TOKIO 2020「神々からの贈り物 『奥の地』 奥出雲町の文化的景観とは【第三話】黄金に輝くいなた」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5818274



企画展「出雲と吉備」


開催趣旨

古代の出雲と吉備は、畿内と北部九州の中間にあって、弥生時代以来、大陸との交渉、列島における東西交通や各地域との交流の窓口として重要な地域だったと考えられています。


両地域に独自の文化や政治勢力が生まれた背景には、弥生時代後半に見られる相互の交流だけでなく、6世紀後半以降の朝鮮半島をめぐる東アジア情勢の緊迫化に対する倭王権の対応という地政学的な理由があり、両地域はとりわけ重要な地域であったことが、記紀神話や伝承からも読み取ることができます。


本展では、他地域に先駆けて青銅器祭祀から弥生墳丘墓を舞台とする儀礼へ転換する弥生時代後半期と、倭王権が地域支配を強めていく古墳時代後期以降という特徴ある二つの時代の出土品を中心に、出雲・吉備地域の形成や統合の過程、地域間交流や王権との関係性を紹介します。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 企画展「出雲と吉備」の開催について
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37451220/



世界遺産 熊野古道のまち『紀北町』伊勢路を行く


伊勢神宮正宮は正殿を中心に.!

三重県の伊勢神宮から熊野三山へ通じる総延長約170kmの参詣道。近世、伊勢参宮のあとに西国巡礼の人がよく利用しました。


紀北町は伊勢(田丸)から熊野三山へ向かう道中にあり、「馬越峠」「始神峠」「三浦峠」「荷坂峠」「ツヅラト峠」の5カ所を歩くことができます。


伊勢を出発して、ひらすら山の中を歩いてたどり着いた紀北町で、初めて海が臨める景色が目に入ると、疲れも吹き飛ぶ真青な空と岬と入り江が複雑に入り組み観る人を楽しませてくれるリアス式海岸の緑と青の景色が目の前に広がります。


所々に浮かぶ筏は、紀北町の人々が古くから海洋と関わってきたことを教えてくれているようです。


熊野古道 紀北町「伊勢路(いせじ)」へご案内いたします。

紀伊の国の玄関口である紀北町の5つの峠と魅力溢れる景色が、きっとあなたを癒し魅了することでしょう。


歴史の道を踏みしめながら、熊野灘の雄大な眺めに代表される自然美と、そこに暮らす人情豊かな人々との交流も楽しみの一つです。


紀北町の歴史

紀北町は日本でも有数の多雨地帯の中にあるため、見事な森林を育成させ、夏は涼しく冬は温暖の地です。伊勢志摩、吉野熊野国立公園の中間に位置し歴史と伝統を誇る町です。古く歴史を遡れば、当地方は志摩国に属していましたが、そのあと全町が伊勢神宮の御領地となっていました。


南北朝時代には、南朝に味方する勤皇家も多かったのですが、やがてその勢力も衰微し、戦国時代の天正10年(1582)、新宮の堀内氏善の北進によって、当地方一帯は紀伊の国になりました。関ヶ原合戦のあと、紀伊藩主浅野氏が領主となり、元和五年(1619)に徳川頼宣が入国して、徳川御三家と称されました。 今の紀伊長島地区は藩政時代に入ると長島浦は島勝、白、三浦、海野、道瀬、錦の六浦と二郷村、赤羽郷五箇村の七浦六村で長島組を形成しました。


世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。


紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。


さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。


これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられています。


このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。


参詣道(さんけいみち)


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 世界遺産 熊野古道のまち『紀北町』伊勢路を行く」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6648461



吉野熊野国立公園の魅力に迫る


西大台ケ原


吉野熊野国立公園は、昭和11年2月1日に指定され、平成28年2月1日に指定80周年を迎えました。また平成27年9月24日には、和歌山県串本町からみなべ町にかけて、海岸と海域を中心に大きく区域が拡張されました。


熊野川と北山川の合流

幽玄の山々、深い渓谷、黒潮流れる南海
 ~紀伊半島の多様な自然と悠久の歴史・文化に出会う~

指定:昭和11年2月1日 面積(陸域のみ):61,406ha 三重県、奈良県、和歌山県

吉野熊野国立公園は、山岳、河川、海岸からなる変化に富んだ公園で、近畿の屋根とも称される半島の中央部を南北に走る大峰山脈とその東側に位置する大台ヶ原、大杉谷、また、これらの山岳を源とし、激しく侵蝕しながら熊野灘に注ぐ熊野川、北山川の中、下流域、尾鷲から潮岬にかけての本州最南の熊野灘にのぞむ海岸線、及び熊野信仰の古い歴史によって守られてきた那智山等から成っています。


また、一部地域が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に、北部の一部地域が生態系の保全と持続可能な利用活用の調和を目的としたユネスコエコパークに登録され、さらに、和歌山県の南紀熊野地域が日本ジオパークに認定されています。


地形・景観

山岳地域 大峰山脈は、標高1,915mの八経ヶ岳を最高峰に、稲村ヶ岳、山上ヶ岳、大普賢岳、行者還岳、弥山、仏生嶽、釈迦ヶ岳、大日岳、天狗山などの標高1,900~1,500mの山々が連なる関西を代表する山岳地域です。


大台ヶ原は、古生層、中生層の堆積岩からなり、標高1,500m前後に広大な平坦面をもつわが国ではまれな非火山性の隆起準平原です。地区内を流れる東ノ川が深いV字渓谷をつくり、滝や岩壁が連なっています。


大台ヶ原の東には大杉谷があり、水成岩の斜面が大きく侵蝕、流下し、千尋滝、ニコニコ滝、七ツ釜滝等、大小100に達する滝や淵が連続します。


河川地域 我国有数の多雨地帯である大峰、大台ヶ原の豊富な水を集め、熊野灘に注ぐ熊野川及び支流の北山川の中・下流域では、激しい浸食作用によりほぼ全域にわたり深いV字谷となっています。


北山川の中流にあたる瀞峡は、大峰山脈や大台ヶ原を源とする熊野川の支流である北山川下流域の峡谷で、上流から奥瀞、上瀞、下瀞に分かれ、そのうち下瀞が「瀞八丁」とも呼ばれています。


マグマで硬くなった地層が浸食されて垂直に切り立った絶壁や奇岩、深い淵が連なる変化に富んだ景勝地で、ウォータージェット船などで類い希なる渓谷美を探勝することができます。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「吉野熊野国立公園と吉野熊野国立公園指定80周年記念展~吉野熊野国立公園の魅力に迫る~」
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※現在、2700件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
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ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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