絶賛!映画上映中
空前の大ヒット作品【国宝】
日本伝統の歌舞伎~芸に生きる~
世界最古のカンヌ国際映画祭において、世界中の映画関係者が感嘆!
極道と梨園。生い立ちも才能も違う若き二人の役者が、芸の道に青春を捧げていく。
そして、芝居だけに生きてきた男たちは、命を賭してなお、見果てぬ夢を追い求め……。
(C)吉田修一/朝日新聞出版 (C)2025 映画「国宝」製作委員会
映画『国宝』のストーリーとテーマ
『国宝』は、日本の文化財を巡る物語であり、歴史的な背景や人々の思いを描いた作品です。映画は、主人公が国宝と呼ばれる遺産を守るために奮闘する姿を通じて、文化の大切さや、伝統の継承についてのメッセージを伝えています。
観客は、主人公の成長や葛藤を通じて、日本の美しい精神文化に対する理解を深めることができます。
芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をダブル受賞した本作は、任侠の家に生まれながらも、上方歌舞伎の大名跡の一門に入り、芸の道に青春を捧げた名もなき少年が、その頂点へと登りつめ、命を賭して国の宝となるまでを描く壮大な物語です。
吉田修一の最高傑作『国宝』(上下巻/朝日文庫/2021年9月刊)が、主演に吉沢亮さんを迎え、2025年、全国東宝系にて公開されています。吉沢さんの写真をあしらった映画化の新帯で重版、全国の書店にて展開中。
満開の桜を背景にした吉沢さんは、すでに物語の主人公を彷彿とさせます。
ぜひ、書店でお確かめください。
また同時に誰もが映画化は難しいであろうと考えていたストーリー、監督の精魂込めた粘り強い、役者の心の奥の奥に潜む究極のかすかな光を探り当てひき出してゆく演技指導…全出演者の鬼気迫る迫真の演技を劇場の大スクリーンでご覧になられることをお勧めいたします。
2017年から18年に朝日新聞で連載され大反響を呼んだ『国宝』。吉田修一が歌舞伎の世界に挑んだ本作は、日本文学の伝統に脈々と流れる芸道小説の金字塔にして、『悪人』『怒り』に次ぐ最高傑作と言われています。
2021年に文庫化された本作が、主演に吉沢亮、監督に李相日、脚本に奥寺佐渡子を迎え、映画化され、現在(2025年)全国東宝系にて絶賛公開中です。
世界最古の国際映画祭「カンヌ」においても上映
日本映画「国宝」が、世界中の映画関係者が集まるカンヌで上映。
終演後には6分に及ぶスタンディングオベーション、巻き起こる拍手の嵐、観客の日本伝統文化・芸道への憧れや尊敬の念は、歴史ある国際映画祭始まって以来とも思える程の称賛となって表れたのでした。
芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞をダブル受賞した本作は、任侠の家に生まれながらも、上方歌舞伎の大名跡の一門に入り、芸の道に青春を捧げた名もなき少年が、その頂点へと登りつめ、命を賭して国の宝となるまでを描く壮大な物語です。
朝日文庫既刊の原作に吉沢亮さんの写真をあしらった新帯を巻いて、全国の書店でご購入いただけます。
※書店に在庫がない場合は、映画帯希望の旨を添えて各書店あるいはASA(朝日新聞販売所)にご注文ください。
※各ネット書店でご注文の際には、映画帯の付いていない場合がございます ので十分ご注意ください。
◆原作情報
作家生活20周年の節目を飾る芸道小説の金字塔。
『国宝』上・下
著者:吉田修一
レーベル:朝日文庫(朝日新聞出版 刊)
判型:文庫判
定価:上・下共に880円(本体800円+税10%)
ページ数:上408ページ・下432ページ
◆映画『国宝』情報
2025年全国東宝系にて公開中
主演:吉沢亮
監督:李相日
脚本:奥寺佐渡子
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
京都 南座
吉田修一/朝日新聞出版
2025 映画「国宝」製作委員会
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
国の登録有形文化財に登録
映画『国宝』に登場 京都南座
京都「南座」もとい、日本の「南座」の格式のあるファサード
京都の歴史的景観に溶け込んだ桃山風破風造りの 近代名建築の外観を維持保存し平成 30 年(2018 年) 耐震強化を図ってあります。
流石に檜舞台の中の檜舞台。このような舞台に立てるのは、役者冥利に尽きますね~
「大播磨〜っ!」ついファンなので・・・血が騒ぎます。
日本最古の歴史をもつ劇場「南座」について
歌舞伎の祖・出雲の阿国が「かぶきをどり」を演じたとされる京・四条河原に建つ南座は、 元和年間(1615~1621)に官許された七つの櫓(芝居小屋)の歴史と伝統を受け継ぐ劇場として、江戸時代から平成の今日まで歌舞伎発祥の地で悠久四百年にわたり歌舞伎を上演し続けてきた、日本最古の歴史を有する劇場です。
明治39年より松竹の経営となり、京の年中行事である顔見世興行の連綿たる伝統を守るとと もに、大正2年、昭和4年の二度の改築を経て、元和以来の歴史を受け継いでいるのです。
昭和4年(1929)に当時の技術の粋を尽くして竣工した現在の南座は、官許の証である櫓を備 えた桃山風、破風造の外観を特徴とする建築であり、日本を代表する劇場のひとつとして、 戦前、戦中、戦後の混乱期にも演劇の灯を絶やすことなく、建築以来八十余年の風雪に耐え て皆様に愛されて参りました。さらには耐震補強大規模改修工事を終え、平成 30 年(2018 年) 秋竣工した現在の京都・南座は、京都の歴史的景観に溶け込んだ桃山風破風造りの 近代名建築の外観を維持保存し耐震強化を図ってあるのです。
京都の歴史的景観に溶け込んだ名建築は、国の登録有形文化財に登録され、京都市の歴史的意匠建造物にも指定されております。
日本を代表する国際文化都市・京都に立地し、日本最古の歴史を持つ劇場・南座の価値を最大に活かして次代に継承発展することをコンセプトに「伝統的な古典芸能」から「新たなライブ・エンタテインメント」まで、年間を通して幅広い文化を国内外へ発信する劇場へと新たに生まれ変わった京都「南座」。
2020年東京オリンピック・パラリンピック、さらには2025年の大阪万博とともに日本の京都「南座」に注目したいものです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「日本最古の歴史をもつ劇場南座『京都ミライマツリ 2019』に最新テクノロジー+現代カルチャーのネイキッド参加!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5920503/
明治34年開館 近畿最古の芝居小屋
✜ 出石永楽館 ✜ (1)
映画『国宝』に登場
出石永楽館 内観 外観も素敵ですよ!下記URLよりご覧ください。
1階、2階あわせ350席ありますが、現在はコロナウイルスの対策から130席にて営業です。
2階席上の壁には、当時そのままの看板が掛けられており、懐古感の演出が行き届いている。
一度は閉館するも、44年の時を経て奇跡の復活を遂げた出石永楽館。
全盛期の大正時代の姿が忠実に復元された、貴重な劇場機構は必見です。
出石永楽館は、明治34年に開館した近畿最古の芝居小屋です。歌舞伎をはじめ新派劇や寄席などが上演され、 但馬の大衆文化の中心として栄えましたが、テレビの普及や娯楽の多様化などにより昭和39年に閉館しました。
その後、地元から復活を望む声が高まり、約20年にわたる復原に向けた活動を経て、平成20年に44年の時を経て蘇りました。
歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが出演する永楽館歌舞伎は、今や出石の一大イベント。 初日を前に行われるお練りには、出石の人口を遥かに超える4万人もの人々が詰めかけます。
片岡愛之助と言えば、半沢直樹シリーズで演じるオネエキャラ…金融庁の黒崎監査官が台湾でも大変な人気だそうで・・・
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020「古事記」「日本書紀」にも登場する日本の小さな城下町〜古代の面影を保ち続ける出石町の佇まい〜(その1)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10385300
出石の四季と歴史(2)
花郎(ファラン)「世俗五戒」の精神が現代に生きる・・・
出石の四季
秋の日
出石では、これから本格的な秋の始まりです・・・
冬の日
出石では、秋の日は短く、人々が知らぬ間に去って行く・・・
夏の日
あれあれ~出石では、冬が終わるといきなり夏になるのかい?春は?
❨四季じやなくて三季??❩
・・・これには深いワケがありまして・・・
春の日
花は桜木 山は富士 出石を見守る 出石川と出石神社
但馬開発の祖神を祀る山陰有数の大社
「いっきゅうさん」の呼び名で親しまれる出石神社は、「古事記」「日本書紀」にも名を連ねる山陰有数の大社です。
但馬国一の宮に位置づけられ、ご祭神は天日槍命(あめのひぼこ)。
天日槍命は、但馬開発の祖神とされる神様です。
新羅の国の王子として生まれた天日槍命は、妻を追って日本に渡来し、 そのまま但馬国に留まり土地を拓いたと伝承されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 ~ 出石の四季と歴史 ~花郎(ファラン)「世俗五戒」の精神が現代に生きる・・・(その2)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10415385
出石の見どころ
出石藩 きもの祭りとは(3)
出石の見どころ
明治より時を刻む日本最古の時計台
辰鼓楼
辰鼓楼(しんころう)は、出石城旧三の丸大手門脇の櫓台にある、日本最古と伝わる時計台です。本体は明治4年(1871年)、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣として建てられました。辰の刻(7時から9時)の城主登城を、太鼓の音で知らせていたとも言われています。
現在の時計台の姿となったのは、明治14年(1881年)のこと。 城下町で開業していた蘭方医、池口忠恕が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをしました。
池口はそのお礼として、私費でオランダ製の機械式大時計を取り寄せて寄贈しました。寄贈にあたり、町の青年二人を東京に派遣して、時計作りやメンテナンスの技術を学ばせたとも伝わります。
蘭方医と町の人々との交流がきっかけで生まれた時計台。 今では3代目の時計が、出石のシンボルとして時を刻み続けています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 出石の見どころ~着物で散策~出石藩 きもの祭りとは・・・(その3)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10533782
出石(寄稿文)
紫衣事件!
悲劇の主人公 ・ 沢庵和尚の人徳を偲ぶ秘話
先ず、紫衣事件に因む沢庵和尚流配の地についてご紹介を致します。(畏れながら私こと色紐子は近隣に住まう者として、一言嘴を挟みたくご無礼のお赦しを…)
山形市に隣接するかみのやま温泉は県下では一、二を競う有名な温泉地帯です。この場所は、湯町,新湯,河崎温泉,高松温泉,葉山温泉の 5 地区の総称ですが、近年は十日町温泉や、新湯温泉等を加えるようです。
当地は真正面に聳える雄大な蔵王山塊と間近に対峙し、特に葉山温泉地区からの眺望は見事です。
此処には古い城下町があり、実は本記事が触れている紫衣事件の最大悲劇の主人公・沢庵和尚ゆかりの地なのであります。
〜沢庵和尚の出自と運と才能〜
沢庵和尚こと沢庵 宗彭(たくあん そうほう・1571ー 1646) は、但馬国出石(現兵庫県豊岡市)に生まれ、幼少から出石町にて寺奉公した後、縁あって住職昇進のお供で京の都、五山の筆頭、南禅寺と並ぶ大徳寺※ にて更に修行を積み、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて臨済宗大徳寺の第154世住持へと駆け上りました。
※京都五山(きょうとござん)とは、臨済宗の寺院の寺格で、別格とされる南禅寺とともに定められた京都にある五つの禅宗の寺院。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 紫衣事件! 悲劇の主人公 ・ 沢庵和尚の人徳を偲ぶ秘話が面白い【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9784846
出石(特別編1)
圓覚山宗鏡寺(通称沢庵寺)
宗鏡寺の歴史
圓覚山宗鏡寺(通称沢庵寺)は、 出石町東北、入佐山にあり、開山は京都五山の一つ東福寺の大道一以 (だいどう いちい) 禅師でした。
代々、出石城主の菩提寺でありました。
開基は1392年に、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公によって、建てられました。寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を 以って名づけたと伝えられます。
当寺は、山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃したのです。
1616年、小出吉英の援助の元、沢庵和尚を招き、再興されました。
(沢庵和尚紫衣事件は1629)
以来、京都紫野大徳寺派の但馬における中本山として、現在に至ります。
本来、出石出身の沢庵は才に長けて京の都大徳寺でも精進して注目を浴びる存在でしたが、再び故郷へ呼び戻された訳ですね?
それ故、沢庵和尚は開山…寺院を開いた第一世住持。 開基…寺院を創建した人物…となりました。
沢庵和尚の故郷の寺であることから「沢庵寺」と呼ばれ、
人々に愛されるのです。
さて、もう一度沢庵和尚の
数奇な人生を辿ってみましょう!
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 圓覚山宗鏡寺(通称沢庵寺)と沢庵和尚の生い立ちとその風土…生活の美意識(その1)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9808411
出石(特別編2)
宗鏡寺と宮本武蔵心の師 沢庵和尚
出石城下町の名刹宗鏡寺は、室町時代に但馬守護大名山名氏の菩提寺として創建されました。 しかし、山名氏の治世後、江戸時代に入る頃には荒れ果てていました。見かねた出石出身の沢庵和尚が、親交のあった出石藩主に再興を勧め、寺は再建されることとなりました。
晩年には沢庵が小さな庵を設けて暮らしたことなどから、城下町の人々から親しみをもって「沢庵寺」と呼ばれ、現在も臨済宗大徳寺派の禅刹として広く知られています。
是非、現地で動乱の時代を生きた沢庵和尚の生涯に触れてみて下さい。
沢庵和尚
柳生宗矩・宮本武蔵の剣は心身鍛錬の師匠・沢庵禅法に依るものです。出石に生まれ、漬物の "たくあん漬" は自ら創作し、広めたものと伝えられています。
宗鏡寺には沢庵和尚が作られた「鶴亀の庭」や「心字の池」、和尚お手植えと言われています 「胡蝶わびすけ」、和尚の夢に出てきたとされる「夢見の鐘」等が現存しています。
また、48才から8年間過ごした「投淵軒」では数多くの和歌をつくり、書物をあらわしました。
昨夜は寝ぼけて夢でも見ていたのか⁉あと丁度半分と申し上げましたが、今朝確認してみると何とまだ三分の一も紹介できてなくて…まるで狐につままれたような気分でした・・・
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