伝統美と円熟の味が紡ぐプレミアム仕様の逸品
鮮やかな群青色の有田焼ボトル×酒類鑑評会大賞受賞の本格麦焼酎
宗政酒造_外観 なまこ壁は風雨に強く、防火、保温に優れている
商品画像_正面
佐賀県有田町に本社を構える宗政酒造株式会社(代表取締役:山崎 耕造)は、創業40周年を迎える節目に、有田焼の名窯「香蘭社」(株式会社香蘭社、本社:佐賀県西松浦郡有田町)とコラボレーションしたオリジナル陶器ボトル「宗政酒造 創業40周年記念ボトル “継新”(けいしん)」を数量限定で2025年7月1日に発売いたしました。
■宗政酒造 創業40周年記念ボトル “継新”(けいしん)について
商品画像_開封後
格式高い有田焼の美しさと宗政酒造が守り続ける酒造りの技が融合した特別な逸品です。
明治12年(1879年)創立 香蘭社の熟練職人が一つ一つ丹精込めて仕上げた有田焼ボトルに、
福岡国税局主催酒類鑑評会において平成15年(2003年)に大賞を受賞した、20年の熟成を経てさらに円熟した味わいへと昇華した焼酎原酒を詰めたプレミアム仕様です。
黒麹仕込ならではの重層的な旨みが時の流れとともになお一層まろやかに、そして奥行きのある味わいへと深化。口に含んだ瞬間、まろやかで重厚な味わいが舌を包み込み、後口にはほんのりと甘味を感じる上品な余韻が続きます。20年という歳月が磨き上げた円熟の極みに到達した本格麦焼酎をご堪能いただけます。
■商品名の“継新”(けいしん)とは
継:伝統・歴史・技を「継ぐ」
新:革新・創造・挑戦の「新しさ」
伝統を継ぎ、新しきを創る。伝統を尊びながら革新を進める、継古創新(けいこそうしん)の精神を一語で表現したものです。
【商品概要】
商品名 : 宗政酒造 創業40周年記念ボトル "継新”(けいしん)
中身酒 : 本格麦焼酎
平成15酒造年度福岡国税局主催酒類鑑評会 大賞受賞酒
原材料名 : 麦(佐賀県産)、米麹(国産米)
アルコール度数: 38度
内容量 : 720ml
蒸留方法 : 減圧蒸留 有田黒髪山系水使用(水源の森百選)
発売日 : 2025年7月1日
希望小売価格 : 100,000円(税込)
■容器ボトル・デザイン 有田焼 香蘭社陶器ボトル
香蘭社特有の瑠璃地の陶器ボトルを使用し、横置きもできる革新的なスタイルとなっています。
鮮やかな群青、「ロイヤルブルー」と呼ばれる香蘭社独自の瑠璃釉に夫婦鶴の飛翔する姿をプラチナ彩で描いています。四ヶ所に配置された瑞雲(めでたいことが起こる前触れに現れるという雲)には海松、花菱、麻の葉、七宝の吉祥地紋が繊細に敷き詰められ長寿、繁栄、幸福といった願いが込められています。
・海松(みる):松の葉に似ていることから海の松、永遠や繁栄
・花菱 :菱の紋様は生命力の強さを表し、長寿や子孫繁栄
・麻の葉 :麻の葉は成長が早く、真っ直ぐにグングン成長する為
・七宝 :円が繋がり続ける柄、円満や調和、繁栄
作業風景_宗政酒造
【会社概要】
宗政酒造株式会社
所在地 : 〒844-0014 佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙340番地28
代表者 : 代表取締役 山崎 耕造
事業内容: 焼酎、日本酒、リキュール、地ビールの製造販売
創業 : 昭和60年(1985年)
資本金 : 22,000千円
【問い合わせ先】
宗政酒造株式会社 酒類事業部 管理部
〒844-0014 佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙340番地28
担当 : 松尾 勝己
TEL : 0955-41-0020
FAX : 0955-41-0021
E-mail: munemasa@nonnoko.com
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
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アーカイブ リンク記事をご覧ください。
中田英寿×田根 剛の酒と建築
中田英寿率いる JAPAN CRAFT SAKE COMPANYは、2020年 4月 17日(金)から29日(水・祝)までの過去最長となる13日間 、東京・六本木にて、全国から選りすぐりの酒蔵が出店し、日本酒などの食文化をはじめとした、様々な日本の魅力を再発見できる「 CRAFT SAKE WEEK at ROPPONGI HILLS 2020」を開催します。
2009年春から47都道府県を巡り、日本の文化・伝統・農業・ものづくりに直接触れてきた中田英寿は、日本が世界に誇る文化や技術を“再発見”できる場を提供するプロジェクトの一つとして、2016年より「CRAFT SAKE WEEK」を開催してきました 。
中田英寿 プロフィール
元サッカー日本代表。引退後100以上の国や地域の旅を経験した後、2009年から、全国47都道府県をめぐる旅をスタート。
この旅をきっかけにこれまで350を超える酒蔵を訪問。日本酒の美味しさと文化的可能性を強く感じたことから、2015年には、「株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。日本酒に関するコンサルティング、日本酒セラー「Sake Cellar」、日本酒アプリ「Sakenomy」、オリジナル酒器ブランド「Nathand」の開発、世界最大級の酒イベントで『ゴールデン・ワールド・アワーズ2018』最優秀賞を獲得した「CRAFT SAKE WEEK」等、幅広い活動を行っている。
また、中田が全国を旅して出会った食・宿・文化などを、日本語と英語で紹介するWEBメディア「に・ほ・ん・も・の」や、その中から厳選した日本の逸品・人を紹介し多言語で出版される書籍「に・ほ・ん・も・の」( KADOKAWA)、ラジオ番組「VOICES FROM NIHONMONO」( J‐WAVE 毎週土曜)、 SNSなど、多くのメディアで情報を発信。
2020年3月開業 する 高輪ゲートウェイ駅前にて「J-WAVE NIHONMONO LOUNGE」を期間限定で開催することを発表した。
田根 剛 プロフィール
1979年東京生まれ。2002年北海道東海大学建築学科卒業。2003年デンマーク王立アカデミー客員研究員。へニング・ラーセン、デビット・アジャイエの事務所を経て、DGT.(Dorell. Ghotmeh. Tane/Architects)をフランス・パリに設立。DGT.での10年の活動を経て、2017年ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS設立。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地でプロジェクトが進行中。
主な作品に『エストニア国立博物館』『A House for Oiso』『とらやパリ』『LIGHT is TIME』愛知県芸術劇場では『ラ・バヤ デール―幻の国』空間を担当。『Todoroki House in Valley』など。
また2012年の新国立競技場基本構想国際デザイン競技では『古墳スタジアム』がファイナリストに選ばれ国際的な注目を集める。フランス文化庁新進建築家賞、フランス国外建築グランプリ、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート、第67回芸術奨励文部科学大臣新人賞など多数受賞。
2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 中田英寿×田根 剛の酒と建築「古来より米と酒は日本の文化を支え祀ってきた」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7640454
犬山の見どころ
国宝 犬山城
国宝 犬山城 天守閣
犬山城は木曽川南岸標高約85メートルの崖の上にそびえ、天守は全国の現存するもののなかで最も古いとされています。地形的にみると、丘陵と周囲の平地をあわせた「平山城」ですが、天守の背後の木曽川が自然の要害となっているのが見て取れます。
犬山城は天文初め頃、織田与次郎信康によって創建されたとされていますが、以後、とくに木曽川を押さえる、軍事上・経済上・交通上の重要な拠点として重きをなしてきました。
天守の高さ
約24メートル(内石垣の高さ 約5メートル) 3重4階(及び地下2階:石垣中)
南面に付櫓がつく 1階:上段の間・武者隠しの間・納戸の間 城主の居間とされ、床が高く畳が敷き詰められ、床・違い棚が設けられた書院造りの間です。
これは、江戸時代(文化年間)の改造と考えられています。その北は、万一を警護する武士の詰所となっており、東は、納戸の間が配されています。それらをとりまいて武者走りの板の間があります。
2階:武具の間
中央が武具の間で、西北東の三方に武具棚が備えられています。
3階:破風の間
唐破風は、元和~貞享の七十余年の間に、成瀬氏により増築されたといわれます。南北に唐破風、東西に千鳥羽破風が設けられています。
4階:高欄の間
回廊は、成瀬氏による増築とされ、高欄と廻縁がまわる望楼となっています。
犬山祭
犬山祭出陣式 男衆の先頭に立ち神に祈りをささげる 元 犬山市長
山車揃い 夜は提灯でライトアップ
犬山祭は、犬山城の麓に鎮座する針綱神社の祭礼として毎年4月に行われています。
祭りの起源は、1635年まで遡り、当初は、下本町が馬の塔を、魚屋町が茶摘みの練り物を出していましたが、1641年には早くも下本町が車山(犬山では「車山」と書いて「やま」と呼んでいます)に変えて人形からくりを奉納するようになり、江戸中期までには今の犬山祭の原型がほぼできあがっていたものと思われます.。
犬山城築城後、町家中心の城下町であったが、江戸期、成瀬氏入城後は町家を取り囲むように武家屋敷が形成され、現在の町となりました。
城主と町衆の関係は良好で、各町内の町代は自治組織の長として領主より若干の扶持を拝領し、祭礼時には帯刀も許されたのでした。
各町内は、祭礼の費用を税の名目で徴収していました。
町衆組織が祭を運営してきた歴史が、現在も町衆の心意気として受け継がれており、 全部で13両の車山とと3つの練り物が、それぞれが町内単位で管理・運営されています。
有楽苑
国宝茶室「如庵」
信長の実弟である有楽齋の遺構で「国宝三名席」のひとつ。
普段から内部をご覧いただける唯一の国宝茶室で古暦を腰貼りにした暦貼り、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙り口など随所に独創的な工夫が凝らされています。
元庵
有楽齋が大阪・天満に構えた茶室を古図に基づいて復元。亭主が上座につく、亭主床と呼ばれる床構えになっています。
弘庵
苑内で四季折々催される茶会のために新築された茶席。つくばいは風雅な音色を奏でる水琴窟。
旧正伝院書院
如庵に隣接して建てられた有楽齋の隠居所で内部には長谷川等伯や狩野山雪などの襖絵が残っています。(普段は非公開)
有楽苑内の楽しみ方-呈茶-
木曽川うかい
西暦636年に中国で執筆された隋代を扱った歴史書「随書」に鵜飼のことが書かれています。
日本の鵜飼は一か所を除きウミウですが、中国ではカワウを使います。
ヨーロッパにおいては16~17世紀にかけて鵜飼はスポーツとして行われていました。
竿で魚を釣るように大方の人にできる漁法ではありませんが、鵜飼は一部の人たちによって伝統漁法として現代まで受け継がれてきました、それだけに鵜飼は、日本の伝統として後世に伝えていくべき大変貴重な漁法であると思います。
鵜飼は、美濃国では702年(大宝2年)の各務郡中里の戸籍「鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)」の記述が最も古い資料です。この資料から木曽川うかいの起源は、今より1300年前と考えられています。
犬山では、今から340余年前に犬山城3代目城主成瀬正親公が御料鵜飼として始められ鵜匠を保護したと言われています。昔は漁として行っていたため、満月・水の濁ったときは鵜飼をとりやめていましたが、明治42年頃より観光を取り入れて行っているため、増水・台風時以外のときは行われています。
ライトアップされた国宝犬山城を背景に、1300年もの伝統を誇る、幻想的な歴史絵巻が目の前でくり広げられます。
徳川家康も好んで飲んだと伝わる
『荵苳酒』の歴史と伝統
何と!なんと、その伝統を守ること、今を距ること約四百余年前、時は慶長二年、この『荵苳酒』尾張最古の銘酒なのであります。
二代目小島弥次左エ門創業に依り当代で十四代目となり連綿たる歴史を有しているのです。
元和五年沢菴禅師が犬山に御出の折次の言葉を詠まれました。
『本年忍冬とかけるを後の人草甲を加へたりつる 葉かれずして冬を忍ぶ故なり
梅が枝も寒若を経て春にあふためし十年にあらずめでたきものは忍冬酒なり
そこもとにても、めしあげられ、よろしきことに給ひ置きて幾度も盃をあげ申すべきにて候』
上の書は今でも尚、小島家に保存されております。
犬山藩主成瀬子爵家所蔵の正徳合帳「献上帳」を見ますと徳川五代将軍綱吉公の代に
『宝永ニ酉年十二月廿四日、稲葉丹後守様へ境沢嘉兵衛罷越し寒中御機嫌御伺いの為の忍冬酒献上仕り候」又「各大名へ寒中御見舞として忍冬酒献上仕り候』
という記事が詳細に掲載されております。
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