わたしたちの暮らしと住まいを見つめ直す展覧会
リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s
LIVING Modernity: Experiments in the Exceptional and Everyday 1920s–1970s
2025. 9. 20 Sat. - 2026. 1. 4 Sun.
©Ⅿasaki Tada
主 催 兵庫県立美術館、日本経済新聞社
1920 年代以降、ル・コルビュジエやルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエといった多くの建築家が、時代とともに普及した新たな技術を用いて、機能的で快適な住まいを探求しました。その実験的なヴィジョンと革新的なアイデアは、やがて日常へと波及し、人びとの暮らしを大きく変えていきました。
「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」と題した本展覧会は、当代の暮らしを根本から問い直し、快適性や機能性、そして芸術性の向上を目指した建築家たちが設計した、戸建ての住宅をご紹介するものです。
1920年代から70年代にかけて建てられたそれらのモダン・ハウスは、国際的に隆盛したモダニズム建築の造形に呼応しつつも、時代や地域、気候風土、社会とも密接につながり、家族の属性や住む人の個性をも色濃く反映しています。
理想の生活を追い求めた建築家たちによる暮らしの革新は、それぞれの住宅に固有の文脈と切り離せない関係にあるのです。一方、それらの住宅は、近代において浮上してきた普遍的な課題を解決するものでもありました。
身体を清潔に保つための衛生設備、光や風を取り込む開放的なガラス窓、家事労働を軽減するキッチン、暮らしを彩る椅子や照明などの調度、そして住まいに取り込まれた豊かなランドスケープは、20世紀に入り、住宅建築のあり方を決定づける重要な要素となったのです。
そして、こうした新しい住まいのイメージは、住宅展示や雑誌などを通じて視覚的に流布していきました。
本展覧会では、20世紀に始まった住宅をめぐる革新的な試みを、衛生、素材、窓、キッチン、調度、メディア、ランドスケープという、モダン・ハウスを特徴づける7つの観点から再考します。
そして、特に力を入れてご紹介する傑作14邸を中心に、20世紀の住まいの実験を、写真や図面、スケッチ、模型、家具、テキスタイル、食器、雑誌やグラフィックなどを通じて多角的に検証します。
本展のみどころ
✔ 1920年代から70年代、モダン・ハウスの流れ
国立新美術館からの巡回となる本展では、当館の会場にあわせて、鍵となる14邸の住宅を年代順に沿って展示します。
個々の住宅における特徴とともに、建築家たちが取り組んだ共通の課題や戦略を、住宅設計の転換期となった1920年代から70年代までの約半世紀の流れの中でご紹介します。
✔ 原寸大で体験する名作住宅の景色
安藤忠雄設計による当館のガラス張りの回廊を抜けた先、展示会場に入るとそこには安藤が敬愛する巨匠、ル・コルビュジエが設計した「ヴィラ・ル・ラク」の窓辺を再現した空間が広がります。
実際の居住空間やスケールを体感できるこれら原寸大モックアップに加え、本展では当時の図面やドローイング、建物の写真や映像、新たに制作された模型などを通じて、世界中の名作住宅から見える豊かな景色を紹介します。
✔ あの名作家具から隠れた逸品まで
展示室を巡ると、街のお洒落なお店やオフィスで見かけたことがある家具に、ふと出会うかもしれません。
建築家がそれぞれの住まいに合わせて趣向を凝らし、細部にまでこだわってデザインした椅子や机、照明や食器といった調度からは、今なお使い続けられている名作のルーツや、素材や機能に対する探求、暮らしの様々な場面に向けられた建築家のまなざしを感じ取ることができます。
✔ 散りばめられた暮らしのアイデア
兵庫県立美術館では住宅建築を再考するにあたって、個々の住まいにおける暮らしのあり方にも目を向けます。20世紀に革新的な試みとして始まり、今日の私たちの日常の中に生き続けているモダンな暮らしのアイデアが、本展には散りばめられています。
モダン・ハウスを紐解く7つの視点「衛生」「素材」「窓」「キッチン」「調度」「メディア」「ランドスケープ」をヒントに、多種多様な住まいの実験を、ぜひたどってみてください。
展覧会構成
本展覧会では、特に力を入れてご紹介する傑作14邸を中心に、20世紀の建築家たちの挑戦を以下の7つの観点に着目してご紹介します。
衛生: 清潔さという文化
HYGIENE: creating a culture of cleanliness
2020 年に始まった新型コロナウイルス感染症の流行からも分かるように、古来、感染症の克服は、人類が生き延びるための重要な課題のひとつです。急速に都市化が進み、人々が密集して暮らすようになった19世紀のヨーロッパでは、感染症から身を守るため、公衆衛生に対する関心が深まりました。
そして、病原体を特定し、適切に処方されるようになった医学の進歩にともなって、住まいも科学的に見直されるようになりました。本展覧会でご紹介するモダン・ハウスの浴室や洗面には、清潔さや健康といった近代における衛生と身体への眼差しがあらわれています。
素材: 機能の発見
MATERIALITY: discovering physical functions
20 世紀の初頭、鉄やコンクリートによる新たな構造法が広まり、住まいの建設に用いられるようになりました。ガラスの大量生産も可能になり、住まいはそれまでの重々しい素材から解放されていきます。
時代の変化に刺激をうけた建築家たちは、鉄やガラスのみならず、木材やタイル、テキスタイルといった伝統的な素材にも、新しい住まいの快適さを生み出す可能性を探究しました。
本展覧会では、モダン・ハウスにおける新たな素材の使われ方を紹介します。
窓: 内と外をつなぐ
WINDOW: framing indoor / outdoor living
鉄やコンクリートによる新たな構造法の導入によって、大きく変容したのが窓でした。ヨーロッパのかつての石造りの建物では、開口部の大きさに限りがありました。しかし、強度を増した建物には大きなガラス窓を設置することができ、そこから日光や風を得るだけでなく、窓を閉めても眺望を楽しむことができました。
このことは、それまでの屋内と屋外の境界に対する考え方を本質的に変え、窓を通じて、内と外が浸透するようになったのです。本展覧会で取り上げるモダン・ハウスの個性的な窓をとおして、内と外をつなぐ豊かな演出をみることができるでしょう。
キッチン: 現代のかまど
KITCHEN: modernizing the hearth
工業が発展した19世紀には、労働の効率が重視されるようになりました。こうした考えは住まいにも入り込み、キッチンに反映されていきます。
1926年にドイツのフランクフルトの集合住宅のために設計されたフランクフルト・キッチンは、少ない動作で効率よく調理や配膳ができるように工夫された、いわゆるシステム・キッチンの先駆けでした。炊事場は、ヨーロッパでは地下、日本では土間など、住まいの裏に置かれました。
しかし、核家族が主流になるにつれて、それは食堂や居間に近い、家族が集う明るく中心的な空間に組み入れられるようになったのです。そこには、女性の多様な生き方も反映されています。モダン・ハウスのキッチンには、家事をとりまく社会的な考え方の変容が映しとられています。
調度: 心地よさの創造
FURNISHINGS: creating comfortable living
19 世紀のヨーロッパでは、過去の様式を脈絡なく模倣し、質的にも粗悪な量産品が巷にあふれたことへの反省から、さまざまなデザイン運動が生まれました。
20世紀にこれを引き継ぎ、後の世に大きな影響を与えたのが、1919年にドイツのヴァイマールに開校したバウハウスでした。
バウハウスは、織物、金属器、照明や家具など、身の廻りの品々に、機械生産にも適合したシンプルで機能的なデザインをほどこしました。また、調度にも統一感や快適さをもとめた多くの建築家たちは、家具などを自らデザインしました。
本展覧会では、人々の美意識までをも変えたバウハウスの作品群をはじめとし、20世紀の人々の暮らしを彩ったさまざまな調度を紹介します。
メディア: 暮らしのイメージ
MEDIA: visualizing the dwelling
19 世紀における写真の発明や印刷技術の向上を経て、20 世紀に入ると、マスメディアとしての新聞や雑誌の影響力がますます強くなりました。
建築家やデザイナーもこれを強く意識し、ル・コルビュジエや藤井厚二などは、自らの考えを活字やイメージで世に広めようとしました。また、1927年にドイツ工作連盟が開催した「住居」展など、20世紀以降、戸建て住宅の普及にともなって住宅の展示も広く行われるようになりました。
本展覧会では、人々を魅了する理想的な暮らしのイメージを伝えたメディアとして、書籍や雑誌、住宅展示などを取り上げます。
ランドスケープ: 住まいと自然
LANDSCAPE: living in nature
住むための人工的な空間を、地形を含めた自然の環境にどう位置付けるのか。自然との調和をもとめるランドスケープをめぐる課題は、20世紀のモダン・ハウスにとっても重要な問いとなりました。
私たちは、大きなガラス窓を通じて、変化する四季、成長を続ける植生を身近に感じることができます。このことは窓だけでなく、衛生にも密接にかかわります。急速な近代化によって失われた自然とのつながりを住まいに取り戻すことは、心身の健康にもつながるからです。
本展覧会では、ランドスケープという観点から、住まいと自然を調和させようという試みについて考察します。
14 邸の鍵となる住宅
ル・コルビュジエ ヴィラ・ル・ラク 1923年
Le Corbusier, Villa «Le Lac », 1923
スイスのレマン湖畔に、ル・コルビュジエが両親のために建てた小さな住宅。ほどなく母ひとりが住むようになった。湖に面した11mの長い窓が特徴の細長いコンパクトな空間には、来客時のベッドも含めて、必要最小限の設備が機能的におさめられている。
藤井厚二 聴竹居 1928年
Koji Fujii, Chochikukyo, 1928
藤井厚二 聴竹居 1928年 撮影: 古川泰造
京都の大山崎町の山林に建つ、藤井の5番目の自邸。家族と暮らした「本屋」、趣味を探求した「閑室」、来客を招いた「茶室(下閑室)」からなる。
木造モダニズムの傑作と称されるが、日本の気候風土や生活様式を意識した工夫が凝らされている。藤井は、住まいと暮らしに関する自らの先進的な考えを論じた英語の書籍も刊行した。
ミース・ファン・デル・ローエ トゥーゲントハット邸 1930年
Mies van der Rohe, Tugendhat House, 1930
チェコ共和国のブルノ市にある、繊維業で成功したトゥーゲントハット夫妻の邸宅。通りから見ると平屋のようだが、高台の地形を生かした3階建ての建物である。内部には、ミースがデザインした家具が置かれた。
鉄の独立柱で支えられた空間は、カーテンや縞瑪瑙の間仕切りなどで、機能的に緩やかに区切られている。
ピエール・シャロー メゾン・ド・ヴェール 1932年
Pierre Chareau, Maison de Verre, 1932
ピエール・シャロー メゾン・ド・ヴェール 1932年 撮影: 新建築社写真部
パリの婦人科医のクリニック兼住居として設計された。別の居住者がいた3階建ての建物の最上階を鉄骨で支えつつ、下2層を解体して3フロアが新設された。
ガラスブロックのファサードで覆われた内部は、グリッド状に仕切られ、窓や棚、扉などには、機械仕掛けのさまざまな可動システムが導入されている。
土浦亀城 土浦亀城邸 1935年
Kameki Tsuchiura, Tsuchiura Kameki House, 1935
土浦夫妻によるふたつ目の自邸。東京の上大崎に建てられた木造乾式構造の建物は、様式、設備ともに欧米の最新の動向を取り入れつつ、日本の風土にも適合するよう設計された。
内部は、敷地の高低差を生かした5つのフロアでゆるやかに繋げられている。信子は、家事労働の軽減を意図して台所を機能的に設計している。
リナ・ボ・バルディ カサ・デ・ヴィドロ 1951年
Lina Bo Bardi, Casa de Vidro, 1951
リナ・ボ・バルディ カサ・デ・ヴィドロ 1951年
イタリア出身のボ・バルディが、ブラジル国籍を得た1951 年にサンパウロに建てた自邸。
高台のガラスファサードで覆われた建物の周囲には、建築家自身が吟味して植物を植えた。
植物や土着の文化に関心が高いボ・バルディは、その開放的な室内を、地元の木材を使って自ら制作した家具や、アートディーラーの夫とともに集めた美術品や民芸品で満たした。
広瀬鎌二 SH-1 1953年
Kenji Hirose, SH-1, 1953
リナ・ボ・バルディ カサ・デ・ヴィドロ 1951年本住宅は、広瀬がSH-72まで手がけた鉄骨造りの「SHシリーズ」の記念すべき第一作。
1953年に鎌倉材木座に建てられたこの自邸は、極限まで細くした鉄骨のほか、ガラス、レンガ、コンクリートなどの工業製品を材料とした、きわめて実験的な住宅だった。
アルヴァ・アアルト ムーラッツァロの実験住宅 1954年
Alvar Aalto, Murtala Experimental House, 1954
フィンランドのパイエンネ湖にある小さな島、ムーラッツァロ島に建てられた、夏を過ごすための自邸。
入江から伸びた小道の先のレンガやタイルで覆われた中庭のある本住宅は、敷地内のサウナ小屋や船着場とともにデザインされた。自然との調和や共生を目指したアアルトの思想がよく伝ってくる。
ジャン・プルーヴェ ナンシーの家 1954年
Jean Prouve, Jean Prouve’s House in Nancy, 1954
エンジニアだったプルーヴェが、自身が経営していた工場の部材をもちいて組み建てた自邸。構想段階からの変更を余儀なくされながら、プルーヴェ自身が設計、施工までも手がけた。
傾斜地に最小限の平地を整え、ありあわせの部材を組み合わせて造られた細長い建物には、ナンシーの街を見渡すさまざまなタイプの窓が設置されている。
エーロ・サーリネン、アレクサンダー・ジラード、ダン・カイリー ミラー邸 1957年
Eero Saarinen, Alexander Girard, Dan Kiley, Miller House, 1957
アメリカの実業家、ミラー夫妻の依頼により、インディアナ州コロンバスにサーリネンが設計した豪奢な邸宅。
内装にはジラードも参加し、造園家のカイリーが庭園を担当した。見事な調度とランドスケープを取り込んだ広大な庭を含め、きわめて豪奢な邸宅である。
菊竹清訓、菊竹紀枝 スカイハウス 1958年
Kiyonori and Norie Kikutake, Sky House, 1958
都市や建築も有機的に成長するとする建築運動「メタボリズム(新陳代謝)」を代表する菊竹の自邸。コンクリートの柱で持ち上げられた 10×10mの居住空間の周囲に、「ムーブネット」と呼ばれる台所や浴室が、交換可能なものとして設置された。
後に、カプセル状の子ども部屋のムーブネットも居住空間から1階のピロティに吊り下げられた。
ピエール・コーニッグ ケース・スタディ・ハウス#22 1960年
Pierre Koenig, Case Study House #22, 1960
アメリカの建築雑誌『アーツ・アンド・アーキテクチュア』が企画した実験住宅プログラム「ケース・スタディ・ハウス」のひとつで、スタール邸とも呼ばれる。
ロサンゼルスを一望する天井までのガラス壁で囲まれた建物は、映画や雑誌など数々のメディアに登場した。開放的なアイランド型キッチンが設置されている。
ルイス・カーン フィッシャー邸 1967年
Louis Kahn, Fisher House, 1967
アメリカのフィラデルフィア郊外の自然豊かな場所に建つ。キューブ状のふたつの建物を、片方45度ずらして接続している。
暖炉の脇にあるリビングの窓辺には、美しい景観を切り取るガラス窓や風を取り込む開閉窓、人が佇めるベンチなど、さまざまな用途が組み合わされている。
フランク・ゲーリー フランク&ベルタ・ゲーリー邸 1978年
Frank Gehry, Frank & Berta Gehry House, 1978
フランク・ゲーリー フランク&ベルタ・ゲーリー邸 1978年
Ⓒ Frank O. Gehry. Getty Research Institute, Los Angeles(2017.M.66)
アメリカのカリフォルニア州の、ありふれた建売の住宅を独自に拡張した自邸。使われている建材もまた、波型鉄板やチェーンリンクフェンス、既成の木材など、規格化された量産品である。
ゲーリーは、既存の建物を大胆に再構築した本住宅によって、一躍その名を国際的に知られるようになった。
マルセル・ブロイヤー 《サイドチェア B32》 1928年
ミサワホーム株式会社 撮影: 立木圭之介
関連イベント
記念講演会「リビング・モダニティ:過去から現在、そして未来へ」
出演|ケン・タダシ・オオシマ
(ワシントン大学教授/本展ゲスト・キュレーター)
日時|9月20日(土)14:00-15:30(開場13:30-)
会場|KOBELCOミュージアムホール
定員|150名
※英語、日本語通訳あり
※先着順、要観覧券、「芸術の館友の会」会員優先座席あり
HART TALK 館長といっしょ! Vol.19
藤井厚二の眼差しーもうひとつのモダニズムー
「聴竹居」
出演|松隈章(一般社団法人聴竹居倶楽部代表理事)
日時|10月25日(土)14:00-15:30(開場13:30-)
会場|KOBELCOミュージアムホール
定員|150名
※先着順、要観覧券
学芸員による解説会
日時|10月11日(土)、11月15日(土)、12月13日(土)
いずれも15:00-15:45(開場14:30-)
会場|レクチャールーム
定員|80名
※先着順
ゆっくり解説会in Autumn
展覧会の見どころを手話通訳および要約筆記付きでゆっくりとし
たペースで解説します
日時|10月12日(日)13:30-14:25
会場|レクチャールーム
定員|60名
※先着順
こどものイベント
日時|10月19日(日)
※詳細は決まり次第、兵庫県立美術館ホームページでお知らせします。
問合せ:tel. 078-262-0908
ミュージアム・ボランティアによるスライド解説会
日時|毎週日曜日11:00-(約15分)
会場|レクチャールーム
定員|80名
※先着順
同時期開催の展覧会
2025コレクション展 I ベスト・オブ・ベスト2025
4月24日(木)― 12月14日(日)
特集|中山岩太
中山岩太Ⅰ 4月24日(木)- 7月13日(日)
中山岩太Ⅱ 7月18日(金)- 9月28日(日)
中山岩太Ⅲ 10月3日(金)- 12月14日(日)
小企画|美術の中のかたち―手で見る造形
中谷ミチコ 影、魚をねかしつける
9月5日(金)- 12月14日(日)
横尾忠則現代美術館での同時期開催の展覧会
復活! 横尾忠則の髑髏まつり
9月13日(土)- 12月28日(日)
Ando Gallery
兵庫県立美術館の設計者 安藤忠雄
安藤氏からの建物の寄贈、展示物の寄託によりAndo Galleryを館内にオープン
当館2F/入場無料(月曜休室)
「住吉の長屋」(1976年)や「小篠邸」(1981・84年)をはじめとする安藤忠雄の初期の代表的な住宅建築から、現在進行中の最新プロジェクトまでを展示しています。
安藤忠雄建築研究所による図面やドローイング、模型の数々を、ぜひ本展とあわせてお楽しみください。
開催概要
展覧会名 特別展「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」
LIVING Modernity: Experiments in the Exceptional and Everyday 1920s–1970s
会 期 2025年9月20日(土) - 2026年1月4日(日)
開館時間 10:00-18:00 ※入場は閉館の30分前まで
休 館 日 月曜日[ただし、10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)、11月24日(月・振休)は開館、10月14日(火)、11月4日(火)、11月25日(火)、12月31日(水)、1月1日(木)は休館]
会 場 兵庫県立美術館 企画展示室
主 催 兵庫県立美術館、日本経済新聞社
後 援 一般社団法人日本建築学会、公益社団法人日本建築家協会
協 賛 公益財団法人伊藤文化財団
協 力 ミサワホーム株式会社、株式会社 竹中工務店、株式会社新建築社
特別協力 公益財団法人日本教育公務員弘済会 兵庫支部
監修 |岸和郎(建築家、京都大学名誉教授、京都工芸繊維大学名誉教授)
ゲスト・キュレーター
|ケン・タダシ・オオシマ(ワシントン大学教授)
アソシエイト・キュレーター|佐々木啓(建築家)
会場構成協力|長田直之(建築家、ICU一級建築士事務所主宰、奈良女子大学工学部教授)
アート・ディレクション |田中義久(グラフィックデザイナー・美術家、デザイン会社centre Inc.主宰)
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
兵庫県立美術館
〒651-0073 神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 (HAT神戸内) TEL: 078-262-1011
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
日本とデンマーク外交関係樹立150周年
デンマークが世界で一番幸せな国となった理由
今日デンマークは社会福祉、環境問題、持続可能な社会、教育、経済、文化など、様々な分野で世界の先駆的な立場となり、日本においても多くの学びを得ることのできる国というイメージが浸透しています。また2016年は2013、2014年に続いて「豊かな国ランキング」で世界一に輝きました。しかし、実は日本との外交関係を樹立させた150年前のデンマークは、豊かとは程遠い貧困国だったのです。
デンマークは現在人口560万人、総面積は4万3098k㎡という九州よりも少し大きい程度。世界の中でもとても小さな国の一つです。国土は大半が平地で資源はあまりなく、ヨーロッパ北部に位置する厳しい自然環境ゆえにとても貧しい国でした。資源がないので人の力をフルに活用する必要があり、けれども人口が少ないので合理的な動きをしなくてはなりません。
そこで人々は知恵を振り絞り、様々な”解決方法=仕組み”を見出してきたのです。この一つひとつの”仕組み”こそが、デンマークが世界で一番幸せな国となった理由の一つであり、多くの優れたデザインにはこれらの思想が反映されています。
世界を引率するデザイン大国への成⻑
そしてその背景には FDB(デンマーク生活協同組合連合会)が大きく影響し、そこから生み出された家具部門FDBモブラーによって、 インテリア事業の角度からも消費者の生活レベルの向上に成功、衣食住の住がいかに日常の暮らしの豊かさを左右するか、人々の美意識、感性を作り上げる源の一つであるかを実証し、 世界を引率するデザイン大国へと成⻑を遂げました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020 「日本とデンマーク外交関係樹立150周年記念 ボーエ・モーエンセンとFDBモブラー 展&島崎信セミナー」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2775139
森と湖の国 フィンランド
フィンランド・デザインとは
「森と湖の国」と言われる自然豊かなフィンランドですが、夏は白夜、冬は極寒という人々が生活をするには大変厳しい環境下にあります。しかし、フィンランドに住む人たちは、昔から自然と共に生き、その生活の中から楽しみを見い出しつつ日々の暮らしを送って来ました。
フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト(1898-1976年)やカイ・フランク(1911-1989年)をはじめとする多くのフィンランド人デザイナーたちも、やはり創造の源には「自然と人間との調和」に重きを置いており、永く愛され日常で使われ続けるような、シンプルかつ明るいデザイン作品を生み出してきました。
それらは時代が変わっても廃れることなく、技術の進歩や新しい動向に合わせてしなやかにその姿を変えて行き、現在でも未来へとつながる新しいデザインが新世代のデザイナーたちによって生み出され続けているのです。
本展では、独立以前の装飾芸術から現在までの100年に及ぶフィンランド・デザインを6つのセクションに分け、デザイナーを支え育ててきた企業や各時代の主要なデザイナーに焦点を当てて紹介いたします。
フィンランド概略
独立:1917年12月6日
·政府の形態:議会制民主主義
国会:200議席から成る一院制。4年毎に直接選挙
内閣:複数の政党による連立内閣
国家元首:大統領。6年毎に選出され、任期は最高で2期。
1995年にEU加盟
首都:ヘルシンキ 日本との時差:-7時間。サマータイム(おおよそ4-10月)には-6時間。
国土面積(陸地と湖等):338,430 平方キロ
人口 (2010年12月31日) 5,375,276
平均人口増加率(2005 - 2010) 0.4
2030年の人口予想(2009年) 590万人
国内で使われている母国語(2010年) 90%はフィンランド語、5%がスウェーデン語、1%がロシア語を母語とする
宗教 (2010年) 90%は福音ルーテル派教会、1.1%はギリシア正教会、19.5%は所属する宗教をもたない
平均寿命 (2010年) 80.1歳
年齢の中央値(2010年) 41.4歳
女性国会議員の割合(2011年) 42.5%
100人あたりのインターネット利用者(2010年) 86人
世界報道の自由指数 175カ国中の順位(2010年) 1 位
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「フィンランド独立100周年記念 『フィンランド・デザイン展』森と湖の国から 」開催のご案内
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2188488
フィンランドの文化『Avanto(アヴァント)』とは⁉
株式会社Moving Inn(北海道帯広市)は2020年11月24日、凍った川を水風呂にするアウトドアサウナアクティビティ『十勝アヴァント』の受付を開始。
厳冬期にはマイナス20度を超える北海道十勝地方の気候を活かし、凍った湖に穴を開けて水風呂代わりにするフィンランドの文化『Avanto(アヴァント)』を体験することができます。
編集後記
だいぶ、昔に北欧の国では(多分、それがフィンランドだったんですね?) 彼らは冬場のレジャーとして、湖のそばのコテージにサウナを備え、十分暖まり、ほてつた身体でいきなり、凍った湖へ豪快に飛込み、如何にも至福の表情を浮かべていたのです。
正直、驚きました !!
そんな寒冷地帯に生まれ育った彼らはきっと特殊な生理構造を備えているに違いない!・・・本州でも温帯湿潤地帯に住むヤワな我々とはまるで違うんだ…
やはり白人種には叶わねぇナーなんて思ったもんです。(驚くべし!! 十勝アヴァントは、当にそれ並みの寒さなんですね〜!)
あれから、かれこれ40-50年もたった今、日本でも同じ発想が成立つ機を迎えた…と申すべきか…
どちらかと言えば米食人種から肉食人種への比率が増えて来た証しかナ?…なんて小生の中であらぬ結論となりました。(笑)
地域の特徴を活かし、マイナスをプラスに好転させるグッドアイデアでは ?
これも、アフターコロナの新しい価値観、逆転の発想
ではないでしようか?
然らば・・・皆さんの地域でも、周囲を見つめなおすと、何か良いことが転がっていそうですね〜 ♫
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 地域の特徴を活かそう!凍った川を水風呂に。北海道、冬のアウトドアサウナ『十勝アヴァント』受付開始
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11693462
日本の木組み文化をヨーロッパに
飛騨高山の木工房 オークヴィレッジの木組み技術を使った 『KOMAKO』が欧州大学の研究対象に採用
20世紀中頃から始まった大量生産・大量消費、生活の急速な洋式化といった⽣活の変化に危機感を抱いた5⼈の若者が集まり、1974年、国産無垢材を使ったモノ造り集団としてが⽣まれました。
その始まりにあるのが、⽇本古来の「⽊の⽂化」を拠り所とした持続可能な社会づくりへの思いを表した3つの理念。半世紀がたった今も、オークヴィレッジの企業活動、モノ造りは、その3つの理念に沿って⾏われています。
オークヴィレッジのモノ造りは、家も家具も、100年使い続けることができることが基本です。中でも家具に使⽤する広葉樹は、⼈⼿に頼らず森の中で時間をかけて成⻑したもの。
だからこそ、森や⽊を敬い、育ってきた時間と同じくらい使い続けることができるものにしていくことが造り⼿の使命だと考えています。
そして、「素材」「技術」「デザイン(設計)」という3 つの要素がより⾼い次元で三位⼀体になった時、初めてオークヴィレッジにしかできないモノ造りになると考えています。
国産無垢材を「適材適所」で使い切る。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020~日本の木組み文化をヨーロッパに~【オークヴィレッジ】
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/41006234
飛騨産業 【志】
匠の心と技をもって
飛騨を木工の聖地とする。
悠久の森と飛鳥時代から続く匠文化を背景に、大正9(1920)年、
地域の発展を願う有志が、「無用の長物」とされていたブナを活かし、
曲木家具づくりをはじめました。
先人たちのひたむきな努力と挑戦により、飛騨は日本を代表する家具の産地へと発展しました。
匠の心と技とは、人を想い、時を継ぎ、技を磨き、森と歩むこと。
節や杉の魅力を引き出した家具を世の中に送り出してきたように、
これからも私たちは森林資源への探究を重ね、その活用を牽引し、
木の温もりある暮らしをお届けしたいと考えます。
新たな創造を可能とし、その魅力を求めて人々が集う場所へ。
創業の地である飛騨を「木工の聖地」とすることが私たちの志です。
【4つの価値観】
人を想う 時を継ぐ 技を磨く 森と歩む
創業100 年を契機に、改めて自分たちが何者なのかを自問自答し、
「企業としての事業方針」「製品・サービスの展開カテゴリー・開発方針」「社員1 人1 人の行動指針」など、
様々なレイヤーにおける普遍的な考え方を全て包括するものとして、
「4 つの価値観」という形に整理、言語化しました。
木には、言葉を超えた魅力がある。
20世紀のコンクリートの時代から、世界中が「木」というものに向かっている時代。
それも単に「木を使えば良い」というものではなく、「木の潜在力」をどう引き出すか…そんな時代が本格的に来たなと感じています。
今回、言葉を超えた魅力を持つ木との付き合いをもっと色々深めていきたい、そんな想いもあり、ダイニングチェアとテーブルの開発に至ったわけですが、食事をする際、こんなにモノが美味しく見える椅子やテーブルは無いなと思っているんです。
家具も建築も、視覚的なモノ以上に触覚的なところで人間に響くモノが長く残っていくと思うんですが、座るだけでなくて、ぜひ撫でていただいて、この家具の「触覚的な凄さ」を感じてもらえればと思いますね。このコラボレーションを通じて、人間の心に響くモノを作るプロセスを学べて凄く楽しかったですし、思っていた以上の綺麗な家具を制作できて、とても満足しています。
隈 研吾
「飛騨の匠」の起源とは
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 「飛騨の匠」の魂と技を伝承【飛騨産業】
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/41110746
あなたが、まだ出会ったことのない
飛騨国府(こくふ)へ
今を去ること千数百年前、
飛騨国府は斐陀国の中心地「国府」として栄えました。飛騨地域に息づく様々な伝統文化や民族は、この地が発祥とも言われています。
飛騨国府は、高山市の北側に位置し、歴史、民俗、自然などの日本の原風景が色濃く残る、ぬくもりと懐かしさに満ちた郷です。
旧街道の面影を残す、国府町八日町教覚寺周辺…軒の雲形肘木は飛騨匠の誇りであり証し
飛騨国府には豊かな水・森・花・実りがあり、飛騨びとのくらしを穏やかに包んでくれています。
亀塚古墳
明治28年4月、国府尋常高等小学校を建てるため、亀塚古墳が一部取り壊されることになり、初めての発掘がおこなわれました。その結果、西側の石室から 鉄(てつ)鎧(よろい)・鉄兜(てつかぶと)各1、鉄剣、鉄刀各数本、鉄(てつ)鏃(ぞく)およそ50本、北側の石室から 鉾(ほこ)1本、鉄刀1本出土しました。
大正7年、運動場拡張工事のため、すべて取り壊されました。
亀塚古墳、4~5世紀の中国製の貴重な「き鳳鏡(きほうきょう)」
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 あなたが、まだ出会ったことのない飛騨国府(こくふ)へ【高山市】(その1)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/47933871
国府地域について
国府むかし話【高山市】
国府地域は、高山市の北側に位置し、歴史、民俗、自然などの日本の原風景が色濃く残る、ぬくもりと懐かしさに満ちた郷です。日本最古の回転式輪蔵を収めた飛騨地方唯一の国宝「安国寺経蔵」などの文化財や、大小13の滝が連なる渓谷美の「宇津江四十八滝」、神社の祭礼時に奉納される「金蔵獅子」などの魅力的な地域資源が数多くある地域です。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 ~国府地域~飛騨高山で100年以上前から作られてきた伝統野菜「国府なす」が、岐阜県「飛騨・美濃伝統野菜」に認証&国府むかし話【高山市】(その2)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/48033491
武蔵野美術大学 美術館・図書館
「みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ」
倉俣史朗 《ミス・ブランチ》 1988年
武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵
当館は1967年の開館以来、コレクションの柱の一つとして近代椅子を収集してきました。現在所蔵数は400脚を超え国内有数の規模を誇ります。
本展は、この中から精選した約250脚の近代椅子を当館の1階2階の全フロアに展開し、コレクションの全容を紹介するとともに、近代椅子デザイン史を俯瞰する、当館にとって初めての試みとなります。
会場内に並ぶ一脚一脚の椅子には、素材や技術をはじめ時代、地域、思想の背景があり、これらの椅子を座り比べることで、それぞれの椅子の特長と椅子デザインの変遷を体感する機会となることでしょう。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020【武蔵野美術大学 美術館・図書館】展覧会「みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ」開催と~倉俣史朗~「倉俣以前・倉俣以後」
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/34404318/
古代からの豊かな伝統を礎とした日本の現代建築
「建築の日本展」森美術館 ⅤOL.1
いま、世界が日本の建築に注目しています。丹下健三、谷口吉生、安藤忠雄、妹島和世など多くの日本人建築家たちが国際的に高い評価を得ているのは、古代からの豊かな伝統を礎とした日本の現代建築が、他に類を見ない独創的な発想と表現を内包しているからだとはいえないでしょうか。
日本は、明治維新からの150年間、大いなる建築の実験場でした。幾多の実践のなかで、日本の成熟した木造文化はいかに進化したのでしょうか。西洋は日本の建築にどのような魅力を見いだし、日本建築はそれにどう向き合ったのでしょうか。日々の暮らしや自然観といった目に見えないものの変遷も日本の建築を捉える上で重要な要素となるはずです。
今回の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」は、いま、日本の建築を読み解く鍵と考えられる9つの特質で章を編成し、機能主義の近代建築では見過ごされながらも、古代から現代までその底流に脈々と潜む遺伝子を考察します。貴重な建築資料や模型から体験型インスタレーションまで100プロジェクト、400点を超える多彩な展示によって、日本建築の過去、現在だけでなく、未来像が照らしだされることでしょう。(森美術館)
丹下健三の登場を機に、日本の現代建築は世界の先端に躍り出て今にいたるが、それが可能になったのは、日本の伝統的建築の遺伝子が、建築家本人の自覚の有無とは別に、大きく関係している。たとえば、空間の感覚とか柱と壁による木の構造とか、内外の区分とか。
そうした伝統と現代の見えざる関係について、代表的建築家の実作を取りあげて明らかにする。
森美術館「建築の日本展」藤森照信(本展監修)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020 「 六本木ヒルズ ・ 森美術館 15周年記念展 建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの (ⅤOL.1)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4153604
世界が魅せられた日本建築(ⅤOL.2)
六本木ヒルズ・森美術館15周年記念展
「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」
古くは縄文時代の住居から、現在進行中のものや未来の計画案を含む最新の現代建築まで100プロジェクトを、総数400点を超える展示資料で紹介します。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020 「世界が魅せられた日本建築、その本質に迫る!《 森美術館 》100プロジェクト、展示総数400点を超える圧巻のスケール(ⅤOL.2)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4158701
建築家I.M.ペイ
光こそ鍵
「日本の昔の建築家は、土地と建物そして景観を調和させる、そういったフィーリングをもっていました。もちろん、わたしは真似はしたくありません。しかし、日本人の心、文化、伝統を尊重したいと強く思いました。」
「私は確信しているのです。光こそが建築にとってその成否の鍵を握っていると」
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 2023年春季特別展「美の祈り Universal Symphony」 3月18日(土)より開催 信楽【MIHO MUSEUM】
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/42141073/
安らぎの「心の文明」
「発酵文明」の提唱
物質と心の融和は発酵文化 先ず視覚から五体全体へと導く
目指すのは 人の心の安らぎ
良き発酵は 個から 世界へ
心の安らぎは自然の摂理平和
ものごとをやさしく包み創る
発酵は「発酵文明」へと向う
まとめ役はデザイン・色彩だ
富山の旅でいくつかの美しい発酵的風景に出会った
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-9 TOKIO 2020 安らぎの「心の文明」へ 「発酵文明」の提唱 1 −2 【寄稿文】 一舟・光秀
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/54350520
安藤忠雄と丹下健三
安藤忠雄氏について
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び,1969年安藤忠雄建築研究所を設立。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞,1993年日本芸術院賞,1995年プリツカー賞,2003年文化功労者,2005年国際建築家連合(UIA) ゴールドメダル,2010年文化勲章,2013年フランス芸術文化勲章(コマンドゥール),2015年イタリアの星勲章グランデ・ウフィチャ―レ章など受賞多数。
1991年ニューヨーク近代美術館,1993年,2018年パリのポンピドー・センター,2017年国立新美術館にて個展開催。イェール,コロンビア,ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授,現在,名誉教授。
編集後記
私は、この記事に着手しながらふと考えた。安藤忠雄氏は建築家以前はボクサーだった筈だ。建築とボクサーの関係… ?? 皆さんも気になるのでは?
2017年に或るファッション雑誌のインタビューで安藤忠雄はこう語っていた。
ー あのリングでの、瞬間に判断して動かなくてはならないという感覚、頼れるのは自分自身のみという緊張感を、若い時に経験できたのはよかったと思っています ー
ー ボクシングも建築もそれが「闘い」であるという点では重なる部分はありますよね。ー
これで安藤氏が生んだあの世界的名建築の答えになったであろうか?・・・否!
哀しきかな…私にはさっぱりである。なおも他へ目を走らせると…
ー 日本中へ旅しました。まず印象に残ったのは、各地の伝統的な民家の風景でしたね。素朴な力強さに心動かされました ー
ー知識よりもまずは体験して、身体で”建築“を知るんだという感じでしたねー
安藤氏は奈良の東大寺大仏殿等日本の伝統的建築の世界と同時に、当時最新の近代建築を訪ね歩いたと語りました。そこで彼をして感動せしめたのは丹下 健三氏の作品、広島平和祈念資料館、香川県庁舎、国立代々木競技場、体育館など見学して「建築とは、こんなに凄いものか〜」と回想している。その中で、私なりにこれこそ氏の感性と哲学だと感じたポイントを以下にメモしてみた。
「丹下さんの建築は未来を考えると同時に、いつも歴史を踏まえています」…であった。
思うに安藤氏の設計ポリシーには土地固有の空気感が確りと伝わるのだ。
氏の作品には丹下氏とは表現は異なれど、特に宗教建築作品には人類が普遍的に希求する超次元の存在をインド哲学の五大要素 (空 風 火 水 土) から切り取り強調した表現がなされているのを感じますよね?
素人の気楽さ、生意気なことをつい口走ってしまいました。皆さんはどう思われますか?
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 文化庁国立近現代建築資料館 「安藤忠雄初期建築原図展 ― 個の自立と対話」の開催
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6393778
安藤忠雄氏
デザインコンセプトは「宇宙船地球号」
日本財団(東京都港区、会長 笹川陽平)と大阪大学(大阪府吹田市、総長 西尾章治郎)は、このたび、「日本財団・大阪大学感染症対策プロジェクト」の一環として建築する「感染症」に関する研究棟のコンセプトデザインを発表しました。
<国立大学法人大阪大学 総長 西尾章治郎氏>
大阪大学は、自然科学系、人文社会科学系を問わず、全学体制で感染症の脅威に立ち向かう感染症総合教育研究拠点を本年4月に設置し、9月には日本財団と本学との「感染症対策プロジェクト」において、今回の感染症研究棟の整備計画を発表したところです。
このたび、この研究棟のコンセプトデザインを日本が世界に誇る建築家・安藤忠雄先生に作成していただいたことは、大変光栄です。2025年2月に竣工するこの研究棟は、大阪大学だけでなく日本の新たなランドマークとなる施設で、平時も有事の際も異分野の研究者がアンダーワンルーフで研究を進める「集学の場」として、世界から多彩な人材が集まる開かれたプラットフォームの基盤となるものです。
今後も起こり得る感染症危機に備え、「感染症対策プロジェクト」を着実に進めていく所存です。
<日本財団 会長 笹川陽平氏>
日本財団は40年以上、ハンセン病という感染症を世界からなくす活動を行っており、感染症とは大変ご縁があります。
安藤先生のデザインは、宇宙船地球号。人類が共に共存するこの地球をイメージされたとお伺いをした。この大阪大学に世界中の優秀な人達に来ていただき研究をしていただけるということに、私たちは本当に胸がワクワクする想いでございます。
<建築家 安藤忠雄氏>
これは日本にとっても世界にとっても、大変重要な取り組みになると思いました。感染症は人類に対する大きな脅威であり、世界中一丸となって取り組むべき問題です。恐らくこれからも形を変えて、人類に挑戦してくると思われます。
その対抗手段として、感染症研究は今後ますます重要性を帯びてきます。研究棟の形状には、楕円形を採用しました。感染症の問題は、世界を巻き込む人類としての問題であると同時に、地域格差や差別など、一人一人の心の問題でもあります。それらを多角的に解決する「宇宙船地球号」としての役割を意識して、デザインに反映しました。
世界中の優秀な研究者がここに集まり、力を合わせて問題に取り組んで頂きたい、そんな願いを込めて楕円形の宇宙船地球号をイメージしています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020安藤忠雄氏が「感染症」研究棟に込めたデザインコンセプトは「宇宙船地球号」!安藤忠雄氏
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/26878669
平和の灯とは
広島市の平和記念公園内にあり、
東京大学教授(当時)丹下健三氏が設計したものです。
台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています。
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
各種行事において平和のシンボルとして採火されています。
背景に見えるのが同氏設計による広島平和記念資料館です。
平和への取組の背景と基本的な考え方
1 広島市の復興 ―広島平和記念都市建設法―
原爆により壊滅した広島市の復興を促進するため、憲法第95条に基づく特別法として、広島平和記念都市建設法が昭和24年(1949年)8月6日に公布・施行されました。
同法は、「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。」(第1条)と、広島市の都市建設の理念を掲げています。
この法律ができたことにより、広島市を世界平和のシンボルとして、国をあげて建設することが位置付けられました。
そして、広島市の都市づくりの方向性の決定、国からの援助の増大など、広島の復興や都市づくりに大きな役割を果たしました。
2 「世界に輝く平和のまち」の実現に向けて
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 広島市~平和の灯~日本と世界のより良い未来のため、「G7広島サミット」の成功を❣
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/40845256
丹下健三氏 設計 香川県庁舎旧本館及び東館
戦後の庁舎建築としては全国初「国の重要文化財」に指定
令和4年2月9日(水)に香川県庁舎旧本館及び東館(以下「県庁舎東館」という。)が国の重要文化財に指定されました。戦後に建てられた庁舎としては全国初です。
県庁舎東館は、建築家・丹下健三氏の設計により1958年に竣工しました。柱や梁の軸組構造などにより、日本の伝統的な意匠を鉄筋コンクリートで表現し、県民に開かれた庁舎とするためにピロティやロビーなどを配置した手法が評価されました。
さらに、庁舎とともに製作された南庭の石灯籠、受付カウンター、椅子などの家具類57点も建造物の価値と一体となして重要なものとして、重要文化財の一部に指定されています。
また、令和元年12月に耐震工事を完了しています。今回の重要文化財指定により、全国の建築ファン、そして香川県民に親しまれる庁舎として機能し続けていくことでしょう。
編集後記~追憶~
グラフィックデザイナー 亀倉雄策氏
1964年東京オリンピックポスターほか、NTT・グッドデザインロゴマークなど多数、
デザイン界の第一人者として常に時代をリード・・・
亀倉雄策氏「岡本太郎氏・丹下健三氏を語る」
以前にもご紹介いたしましたが・・・
ここで、僭越ですが当サイトZIPANG TOKIO 2020 立上げに際して、多大な影響を頂いた亀倉雄策氏から当時青二才だった私がお聞きした想い出話の一端をご紹介しましょう。
亀倉氏曰く…「丹下(健三)と岡本(太郎)と僕は、謂わば三竦みなんだ、丹下は岡本に弱く、岡本は僕に弱く、僕は丹下に弱い。だから、新東京都庁舎(現東京フォーラムの前身)の移転の折にロビーにあった岡本の作品、陶壁画をどうするかで、なかなか決まらなかった。
丹下は、心では岡本の芸術を認めていたし、岡本も建築家としての丹下を認めていたんだ・・・丹下は岡本の作品を残したいと思っていたので、岡本が直接丹下に一言残してくれと言えばよかったんだけれど、丹下はその言葉を待っていたから、しびれを切らして僕のところに来て、君から岡本に話して僕(丹下)のところに来るように進めてくれと…
僕は丹下に言われると何故かスッと聞いてしまうんだね、丹下は岡本が僕に弱いことを感じていた…、だから陶壁画が期限切れで破壊される前に岡本から直接本心を聞きたかったのだ・・・しかし岡本の返事は『丹下の勝手にしてくれだった。』でも、心では二人とも残したかったに違いない、僕もだったが・・・」(合掌)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 香川県庁舎旧本館及び東館が、令和4年2月9日(水)「国の重要文化財」に指定 戦後の庁舎建築としては全国初~丹下健三氏 設計~
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/36604757/
寄稿文
ふるさと~広島~
日原もとこ
7歳少女の記憶から、昭和の時代にタイムスリップ
広島県 原爆ドーム(正式名称:広島平和記念碑)
私の小5~6年生時代に通った本川小学校は、この原爆ドームの側を流れる本川(当時は太田川)の川向うに対面するように建っていた。(勿論、原爆投下の中心地だった。) ここで学んだ諸先輩たちの消息は誰も知らない。 合掌。
昭和生まれは、パンデミックを超えるための試練の時代だった。
私ども昭和の戦中生まれの世代から見ると、明治生まれの先輩たちに対しては、失礼ながら遥か昔の人種という距離感があった。
ある種の頑迷さと封建制度の名残を確りと受け継ぎ気軽な話が通じない方々。それは、尊崇感と同時に、離れ座敷に住まう方々と捉えていた感がある。
同様に…平成生まれの若い方々から見れば、昭和生まれの人種を見るとき、同様な感覚を以て位置づけているのだろうか?
とはいえ、昭和生まれの最後は1989年12月31日生まれであるけれど、翌日1990年1月1日 (平成元年に入って一番に生まれた人)とは一日遅れの違いだけだから、十把一絡げにはいかない。ある時代を語るとき、大抵は、その時代の大雑把な共通認識によって会話が成立しているようだ。
単純に時代の比較は難しい。例えば明治年間とは 天皇の在位期間で決まるので、その長短によって、印象は大いに異なる筈である。期間が長いほど、大きな出来事の遭遇率は高くなる。
(本文に続く・・・)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 追憶~昭和の時代へ~・・・【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11540847
日本モダニズム建築の開拓者の一人
建築家 村野藤吾から中村拓志へ
京都「佳水園」リニューアル概要
1.佳水園について
昭和34年(1959年)、佳水園を設計した村野藤吾は、醍醐三宝院の庭を模して白砂敷きの中庭をデザインしました。。自然の岩盤を主体とした小川白楊による庭園をそのまま取り込み、緑で表現された瓢箪と杯は、岩盤から流れる滝の水をお酒に見立てています。
「佳水園」は、日本モダニズム建築の開拓者の一人に挙げられる村野藤吾氏の設計により1959年(昭和34年)に建設された数寄屋風別館です。(1960年1月営業開始)
自然の地形を生かした高低変化に富む棟配置となっており、数寄屋風別館として多くのお客さまに親しまれてきました。近年では、海外のお客さまにもご好評いただいています。
白砂敷きの中庭は、豊臣秀吉自らが設計したと言われる国の特別名勝である醍醐寺三宝院(京都市伏見区)の庭を模して造られたものです。平安神宮神苑などの造園で知られる七代目 小川治兵衛氏の長男・白楊氏が手がけ、自然の岩盤を利用した滝の流れを生かし、盃に酒を注ぐ様に見立てた意匠が特徴となっています。
*小川白楊氏の作庭部分は1994年京都市文化財(名勝)に登録
2.リニューアルの特徴
村野藤吾氏の設計による外観やパブリックスペースを承継しつつ、客室はこれまでの2室を1室にするなどし、平均客室面積を約40㎡から約70㎡へと拡大してあります。
また、ベッドルームを設け、リビングルームと分けることで、居住性の向上を図り、さらに、敷地内にて深度約1,200mの掘削を実施し湧出した天然温泉を各客室のお風呂に引き込み、客室にて天然温泉が楽しめるぜいたくなくつろぎの空間をご提供しています。
ロビーには、ゆったりとしたソファで、コーヒーや紅茶などとご一緒に村野氏や京都の文化に関連する書籍をお楽しみいただける、宿泊のお客さま専用の「ライブラリー」を新設しました。
設計監修は地域性や歴史性を尊重した創造性の高い設計が特徴の建築家 中村拓志氏(NAP建築設計事務所代表)が担当しました。
佳水園リニューアルについて
中村拓志氏(NAP建築設計事務所代表)より
佳水園は幾重もの庇による浮遊感が印象的な、日本の近代建築を代表する傑作です。
今回のリニューアルでは、村野氏の空間や庭の美しさを引き立てるような、控えめで慎ましい設計が相応しいと考えました。そこで伝統的な数寄屋の手法でありながらも現代生活との親和性をはかり、最新の建築技術や素材を積極的に導入した「村野数寄」の精神を踏襲しました。
床座に不慣れなお客さまでも寛いでもらえる和のローソファやベッド、スチール棒で編んだ繊細な下地窓、そして三次元和紙によって小さくモダンにリモデルした村野ブラケット照明や七宝編みのナイトランプなど、「村野数寄」の繊細な空間に現代技巧が調和した、未来につながる現代数寄を目指しました。
3.佳水園のおもてなし
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 東山の麓 温故知新の伝統を守り進化し続けた130年の歴史は今、令和二年。革新的な一頁を刻む!建築家~村野藤吾から中村拓志へ~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8375107
“Toyota Woven City”
Phase1の建築を完了!準備を本格化
富士山を借景に、Toyota Woven City(トヨタ・ウーブン・シティ)
トヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)は、米国ラスベガスで開催されているCES 2025にて、モビリティのテストコース「Toyota Woven City(以下、Woven City)」のPhase1の建築が完了し、2025年秋以降のオフィシャルローンチに向けて、その準備を本格化することを発表しました。
トヨタは2018年のCESでモビリティカンパニーへの変革を宣言し、2020年のCESではWoven Cityの構想を公表しました。そのコミットメントを果たすべく、2020年以降、ウーブン・バイ・トヨタ株式会社(以下、WbyT)とともに、着実にWoven Cityの開発を進めてまいりました。
2021年2月23日に地鎮祭を執り行い、静岡県裾野市のトヨタ自動車東日本(以下、TMEJ)の東富士工場の跡地にリアルなテストコースとして建設を開始しました。2024年10月末には最初に実証を開始するPhase1の建物が完成しました。
設計にあたり、環境への配慮のみならずクオリティ・オブ・ライフの向上などヒトを中心に据えた取り組みを行っていることが認められ、日本で初となる「LEED for Communities」で最高ランクであるプラチナ認証を取得*しました。今後内装工事やインフラなどの準備を本格化させ、2025年秋以降に実証を開始し、オフィシャルローンチを迎える予定です。
また、TMEJ東富士工場の建屋を一部残し、Woven Cityにおけるモノづくりの起点として活用すべく、リノベーション工事を進めています。さらに、Phase2の造成工事もすでに開始しており、Phase1での学びを生かしながら、モビリティのテストコースとして求められる要件を明確にし、Phase2以降の計画に反映していきます。
モビリティのテストコースであるWoven Cityは「自分以外の誰かのために」という思いをもつInventors(インベンターズ/発明家)が「モビリティの拡張」を目指し、自らのプロダクトやサービスを生み出し、実証を行う場です。InventorsはトヨタやWbyTを含むトヨタグループ企業だけでなく、社外の企業やスタートアップ、起業家など同じ志をもつ企業や個人も含まれます。
トヨタが長年培ってきたものづくりの知見やWbyTがもつソフトウェアのスキルなどの強みを生かしたツールやサービスなどのしくみを社外のInventorsにご活用いただき、社外のInventorsによる社会課題の解決や未来のための新価値創造をサポートしていきます。
また、住民やビジターからリアルなフィードバックを受けながら、様々なInventorsとのコラボレーションを通じて、未来につながるイノベーションを生み出していきます。
なお、現時点で決定しているWoven CityのInventorsは以下の通りです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-10 TOKIO 2020モビリティ テストコース “Toyota Woven City”、Phase1の建築を完了し、準備を本格化
https://tokyo2020-10.themedia.jp/posts/56152846/
世界初、東京大学と積水ハウス
生きものが豊かな庭の緑と健康・幸せの関係を検証
積水ハウスは2001年から、地域の在来樹種を生かした庭づくり・まちづくりの提案である「5本の樹」計画として、都市の住宅地にネットワーク型の緑地を作り、生物多様性保全を推進しています。
2019年から琉球大学久保田研究室・株式会社シンクネイチャーとともに行ってきた共同検証では、生物多様性の劣化が著しい都市部(三大都市圏)において、「5本の樹」計画に沿った在来樹種を中心に庭木を植樹してきたことによる生物多様性の効果が確認出来ました。
今回の共同研究は、東京大学大学院農学生命科学研究科保全生態学研究室が構築した分析手法と、積水ハウスの生物多様性保全の取り組みである「5本の樹」計画を組み合わせて研究することで、「生物多様性の豊かな庭の緑」が「人の健康・幸せ」にどのような影響を与えるかということが、世界で初めて科学的に検証されます。
これにより、単なる「緑」ではなく生物多様性の豊かな緑が庭にあることの重要性を導き出します。
東京大学大学院農学生命科学研究科保全生態学研究室では、自然とのふれあいと健康の関係に関して「精神的健康」「身体的健康」「認知機能」「社会的健康」のテーマで5つ仮説を立て研究をしています。
今回の共同研究では、まず精神的健康の想定仮説1、2及び、認知機能の想定仮説3の3つの想定仮説から調査を開始します。
今後は、社会的健康等の他の健康尺度に関するテーマも視野に入れて、長期的に共同研究を行います。
【想定仮説】
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 東京大学と積水ハウス、生物多様性と健康に関する共同研究を開始
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/39536776
文化庁 重要文化的景観選定
今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観
今泊集落は、豊かなフクギ並木の屋敷林が残る集落であり、馬場跡など歴史的資源も多く有します。また、今帰仁城跡のふもとに位置することから、今帰仁城跡からの眺望の対象となる集落でもあります。
したがって、豊かなフクギ並木屋敷林や、伝統的な地割を保全し、建築物や工作物はフクギ並木の高さを越えない高さを基本とします。さらに集落内道路については、排水溝の設置の仕方や、海を守るための下水処理対策を検討し、フクギに囲まれたのどかな集落道として相応しい道路景観の形成を図っています。
また、今帰仁城跡からの眺望に配慮し、大規模な屋根や派手な色彩の建築物など眺望に影響を与えるようなものは避けるよう努めています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 文化庁 重要文化的景観選定 「今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観(沖縄編)」~あなたは、もうご覧になられましたか~
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6523216
砺波・散居村の屋敷林
四季折々の景観をご存知ですか⁉(その1)
編集前記
砺波平野は大河・庄川の扇状地です。
約500年前から開拓が急速に進み、広大な大地と豊かな水環境のもと、江戸時代初期の砺波郡は石高20万石を誇り、加賀藩100万石を支える穀倉地帯となっていました。
その集落の景観は、農家が点々と散在する散居村を形成し、全国でも珍しい風景が今に残っており、散在する農家は暴風、防雪などに役割を持つ屋敷林(カイニョ)に囲まれています。
屋敷林の緑と天を突くような樹勢は、春は田植え後の水鏡のような水田に、
秋は黄金色の稲穂の絨毯に、冬は一面の銀世界に調和し、四季折々に魅せます。
砺波平野、散居村、屋敷林(カイニョ)、四季折々の景観、どの季節をとっても日本を代表する景観の一つであることは間違いないものと想います。是非、富山・砺波にお越しいただき、直にご覧いただきたいと想います。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-9 TOKIO 2020あなたは砺波・散居村の屋敷林(カイニョ)と四季折々の景観をご存知ですか⁉(その1)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/55122260
富山・散居村の屋敷林
地域の景観保全にも貢献!(その2)
富山の地形と人々の共生が作り上げた、優れたエコシステム「散居村」
水田の中に家々が点在する日本最大の砺波平野の散居村。家の周りに巡らされた屋敷林はこの地方では「カイニョ」と呼ばれ、冬の季節風や吹雪、夏の日差しから人々の暮らしを守ってくれています。
かつては、落ち薬や枝木などは煮炊きの燃料として、スギやケヤキなどは家を増築する際の建材や様々な生活道具にも利用されるなど、サステナブルな暮らしが江戸時代から営まれてきました。
カイニョは多様な生物の棲家でもあり、ヒートアイランド化を防ぎ、CO2を吸収するなど、優れたエコシステムでもあります。
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ZIPANG-9 TOKIO 2020地域の景観保全にも貢献!富山・散居村の屋敷林お手入れから生まれた~アロマミスト ~「カイニョミックス」とは(その2)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/55109047
現代の匠が挑む!!住友林業
~街を森にかえる環境木化都市の実現へ~
木造超高層建築の開発構想W350計画始動
住友林業株式会社(社長:市川 晃 本社:東京都千代田区)は2018年2月20日に会社設立70周年を迎える。この節目の年に、1691(元禄4)年の創業から350周年を迎える2041年を目標に高さ350mの木造超高層建築物を実現する構想W350計画をまとめた。
高層建築物の木造化・木質化と街を森にかえる環境木化都市の実現をめざして。この構想計画は研究開発機関住友林業(株)の筑波研究所を中心にまとめ、建築構法、環境配慮技術、使用部材や資源となる樹木の開発など未来技術へのロードマップとし、木造建築物の可能性を広げていくよう進めている。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「現代の匠が挑む!!住友林業~街を森にかえる環境木化都市の実現へ~」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3680458
~あの神戸にて~
「アーバンファーミング」とは⁉
主催者の想い
神戸をより本質的で美しい、食と暮らしが豊かな都市へ
神戸は都会のイメージがありますが、実は農業も盛んです。しかし、都市部の市民にはそのことがほとんど知られていなかったため、2015年から中心地にある公園で、生産者と市民が交流できる「ファーマーズマーケット」を始めました。5年間、毎週続けることで、農村と都市の“心の距離”が近くなったと感じています。
今年はこれまでの集大成として、自治体と市民が協力してアーバンファーミングに力を入れています。官民が一体となってアーバンファーミングに取り組むのは、全国的に珍しいです。
神戸の様々な場所で農作物を育て、人々の日常の中に「農」を散りばめることで、食の根本への意識が高まればと考えています。また畑から食卓までがひとや野菜によって神戸らしく繋がることで“健やかな都市”となり、それが移住者や観光客の増加にも繋がることを目指しています。
(一般社団法人 KOBE FARMERS MARKET 代表理事 小泉寛明さん)
都会と農漁業地域、両面を持つ神戸
神戸は、日本の中心部に位置し、田園地域と瀬戸内海に囲まれた農漁業地域であるとともに、港町として交易を中心に栄えてきた経緯から、洋菓子・パン・洋食・中華など、国際色豊かで多様な食文化が醸成されています。
この神戸のポテンシャルを生かし、神戸市が新しい食文化の発信地として、食で賑わい、世界中から注目される街になることを目指し、 2015年から、食を軸とした新たな都市戦略「食都神戸」構想を掲げ、世界に誇る食文化の都の構築を進めています。
【神戸のこれまでの具体的な取り組み例】
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ZIPANG-4 TOKIO 2020「アーバンファーミング」とは⁉「食」と「農」を通じた新たな街づくり~あの神戸にて~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10736145
2050年カーボンニュートラル
~岡山県真庭市+NTT西日本+JIW~実証実験開始!
●菅内閣総理大臣は2020年10月26日の所信表明演説において、我が国が2050年にカーボン ニュートラル(温室効果ガスの排出と吸収でネットゼロを意味する概念)を目指すことを宣言。
●カーボンニュートラルの実現に向けては、温室効果ガス(CO2以外のメタン、フロンなども含む)の85%、CO2の93%を排出するエネルギー部門の取組が重要。
●次期エネルギー基本計画においては、エネルギー分野を中心とした2050年のカーボンニュートラルに向けた道筋を示すとともに、2050年への道筋を踏まえ、取り組むべき政策を示す。
令和2年11月17日 基本政策分科会資料(抜粋)
バイオマスの種類と特徴
バイオマスは、その賦存状態により、(1)廃棄物系バイオマス、(2)未利用バイオマス、(3)資源作物に分類されます。
今日、地域内で適した技術により有用な製品やエネルギーに変換し利活用することが求められています。
特徴としては、石油のような化石資源は一度利用すれば再利用が困難であるのに対して、バイオマスは再生可能な資源であること、化石資源は燃焼等によって地球温暖化の要因となる二酸化炭素(CO2)を排出するのに対して、バイオマスはカーボンニュートラルであることがあげられます。
(1)廃棄物系バイオマス 家畜排せつ物、食品廃棄物、廃棄紙、黒液(パルプ工場廃液)、下水汚泥、し尿汚泥、建設発生木材、製材工場等残材
(2)未利用バイオマス 稲わら、麦わら、もみがら、林地残材
(3)資源作物 糖質資源(さとうきび等)、でんぷん資源(とうもろこし等)、油脂資源(なたね等)、柳、ポプラ、スイッチグラス
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 資源循環・経済循環モデル構築への実証実験開始! ~岡山県真庭市+NTT西日本+JIW~
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/12318163
川・人・森を活かす
四万十ヒノキの間伐材だけを材料に、家具をつくっています
ヒノキ本来の質感と色、香りをいかすために、加工はシンプル、塗装は必要最低限に。だから、できあがったその日から、ゆっくりと時間をかけて風合いが深まっていく、それもSHFWの家具の魅力のひとつです。
ヒノキは日本の固有種。最高級の木材として日本の文化や暮らしに寄り添いつづけるヒノキの素晴らしさをSHFWの家具から感じ取っていただければと思います。
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 川~人~森を活かし、シンプルなデザインで長く愛せる家具を製作【四万十町森林組合】
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/32060276
日本書紀に曰く・・・
瓦の伝来 今から千四百年前
かっては、日本海側が『表日本』
現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、
弥生時代(紀元前4~500年から紀元後300年くらい)は、日本海側が『表日本』であり、
日本海を通じて様々な交流が行われていました。
『石州モノは、凍てに強く、水を通さない。』『とにかく固くて丈夫な瓦』瓦職人の間で、昔から語り継がれてきた言葉です。
石州瓦「津和野と単線のSL」いつだったか?昔々、乗車した記憶が、懐かしい風景……
ヨーロッパの終着駅には哀愁があり、日本の単線には何かほっとする温かさがありますね…
現在日本三大産地の一つに数えられ、生産シェア第2位の石州瓦。
その物語を進めたいと思います。
石州瓦は、その瓦伝来の系譜のなか、江戸時代の初期、全国各地で展開された城下町建設ラッシュの中、島根県西部の石見藩の城「浜田城天守閣」に葺かれたことから始まりました。
1619年、大坂の瓦師甚太郎が招かれ、浜田城の屋根を瓦で葺きあげました。
甚太郎は、瓦の製造から施工まで一貫して指導にあたったといわれています。
しかしながら、その時作られた瓦は、おそらくいぶし瓦であり、赤瓦で代表される釉薬瓦ではなかったかと考えられます。
瓦の伝来 今から千四百年前
日本書紀に曰く・・・
『崇俊天皇元年(588年)、百済国より瓦工四人渡来す・・・。瓦窯作工、生瓦作工、瓦焼き作工、瓦葺き工四名の瓦博士である・・・。』
釉薬瓦の登場
釉薬瓦は、767年、平城京の東院玉殿の瑠璃瓦が初めてと言われていますが、これは鮮やかな古瓦の出土や、緑釉、三彩釉、灰釉などの瓦窯跡の発掘で裏付けられています。
いぶし瓦の誕生
日本各地に残る城下町の瓦の殆どはいぶし瓦ですが、そのいぶし瓦が日本に登場するのは、安土・桃山時代。中国は明国の一観という人物がもたらしたと言われています。
一観は織田信長の命により、初めて天守閣を持った平城安土城の粘土瓦を製造していますが、この時に粘土瓦を燻す製造法と、木型と粘土の間に雲母粉をふって脱型しやすくする工夫を伝えたようです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020世界遺産 石見銀山【石州瓦物語】~リバイバル"Revival"~(Ⅲ)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/52737376/
白 山 ユ ネ ス コ エ コ パ ー ク の エ リ ア
水と桜と自然の郷【荘川】
飛騨と聞くと全国の皆さんは、恐らくまず一番に先日、世界文化遺産の一つに登録された「高山祭」の高山を連想されると思います、次に世界遺産の「合掌造りの郷」白川郷、そして「古川祭・起し太鼓」の古川、「スーパーカミオカンデ」の神岡、さらに温泉郷の「平湯」、順位の多少の違いはあるが、当たらずと雖も遠からずではないかと思います、如何ですか?
本日ご紹介するのは、東海地方の地元の方たちでさえ、名前は聞いたことはあるが、どんな所なのか行ったことがないと言われる方が多い「飛騨高山の奥座敷」ともいうべき【荘川(しょうかわ)】です。荘川は自然環境に恵まれた心が癒される水と桜と森の郷です。
2016 年 の 拡 張 登 録 の 承 認 に よ り 、 荘 川 地 域 全 域 が 白 山 ユ ネ ス コ エ コ パ ー ク の エ リ ア と な り ま し た 。荘川には 自 然 、 ふ る さ と の 景 色 が 満 ち あ ふ れ て い ま す 。
実は、50年以上飛騨に通っているにも関わらず、かく言う私もその内の一人で、荘川と聞くと静かな山の中の別荘地、ついで、鮎やあまご釣り位しか(失礼)頭に浮かびませんでした。
今回、世界文化遺産の一つに登録された日本の【山・鉾・屋台行事】の朗報に接し、飛騨の再調査をしはじめて「荘川」の事を詳しく知ることが出来たわけです。
それでは、まず荘川の歴史から紹介致します。
荘川の歴史
江戸時代末期までは、現在の「荘川」と世界遺産の「白川郷」は一つの村で、「白川郷」と呼ばれていたそうです。
はじめて知りました!
富山県まで流れている庄川の最上流にあった村が現在の「荘川」で、下流の村が現在の「白川郷」だそうです。明治に入り白川郷が二分割され、先に下流の村が「白川郷」と言う名前を登録され、困った上流の十八ヶ村は、かって白川と呼ばれていた川に荘園が出来て庄川と呼ばれたので、村の名前を「荘川」と名づけたそうです。
飛騨弁を研究されている大西佐七さんによると「飛騨で最も早く開けたのが、現在の荘川・白川郷のある地で、平安末期に藤原氏が白川荘という荘園を所有していた。」とのことです。
文化
荘川民謡
民謡は、谷や川に沿って伝わると云われ、それに沿う街道を運ばれます。ここ荘川でも、「庄川」に沿う「白川街道」により伝えられた民謡や、郡上へ通じた「郡上街道」を通して持ち込まれた様々な民謡が伝承されています。山深い隔絶された地域で、それらの民謡が歌い継がれて発達成長し、荘川地区独特の民謡となり、現在も民謡保存会の皆様により保存・伝承活動が続けられています。又地域の産業とともに創作された様々な歌が伝承されていますが、本サイトでは、「盆踊り歌」「祝座敷歌」の一部を紹介いたします。
荘川盆踊り歌
荘川甚句
飛騨にある唯一の「甚句」です。「返し」があり相撲甚句との関連は不明ですが、荘川を代表する民謡の一つで、「日本民謡大観」(日本放送協会編)に楽譜つきで紹介されています。
荘川千本搗き
伊勢神宮の遷宮の際に行われる地搗き作業に由来しています。伊勢音頭に起源があるようで、その特徴を残しています。荘川を代表する民謡の一つで、「日本民謡大観」(日本放送協会編)に楽譜つきで紹介されています。
荘川よいとそれ
囃しに「ヨイトソレ」と言うのでこの題名になっています。長野県諏訪地方の盆踊り歌で、糸引き工女達が持ち込んだもので、飛騨中にわたっています。荘川では、三味線、太鼓などで華やかな盆踊り歌となっています。
荘川えっさえっさ
荘川を代表する軽快な歌で、誰でも手をつなぎ踊りの輪の中に入って行ける良さがあり、七七調口説き節なので長時間にわたって歌われます。
荘川ドッコイサ
郡上方面と荘川は昔より密接な関係があり、郡上街道を通じて文化的・経済的な交流がありました。この曲も石徹白(いとしろ)方面よりわたって来たもので、荘川各地の盆踊り歌、回壇踊りで盛んに踊られる軽快な曲です。
祝座敷歌
荘川おけさ
《おけさ節》は九州で発生した《ハイヤ節》が、日本海側を北上しながら各地に定着したものと言われており、「荘川おけさ」は、越後の《はねおけさ》によく似ており、三味線芸人の「ごぜ」や、庄川での木材運搬の「木流し人夫」たちにより持ち込まれ、変化したものではないかと考えられています。
荘川騒ぎ
「日本民謡大観」によると古い形の《相撲甚句》のくずしであるとされており、ほぼ飛騨全域に分布しています。酒宴の席でのさわぎ歌として、三味線やはやしもにぎやかに誰でもが興に入って歌えます。
荘川しょっしょ
飛騨地方全域に渡って分布している歌で、飛騨を本場としています。「そうそう」→「しょうしょう」→「しょっしょ」と変化し、それがこの民謡の名前になったと思われます。荘白川ではリズミカルで名調子な曲となっています。
荘川輪島
能登輪島方面で素麺製造の粉引き歌として歌われていたものが飛騨地方全域に分布した曲で、各地での変化の状態からみて歴史的にかなり古いものです。最近では《能登麦屋節》としてレコード化されていますが、荘白川ではその古い名前である《輪島》をそのまま伝えています。
荘川古大臣
新潟県中魚沼郡十日町の「広大寺」にまつわるザレ歌が基で、三味線芸人の「ごぜ」さんたちにより日本各地に広まりました。 荘白川には「広大寺節」が《古大臣》として伝えられ、関東の《八木節》はその兄弟歌です。荘白川郷では、三味線伴奏に合わせてリズミカルで独特な味わいの名曲です。
日本一!30頭の連獅子が舞う
山々が真紅に染まる10月、町内各神社より30頭の獅子が集まり、山里の郷愁を想いおこすかのように、壮大な舞をくりひろげます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「白川郷の上流 飛騨高山の奥座敷 水と桜と自然の郷【荘川】」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1772486
気仙に「記憶の色」を訪ねて
黄金の国ケセン
気仙(けせん)は、伝統文化がいまも豊かに息づく土地です。
歴史的には「黄金の国ジパング」の名の元となった金の産出地としても知られ、 信仰、祭礼、踊り、建築物や美術工芸などを今に伝えています。
柳田國男が絶賛した地としても知られ、宮沢賢治の創作の源の一つでもありました。
現在は、大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町に分かれていますが、 文化財の宝庫として、今もケセンは「黄金の国」と呼ぶにふさわしいエリアです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その9)気仙に「記憶の色」を訪ねて~Ⅱ~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/9055070
国指定重要文化財『旧済生館本館』
三層楼
旧済生館本館を最も象徴する部分です。1層が8角形で正面に吹き放しの石敷きベランダ、2層が16角形の広間で屋根はドーム型の大屋根、3層は8角形の小部屋で広いベランダが取り付けられています。
外観は3層ですが、ベランダが4つあることからもわかるように、内部は4階建てとなっております。2階と最上階の3階の間にある部屋を、中3階あるいは階段室などと呼称しています。
このような複雑な構造は、小屋組みの一部に西洋の技術が取り入れられているほかは、日本古来の高度な木造建築技術が支えているといわれています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 明治の最高傑作 旧済生館本館(山形市)「明治の宮大工たちの魂は、昭和に引き継がれ、そして未来へと・・・」
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山形県尾花市
大正ロマン ~銀山温泉~
情緒あふれる大正ロマンの街並みで知られる銀山温泉に2022年7月1日、銀山荘グループ(山形県/尾花沢市)が新たに手掛ける日本の時代建築美を愉しむ「本館古勢起屋」が誕生します。
「本館古勢起屋」は今からおよそ100年前の大正・昭和初期、日本の建築様式に大きな影響を与えたアール デコ様式で建てられた貴重な歴史的建造物を、名工の手によって現代に蘇らせた時代宿です。
全14室ある部屋は川または山側に面し、おふたりでのご利用に最適なツインベッドのある和洋室をはじめ、歴代の匠の技をそのままに残した純和室の2タイプ。
1階には土間と囲炉裏のあるロビーラウンジの他、書家でもあった先代にちなんだ格調高い硯石を使用したお風呂と、かつての銀山温泉の様式を再現したレトロな大正風呂を復刻。
お食事は滞在中の飲食すべてがご宿泊料金に含まれたオールインクルーシブで、夕食は温泉街の登録飲食店にて召し上がることが出来る自由スタイルです。
時代を超え古き良き湯治場時代の❝銀山ぶらり❞を追体験する、きっと懐かしくて新しい旅になることでしょう。
登録有形文化財指定「本館古勢起屋」
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 ~色紐子(いろひもこ)好み~銀山温泉に日本建築美を愉しむ温泉宿「本館古勢起屋」が誕生!
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/34085134
~本館古勢起屋の歴史~
〜アール デコを和の感性で再構築した「ジャパン デコ」~
19世紀末から20世紀初頭にかけヨーロッパで盛んになった芸術運動アール ヌーボーに代わり、1920〜30年代にフラン スで発祥し、アメリカで栄えたアール デコは、それまでの華美な装飾を省いた商業デザインの先駆けともいえる様式で した。
シンメトリーで端正なアール デコのデザインは、⽇本の建築にも⼤きな影響を与え、⼤正・昭和の戦前期には⽇本の職⼈達の⼿によって、この様式を和の感性で再構築したジャパン デコ、いわゆる<洋⾵の和館建築>が盛んに造ら れました。「本館古勢起屋」が建てられたのもその頃です。当館は建物の特徴から、時代によって建て増しが⾏われ、1 ・2Fは⼤正期、3Fは昭和初期に造られたものだと推定されています。
~築100余年の歴史宿で楽しむ、新・銀山温泉スタイル~
⼤正ロマンの街並みで知られる銀⼭温泉に2022年7⽉1⽇、銀⼭荘グループ(⼭形県/尾花沢市)が新たに運営する「本館古勢起屋」がオープンいたしました。
「本館古勢起屋」は今からおよそ100年前の⼤正・昭和初期、⽇本の建築様式に⼤きな影響を与えたアール デコ様式で建てられた歴史的建造物を、名⼯の⼿によって現代に蘇らせた時代宿です。
全14室あるお部屋は川または⼭側に⾯し、ツインベッドのモダンな和洋室と当時の佇まいを残したレトロな純和室の2タイプ。館内には書家であった先代ゆかりの硯⽯の内風呂や、銀⼭温泉の古い様式を再現したユニークな⼤正⾵呂が誕生。
温泉街の系列飲食店でご提供するお食事は、滞在中のご利用すべてがご宿泊料金に含まれたオールインクルーシブで、現地での予算を気にすることなくお楽しみいただけます!ご利用はご夕食はもちろん、お夜食や翌日のチェックアウト後のカフェ利用も自由自在のうれしさ!
宿から飛び出して季節折々の銀山温泉をまるごと楽しむ、現代の「銀ぶら」をぜひ、現地でご体感ください。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020【NEW OPEN】2022年7月1日、銀山温泉に日本建築美を愉しむ温泉宿「本館古勢起屋」が誕生!~その2~
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37737995/
迎賓館 赤坂離宮のインテリア・建築
宮内庁宮内公文書館にのこる建設時の資料から、菊の御紋章を掲げた正面扉 と、両脇の小扉までの部分は、明治39年8月にパリのシュワルツ・ミューラー (Schwartz & Meurer)社から、購入したことがわかりました。 シュワルツ・ミューラー社は、パリの装飾鉄製品の会社です。シュワルツ・ミュー ラー社のデザイン画は、採用されたもののほかに、両脇に騎士の乗ったデザイン の哨舎が付いているものがあります。
さらに、資料から両脇の鉄柵は日本で製作されたものであることもわかりまし た。東京堅鉄製作所(代表・植田六郎平)が、その製作と取付を請け負っていま す。大正3年に完成した東京駅のアカンサス模様の装飾鉄柱も同じ会社が製作 しており、現在も山手線・京浜東北線のホームで一部を見ることができます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「迎賓館 赤坂離宮の一般公開についてのご案内」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1826084
京都迎賓館
Kyoto State Guest House
京都迎賓館は日本の歴史、文化を象徴する都市・京都で、海外からの賓客を心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に平成17年に建設されました。
歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋屋根と数寄屋造りの外観をいかし、築地塀を巡らせた品格のある和風の佇まいを創出しています。
建設に当たっては、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)など、数多くの伝統的技能を活用し、京都を代表する伝統技能者の技が生かされています。また、調度品についても西陣織や蒔絵(まきえ)、漆などの伝統的技能を活用した家具を配置しています。
東京(赤坂)に位置する洋風建築の迎賓館赤坂離宮とあわせ、国公賓などの賓客の接遇の場としての役割を果たします。
The Kyoto State Guest House is located in Kyoto, a traditional and culturally rich city of Japan. The facility was built in 2005 for the purpose of welcoming guests from abroad, for helping them understand Japan and for deepening friendship with Japan.
In order to harmonize the historical sites with the natural environment of the area, this house was created in a sophisticated traditional Japanese style, with a hip-and-gable roof which is called Irimoya. Also included is the free architectural design based on the decorative alcove, which is called Sukiya. Another special feature is the formal style fence called Tsuijibei, which is made by pounding a mixture of mud and clay and placing it between wooden frames. To build this house, many artisans, including Sukiya style carpenters, plasterers, special gardeners and metal foil cutters collaborated on special techniques which are recognized as traditional accomplishments in Kyoto. Interior design features include Nishijin fabric picture fittings called Makie, which are sprinkled with flecks of gold, silver or beautiful paint. Moreover, carefully selected lacquer ware that exemplifies tradition and excellent craftsmanship augments the graceful interior decor.
The Kyoto State Guest House offers a sense of hospitality based on original Japanese culture which makes it unique compared to the Western style of the State Guest House, Akasaka Palace, Tokyo.
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「京都迎賓館一般公開について Public Opening of the Kyoto State Guest House 【 内閣府 】」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3428824
京都御所・京都御苑
794年、桓武天皇が平安京へ遷都した当時の内裏(御所)は、この京都御苑から約2km西に位置していました。現在の京都御所は内裏の焼失等の際に、天皇の仮住まいとなった里内裏のひとつである東洞院土御門殿に由来するもので、1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。
1392年(明徳3年)の南北朝合一によって名実ともに皇居に定まり、明治に至るまでの 約500年の間、天皇の住まいでした。建物自体はその間も焼失を繰り返し、現在の建物は安政2年(1855年)に平安時代の内裏の姿にならって再建されたものです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「京都御所 宮廷文化の紹介」<平成29年秋>について
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3033508/
令和6年 京都御所 新春の展示について
宮内庁京都事務所は、新年に、京都御所において、新春にふさわしい展示を行います。
本展示では、新年にふさわしく、古来瑞鳥として愛でられてきた鶴の襖絵8面を展示します。襖は京都御所の上の間にあるもので、金砂子を用いた霞の中に鶴の群れが画かれており、北面では松が枝を広げ、西面では白梅が絵に華やぎを添えています。
筆者の中島来章は(1796~1871)は、京都で大きな勢力を誇った丸山派の幕末における中心人物で雅号には「鶴江堂」と鶴の字を用いています。
来章は同時代の横山清暉、岸連山、塩川文鱗と共に「平安四名家」と評されました。
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