「一盌(わん)からピースフルネスを」の理念を提唱
茶の湯を介して日本伝統文化に貢献した茶道裏千家の前家元、千玄室(せん・げんしつ)
大宗匠が8月14日午前0時42分、死去した。102歳の生涯であった。お別れの会を行うが日取りなどは未定。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ZIPANG TOKIO 2020 編集長 鎹八咫烏
金沢で心を込めておもてなしします
全国から金沢に集まった学生たちが、市内10か所でお茶会を開催。
茶の湯文化が息づく「茶の湯のまち・金沢」で、金沢の茶の湯文化や茶室の魅力を広く発信することを目的に、大学茶道部による茶会を8月30日、31日の2日間開催します。
金沢からは金沢大学・金沢学院大学・金沢美術工芸大学が参加し、全国から北は北海道、南は九州まで、計27大学が参加します。
また、今年は8月30日の夕方から夜間にかけて、松涛庵と玉泉庵の2会場にて 「夜の茶会」も開催します。
服装自由、持ち物不要です。どなたでもお気軽にお越しください。
開催概要
住所 石川県金沢市
料金 大学生以下1席500円、一般1席1,000円
定員(収容人数) 各茶室1席につき16~30名
所要時間 約30分
問い合わせ先
全国学生大茶会実行委員会事務局
電話番号 076-220-2442
開催日 2025年8月30日(土)、8月31日(日)
開催時間
市内茶室9会場
(松涛庵、旧中村邸、耕雲庵、閑清庵、松声庵、旧園邸、旧高峰家、玉泉庵、時雨亭)
1席目 10:00~、2席目 11:00~、3席目 12:30~、4席目 13:30~
立礼席(しいのき迎賓館、明治安田ヴィレッジ金沢)
1席目 10:00~、2席目 10:50~、3席目 11:40~、4席目 13:00~、5席目 13:50~
夜の茶会(松涛庵、玉泉庵)
8月30日 1席目 18:30~、2席目 19:30~
会場名
松涛庵、旧中村邸、耕雲庵、閑清庵、松声庵、旧園邸、旧高峰家、玉泉庵、時雨亭、
しいのき迎賓館(しいのきプラザ)、明治安田ヴィレッジ金沢
参加大学
※1席あたりの定員です
事前予約
あり(8月28日(木)予約締切)
全国のローソン店舗のLoppi(ロッピー)で購入、
またはローソンチケットHPにて受付(支払い&チケット受け取りは店頭のみ)
購入いただいたチケットの払い戻しや、日時・会場の変更はできませんので、予めご了承ください
※定員に達したお茶席は、受付を終了いたします。
※当日、席に余裕がある茶室では、会場受付で当日券を販売いたします。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
茶道 裏千家
茶道 表千家
文化庁
石川県
金沢市
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
金沢の四季
金沢の維持向上すべき歴史的風致
金沢の歴史的風致は、その風土と歴史に根ざした都市構造を基盤とする歴史的建造物や歴史的街並みとともに人々の生活、生業として現在も営まれている伝統行事、伝統文化、工芸技術(伝統産業)が一体となって形成される良好な市街地環境です。
近世城下町の構成資産として、金沢城跡、兼六園、これらと一体の辰巳用水、都市の骨格を成す惣構堀などが良好に遺存するほか、寺院群の景観及び伝統的な町並みも良好に保存されています。
また、城下には能楽や茶の湯など近世以来の伝統文化をはじめ、金工・漆芸・象嵌などの工芸技術が現在に継承され、市民生活に浸透しており、城下町及び伝統文化・精神性が融合した貴重な文化遺産群及び文化的景観であります。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 「金沢の歴史的風致と特別名勝 『兼六園』」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7443318
「原始、女性は太陽であった」 平塚らいてう
今年注目すべき印旛エリアの歴史を深掘り、 春のイベント情報を公開!
新五千円札の顔「津田梅子」ゆかりの地として今年注目の佐倉市。かつては、江戸の東を守る要衝として「佐倉城」が置かれ城下町として栄えました。今も旧大名の旧宅や武家屋敷群が残るほか、蘭学のまちとして栄えた歴史的な背景も!
今回は、佐倉を中心とした歴史深い印旛エリアの魅力や注目スポット、さらに春を感じるイベント情報もご紹介します!
<日本初の女子留学生、女子高等教育のパイオニア「津田 梅子」>
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020 新五千円札の顔 「津田梅子」 ゆかりの地・佐倉周辺の歴史さんぽ
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/51777273/
~ 伝統は進化する ~
『美しい食文化』の極致とは・・・
「つば甚最古の部屋」 つば甚としてつくられた部屋のなかで一番歴史があり、江戸末期の頃につくられたとされる部屋です。 床柱としては非常にめずらしい石榴(ざくろ)を使うなど、当時の工匠のこだわりを見ることができます。 また部屋にかけてある書は、近代日本画壇を代表する画家・横山大観が泊まられた際に揮毫された書。
金沢ゆかりの茶人として知られ江戸末期から明治初期にかけて薬種商を営んだ亀田是庵。
その亀田是庵が表千家の茶室「不審菴」を模してつくった茶室を移築した茶室です。 二畳台目出炉の茶室で、亀田是庵と親交のあった裏千家十一代家元・玄々斎が度々茶を楽しんだと言われています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 古今折衷 ~ 伝統は進化する ~ 『美しい食文化』の極致とは・・・
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7580582
加賀藩御用達の湯「湯涌温泉」(Ⅰ)
山間に九件のお宿が佇む静かな湯の里
金沢にこんな温泉があったのか⁉と思わず唸る山里の秘湯。
加賀藩のお殿様が足繁く湯治に通ったという湯涌の名湯。
海の幸、山の幸をふんだんに使用した加賀料理が楽しめる宿が多く、
永い歴史に培われたおもてなしのこころ…
金沢の奥座敷にふさわしく、落ち着いた雰囲気の中、お過ごし頂けます。
歴史とロマンの名泉、湯涌温泉(ゆわくおんせん)へ・・・
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 加賀藩御用達の湯「湯涌温泉」(Ⅰ)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/44773948
「湯涌温泉」
山間に九件のお宿が佇む静かな湯の里(Ⅱ)
「湯涌温泉」というのは、金沢市湯涌町、湯涌荒屋町にある温泉地です。金沢市内の中心部とは違って、自然豊かな山あいの街にひっそりと佇んでいます。市内中心部の「兼六園」からは車で約20分程。主な観光地を一通り巡ってからでも充分訪れることできます。
バスの場合は始発が金沢駅東口(兼六園口)で、「湯涌温泉」ゆき(ほくてつバス)に乗車、約55分程度で到着できます。
江戸時代の頃には、加賀藩主をはじめ加賀藩の一族がよく訪れたとしても知られています。明治時代以降には、あの竹久夢二をはじめとしたたくさんの文人、墨客も訪れています。窓から眺められる景色は自然がいっぱい!心も身体も癒されるひと時が過ごせるでしょう。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 加賀藩御用達の湯 「湯涌温泉」山間に九件のお宿が佇む静かな湯の里(Ⅱ)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/45075867
氷室開き
「氷室の朔日」と呼び徳川家に氷を献上
加賀藩とは
加賀藩は、江戸時代に加賀・能登・越中(富山県)を統治していた藩で、藩主は前田家です。
前田家の初代(加賀藩祖)は、利家で、前田家は、加賀藩1代目の利長から13代目の慶寧(よしやす)まで、約260年にわたり加賀藩を治めてきました。
江戸幕府を除くと、日本で一番大きかった藩が加賀藩(102万石)で、いわゆる加賀百万石と言われる所以です。
前田家の初代の利家は、織田信長に仕え、豊臣秀吉の時代には、徳川家康と並ぶくらいの高い地位(五大老の一人)にありました。
秀吉の死後、徳川家康は新しい体制を作ろうと暗躍するのですが、利家は豊臣寄りだったこともあり、家康との対立が度々ありました。
そのため、徳川幕府になってからも、加賀藩は幕府から謀反(むほん)を疑われ、加賀藩は謀反を疑われないよう自分の藩や土地を守るということに尽力しました。
加賀藩は、徳川幕府の顔色を伺いながらも、日本一の石高(102万石)を獲得し、それを死守するという、バランス感覚と立ち回りが上手い藩だったようです。
参考文献:
・能登印刷出版部 「金沢謎解き街歩き」(実業之日本社,2015年)
氷室開き
江戸時代加賀藩が徳川家に雪氷を献上していた歴史に由来する伝統行事です。
毎年、冬に詰めた雪をこの日に切り出します。金沢では7月1日に氷室饅頭を食べ、一年の健康を祈る習慣があります。
金沢 湯涌温泉「氷室小屋」。
「所変われば品変わる」とはよく言ったものである。同じような小屋でも大分・別府温泉(別府八湯の明礬温泉)では「湯の華」採取の小屋だった・・・
江戸時代には氷は非常に貴重であったため、冬になると「氷室」と呼ばれる貯蔵庫(氷室小屋)に雪を詰め、保管していました。そして、旧暦6月1日を「氷室の朔日」と呼び、保管していた雪氷を切り出して、徳川家に氷を献上していました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 【氷室開き】 江戸時代加賀藩が徳川家に氷を献上していたことに由来する伝統行事
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/44764560
後鳥羽天皇の源故郷
水無瀬神宮について
天王山※¹の麓、北摂の住宅街の中に鎮守の杜に囲まれた神社。
自然の恵みを感じること、それは「あたりまえ」に対する感謝の心。
四季を感じ自然の恵み、命の源、水への感謝の心を感じる時間が流れる。
※1 後年の軍記に、南北朝や応仁の乱では戦略上の要地として当地は争奪の舞台となり山城も築かれる。特に有名な故事として「天下分け目の天王山」とする言葉は天正10年(1582年)6月に信長を討った明智光秀に対する仇討ちを企てた秀吉の戦いはこの天王山で繰り広げられた。…とある。
御由緒と御神徳
当宮は鎌倉時代、時の流れに翻弄され遠く都を離れた隠岐、佐渡、阿波でお隠れにになった三天皇の御霊を弔うために後鳥羽天皇縁りの水無瀬の地に建立された。
この地は、後鳥羽天皇が都から足繁く通われた「わがふるさと」と思し召された水無瀬の離宮跡であり、「後鳥羽天皇御手印置文」(※²)隠岐での19年の年月を過ごされていてもなお忘れることのできない思い出深い土地である。
この水無瀬は都から近く、淀川を利用して船の便もあり、桜、山吹、菊なども多く、また木津、宇治、桂の三川の合流点、しかも両岸に小高い山々が迫り、眺望が非常に美しい土地であり多くの歌や文学も生まれ後鳥羽天皇の命により編纂された勅撰和歌集「新古今和歌集」は有名である。
後鳥羽天皇は生前、多芸多能、文武両道にすぐれた才能を発揮されたので、朝廷、武家からも崇敬され現在も学問、スポーツの神として崇められている。
また、正平二年(1347)五月には、足利直義(尊氏の弟)が夫人の安産祈祷を行い無事男児をもうけており、それにより今でも安産祈願の申し込みは多く、社頭で腹帯の授与もしている。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 後鳥羽天皇の源故郷~水無瀬神宮~(その1)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18848897
水無瀬神宮~招福の風と音と水~
夏の風物詩、風鈴の音は元々お祓いで使われていました。風に乗ってやってくる災いを祓い健康と幸福を運ぶ音色です。
風鈴の間を通り抜け本殿にお参りしてください。
風鈴の短冊を見てください。風鈴には皆様の感謝の思いが綴られています。
改めて感謝を考えると本当に自分の大事なことに気づくことがあります。
人の書いた感謝の心が自分心を癒すこともあります。自分の感謝が誰かの力になれるときがあります。
感謝の言霊(ことだま)が皆様の力になれるよう願っています。
祭典(式典)
裏千家『献茶式』
茶道裏千家家元 千 宗室 氏
裏千家『献茶式』 茶道裏千家家元 千 宗室 氏 水無瀬神宮 祭典にて
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020水無瀬神宮 ~招福の風と音と水~「見渡せば山もと霞む水瀬川夕べは秋となに思ひけむ」(その2)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18953112
独自の流派「不昧流」を確立
松江藩七代藩主 松平不昧公好み【明々庵】
「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」 不昧公
松江に茶の湯文化を広めたのは、松江藩松平家7代藩主・松平治郷(不昧公)。藩の財政改革に注力する一方で、当代一の茶人として、作法やしきたりに縛られ過ぎない独自の流派「不昧流」を確立しました。
肩肘張らない茶道は庶民にも親しまれ、同時に和菓子文化も醸成。令和の時代の今も、松江の一般家庭では日常的に抹茶や和菓子が楽しまれています。
そんな松江の和菓子は数々の賞を受賞するなど評価が高く、味はもちろん目でも楽しめる芸術品として多くの人に愛されています。
松平不昧公
歴代の松江藩主の中で、松江藩中興の祖とされるのが、大名茶人として名高い松平家7代藩主の松平治郷(1751~1818年)です。「不昧公※」の名で今も多くの人に親しまれていますが、これは1806年の隠居後に剃髪して名乗った号「不昧」からきています。
※宝暦元年(1751)~文政元年(1818)雲州松江藩七代藩主、幼名を鶴太郎、名を治郷(はるさと)といい、未央庵(みおうあん)・一々斎(いちいちさい)・宗納(そうのう)・不昧などの号をもっている。
不昧の号は、江戸天真寺の大顛和尚(だいてんおしょう)が、無門関百丈野狐(むもんかんひゃくじょうやこ)の章「不落不昧(ふらくふまい)」から命名したもので、公は特にこの号を愛用した。
藩主となった当時の松江藩は財政難でした。治郷の父・宗衍は財政改革を推し進めましたが、度重なる天災、幕府から命じられた社寺改修といった出費のため成果は上がらず、1767年に数え年17歳だった治郷に後を託して隠居しました。
治郷は家老に朝日丹波郷保を起用し、「御立派の改革」と呼ばれる財政再建策を進めさせました。藩内での借金を棒引きにするなどの債務整理や、藩の人員体制見直しといった歳出削減に大なたを振るいながら、薬用人参や櫨蝋の栽培をはじめとする産業振興策で収入増を図り、藩の財政を立て直したのです。
その一方で治郷は、十代のころから茶の湯や禅学を熱心に学びました。大名茶として知られる石州流を基本としながら、三斎流など他の流派にも接して自らの茶道観を確立しました。これが不昧流として今も伝わっています。
著書「贅言」は、茶の湯への執心を諌めた家老朝日丹波への反論で、形式や道具にこだわる当時の町人たちの茶の湯を批判し、わびの精神を説きました。
藩財政立て直しの後は、当時の大名家などから次々と巷に散逸していく茶道具の収集に力を注ぎました。その収集品はのちに「雲州名物」と呼ばれ、茶の湯や美術の愛好家から高い評価を受けています。
茶の湯の歴史における治郷の大きな功績は、それまで単に「名物」と呼ばれていた茶道具の名器をさらに細かく「宝物」「大名物」「中興名物」などと分類し、18巻にも及ぶ著書「古今名物類聚」にまとめたことです。また、松江藩内で美術工芸の振興も図り、陶芸や漆工、木工の世界で多くの名工を育てました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-9 TOKIO 2020 松江藩七代藩主 松平不昧公好み【明々庵】
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/54569829
茶道 裏千家 千玄室 前家元が若かりし頃禅の修行をした
禅宗の名刹「大徳寺」
後醍醐天皇から「本朝無双之禅苑」と評された禅宗の名刹、大徳寺は大燈国師によって1326年に創建されました。 一休宗純や沢庵宗彭などの名僧を輩出したほか、千利休や狩野永徳など後世の日本文化に多大な影響を及ぼした人物たちが活躍した場でもあり、数多くの貴重な文化財を今に伝えます。
まずは、2024年3月より、京都でも有数の規模を誇る禅宗寺院「大徳寺」内にある塔頭寺院「黄梅院」、「興臨院」、「総見院」の春季特別公開を順次開催いたします。
大徳寺は織田信長や豊臣秀吉など戦国大名ゆかりの地で、その戦国武将に仕えた茶聖 千利休や日本美術史上の重要人物の一人、狩野永徳を代表とする狩野派などが活躍した当時の文化の最先端であり、後世の日本文化に多大な影響を与えた場所です。
毎年春と秋に特別公開する黄梅院、興臨院、総見院では、その季節ならではの風景の移り変わりとともに、通常非公開である建造物や重要文化財を拝観できるため、観光シーズンには全国から多くの拝観者が集まり賑わいを見せます。
次に、大徳寺本坊 伽藍が2024年4月25日(木)より特別公開します。昨春に盛況だった企画が今年グレードアップして開催されます。
本公開では、寛永13年(1636)に建てられ「一切経」など経典を納める「八角輪蔵」がある「経蔵」(重文)を初公開します。通常一般非公開である、聚楽第の遺構と伝わる国宝の唐門、狩野探幽が「雲龍図」を描いた法堂(重文)、金毛閣(重文)などを解説付きでご案内します。
最後に、地蔵信仰・壬生狂言・新撰組のキーワードで知られる壬生寺が4月27日(土)〜5月5日(日)の期間に公開します。心地良い春の季節、日常の喧騒を忘れ、新緑を愛でながら贅沢な拝観の時間をお過ごしいただけます。
0コメント