ZIPANG-10 TOKIO 2020異端の建築家・渡邊洋治 最晩年の傑作「斜めの家」に泊まって学ぼう!

一般向け宿泊体験受付を開始&ガイド付き内覧会のおしらせ


斜めに傾いた銅の箱が宙に浮かんだように見える北側外観


南側外観(雨戸を閉めた状態)


新宿に半世紀以上にわたり威容を誇る「軍艦マンション」。
その設計で広く知られる建築家・渡邊洋治(1923-1983)。彼が出身地である新潟県上越市で設計した「斜めの家」(1976年竣工)は、彼の遺作であり、建築専門家や一部のファンの間でその存在が知られてきました。


「斜めの家」は、ほぼ設計当初の姿を保っており、2013年頃より所有者の好意により地元有志による見学会が時折開催されてきました。


渡邊洋治生誕100周年となる2023年に、継続的な保存と活用を目指し、地元有志「ナナメの会」がクラウドファンディングを実施。設備修繕が行われ、2025年3月より一般向けの宿泊体験の受付を開始しました。


大胆な造形で知られる渡邊洋治ですが、彼の設計理念は、かつて太平洋側に対し「裏日本」と呼ばれた故郷の風土に根ざしています。上越市の風土を知ることが「斜めの家」を理解することにつながり、ひいては渡邊洋治の思想を知ることになると考えています。


斜めの家の特徴的なスロープ空間 階段の無い2階建て住宅である


また、「泊まって学べる名住宅」をコンセプトに、「斜めの家」の設計図一式や、クラウドファンディング時に作成した渡邊洋治の設計図集、額入りA1パースなどの関連資料を常設しています。


上越市に隣接する糸魚川市には、渡邊洋治独立後の処女作であり、渡邊洋治事務局が特に推奨する「善導寺」(1961年竣工)や、建築家・村野藤吾の最晩年の傑作「谷村美術館」(1983年竣工)もあります。「斜めの家」に宿泊し、糸魚川市へ足を延ばして建築巡りを楽しむのもおすすめです。



【内覧会&ミニレクチャー開催のご案内】

一般宿泊の開始を記念して、ナナメの会会員およびメディア関係者を対象に、「斜めの家」ガイド付き内覧会(無料)を開催いたします。建築文化や保存活動にご関心のある方はぜひご参加ください。

<開催概要>

日程①:2025年5月11日(日)13:00〜15:30

日程②:2025年5月28日(水)13:00〜15:30

会場:「斜めの家」 新潟県上越市大豆2丁目2−18

ガイドレクチャー:「斜めの家と地域の建築文化」

 講師:中野一敏(ナナメの会代表/建築家・一級建築士)

参加方法:事前予約制

お問い合わせ:naname023@gmail.com (ナナメの会 中野一敏)

※「ナナメの会」は「斜めの家」の保存・活用を支援する地元有志による団体です。入会費・会費は不要で、2023年以降に活動に参加された方、および今後継続的な参加の意思がある方は会員としてご参加いただけます。


【プロジェクトメンバー紹介】

〇中野 一敏(ナナメの会代表)


建築家・一級建築士/新潟工科大学・上越総合技術高校 非常勤講師

2013年より「斜めの家」の保存活動に携わり、見学対応・修繕・設計意図の調査を実施。2023年には渡邊洋治生誕100周年記念イベント・原図展・クラウドファンディングを主導し、「斜めの家」の民泊化と設備修繕を実現しました。


〇株式会社ニューサイエンスジャパン



民泊サポート民泊運営サービスを展開している㈱NSJでは今回斜めの家の民泊宿泊サービス開業・運営をさせていただきました。


当社の民泊運営代行では、予約管理や清掃・点検、ゲストとのコミュニケーションなど、民泊運営に関わるさまざまな業務にも対応しております。宿泊者の心に残る旅のお手伝いをさせて頂いております。さまざまな業務にも対応しております。


今回空き家になっていた遊休資産が貴重な『泊れる建築遺産』となりました。大切な資産を利活用できる機会を与えていただき感謝いたします。


民泊に興味のある方、遊休資産活用してみたい方、ぜひお問い合わせください。


株式会社ニューサイエンスジャパン

〒942-0147 新潟県上越市頸城区西福島662番地9
TEL 025-546-5560 / FAX 025-546-5561
フリーダイヤル 0120-684-111



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


新潟県「関川村」の見どころ(1)


                         関川村について

                             石置木羽葺屋根の母屋


渡邉邸 

米沢街道における豪商・豪農・大庄屋の屋敷。昭和29年(1954)には国の重要文化財に指定されました。広さ3,000坪の敷地に石置木羽葺屋根の母屋、6つの土蔵、国指定名勝の庭園があります。


関川村の歴史・文化

関川村は日本海側と内陸を結ぶ交通の要衝にあり、先史時代より荒川沿いに道ができて発達してきました。

今から約500年前、米沢の戦国大名、伊達種宗(たねむね)が羽越国境の大里(おおり)峠を開き、そこにつながる道が次々と整備され、十三峠ができました。


十三峠

鷹の巣峠-榎峠-大里峠-萱野峠-朴ノ木峠-高鼻峠-貝淵峠-黒沢峠-桜峠-才ノ頭峠-大久保峠-宇津峠-諏訪峠


米沢街道

米沢街道の歴史と概要

「越後米沢街道」は、山形県置賜地域と新潟県下越地域を結ぶ約70kmの街道で、13の峠があることから「十三峠」と呼ばれています。十三峠は1521年(大永元年)に伊達14代の種宗(たねむね)により羽越国境の大里峠が開かれたのが始まりで、江戸時代にかけて順次整備されました。


この街道を通って米沢方面に運ばれる荷物を「上り荷」といい、塩、鉄、魚、お茶などが運ばれ、越後への「下り荷」は小国蔵米、織物の原料・青麻(あおそ)・煙草・漆・蝋燭などが運ばれました。


1996年黒沢峠、大里峠、鷹の巣峠が「歴史の道百選」に、2008年「越後米沢街道・十三峠」が日本風景街道に登録されました。


明治時代 米沢街道十三峠を旅した英国の女性旅行作家 イザベラ・バード

旅行記「日本奥地紀行」の著者イザベラ・バードは、明治初頭、横浜から函館まで東北地方の旅の途中、十三峠を歩きました。バードは明治11年(1878年)7月11日新潟県関川村沼、7月12日小国町市野々(いちのの)、7月13日川西町小松に宿泊しました。十三峠の山中では「大きな山岳地帯に難儀したこと」が記されるとともに、米沢平野を「東洋のアルカディア」と称したことが有名です。


新発田または村上の城下町を起点にこの十三峠を越え米沢城下町に至る街道は米沢街道と呼ばれ、その宿駅として、また荒川舟運の拠点として盛えたのが関川村の下関・上関です。


その中心地には国指定重要文化財「渡邉邸」と「佐藤邸」、県指定文化財「津野邸」、村指定重要文化財「東桂苑」と四つの豪壮な建物が並び、江戸~明治期の街道の風情を今に伝えるこの街並みは平成19年「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれました。


渡邉邸

米沢街道における豪商・豪農・大庄屋の屋敷
昭和29年(1954)には国の重要文化財に指定されました。広さ3,000坪の敷地に石置木羽葺屋根の母屋、6つの土蔵、国指定名勝の庭園があります


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 新潟県「関川村」の見どころ(1)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/41047920



新潟県「関川村」の見どころ(2)


関川村の冬は山間部よりということもあり、雪深い印象を持たれておりますが、2023年現在は落ち着いています。

※1月の観測値は71cmでした。(観測地点によって異なります)。
除雪もキレイにされていますので車の通行は問題ありません。


今年は卯年、関川村はうさぎにゆかりのある村です。光兔山、光兔神社などがあり、本年はご参拝には絶好の機会になりますので是非訪ねてみてください。


癸卯は関川村の光兔神社へ

2023年はどんな年?

2023年は癸卯の年で、「癸」と「卯」の組み合わせから、これまでの努力が実を結び、勢いよく成長し飛躍するような年になると考えられています


光兔神社

光兔神社では光兎大神(こうさぎおおかみ)を祀られていて飛躍・躍進、子孫繁栄、子宝などのご利益があります。

境内にはたくさんのウサギの置物や授与品(御守など)があり見るだけでも楽しいパワースポットです。


<癸の意味>

「癸」は雨や露、霧など、静かで温かい大地を潤す恵みの水を表しています。

十干の最後にあたる癸は、生命の終わりを意味するとともに、次の新たな生命が成長し始めている状態を意味しているそうです。

「種子が計ることができるほどの大きさになり、春の間近でつぼみが花開く直前である」という意味だと言われています。


<卯の意味>

「卯」は穏やかなうさぎの様子から安全、温和の意味があります。

うさぎのように跳ね上がるという意味があり、卯年は何かを開始するのに縁起がよく、希望があふれ、景気回復、好転するよい年になると言われています。

また、「卯」という字の形が「門が開いている様子」を連想させることから
「冬の門が開き、飛び出る」という意味があると言われています。


大したもん蛇祭り

えちごせきかわ大したもん蛇祭


大したもん蛇まつりって!?

メインイベントの大蛇パレードに登場する長さ82.8m、重さ 2t の大蛇は村民の手作りで、竹とワラで作った世界一長い蛇としてギネスブックに認定されています。

まつりのメインである大蛇パレードは、毎年8月の最終日曜日に開催され、その前夜には、夜空を彩る花火大会、秋の気配を感じながらの盆踊りが開催されます。


きっかけは何だったの?


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020新潟県「関川村」の見どころ(2)関川村の光兔神社&ギネスブックに認定「竹とワラで作られた世界一長い蛇」54集落が力を合わせて地方創生
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/41066477



表日本と裏日本とは(1)

明治維新までは日本海側こそが我が国の表日本だった


歴史を辿れば、我が国の対外交流は記紀に見る古代の大量の渡来人(秦、や高句麗、渤海、新羅、百済etc,)等は、ほぼ東アジアに限られていた為、日本海側沿岸部に設けられていた主要港が国内外の玄関口であり、海運・物流拠点でした。


すなわち、明治維新までは長い歴史を通じて日本海側こそが我が国の表日本だったと言えましょう。


そもそも、太平洋側が何故に表日本となった由来を考えますと、歴史的には時の権力者聖徳太子が古代中国、隋の煬帝に向けて使者(遣隋使小野妹子)を派遣し、国書を携え朝貢しましたが、使者によれば次のように記述されていたのです。


倭王のタリシヒコ(用明天皇説が有力とも…)が「海西の菩薩天子(隋の煬帝?)に宛てた? ➡「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙無きや…云々」


この意味は、ー真っ先に朝日が登る国の天子から日が沈む国の天子へ。ご安泰ご隆盛をお慶び申し上げる。ーという感じでしょうか?


これは、あまりにも大国に対して小国日本が胸を張ったとする、無礼極まる有名なお話(勿論、随国の煬帝は激怒したとか…しないとか…?兎に角収まった)。しかし、この時代に日本はすでに「日の本」の国であることを自ら明言していますね?


とは言え、日本海に面した日本海沿岸部は、恐らく長い歴史(氷河期から?)を通じて、日本の表玄関とはアジア大陸との外交関係からみても、れっきとした日本海側地域でした。


ところがつい最近まで私達の記憶にあるのは日本海側こそが「裏日本」。
そう呼ばれて来たのは明治以降の話なんです。たった100年足らずの間だけ。何故でしょう?


それは1960年頃、新潟県から一種の差別用語として苦情が出た為に禁句となり、メディアからもその言葉は一斉に消え去ったのです。


日本海を表日本にした北前船の活躍

江戸時代半ばから明治の半ばにかけて、大阪と北海道を結び物流専門の輸送手段が北前船てした。


酒田港と紅花は切っても切れない仲

「最上紅花」は日本一の産地となった山形県花の呼称です。
その酒田港、最盛期には日本の真ん中とされたほど、脚光を浴びた北前船の本領を発揮したところでした。


のこぎり商法の由来

江戸時代から明治にかけて日本海の海運で活躍した、主に買積みの北国廻船(かいせん)です。この買積み廻船とは商品を預かって輸送するのではなく、その船自体が寄港地でその土地の商品を買い、それを他の寄港地で売買して、利益を上げるシステムなのです。


このアイディアは当初、近江商人たちの発想で、当然彼らが主導権を握っていましたが、こんな美味い汁を彼らだけに吸わせて放っておく手はありません。(独禁法なんてなかったのでしょうね)後に船主が主体となって交易するようになりました。


暖流の對馬海流は北航路を早く走り、上りではリマン海流に抗いながら、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海の大坂に向かうのです。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 表日本とは日本海側だったこと知っていますか?(その1)・・・【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10889691



「最上紅花」 が 「北前船」のプリマドンナ(2)


はじめに

前回の記事では日本海側こそが「表日本」だったお話に焦点を合わせましたが、それには切っても切れない主人公が「北前船」だったからです。また、その「北前船」にとっては、切っても切れないプリンセスが「最上紅花」なのです。今回はそのお話が中心となります。


北前船西廻り航路の主力商品はお米。ではなぜ数あるお米の生産地の中から酒田が北前船の寄港地として選ばれたのでしょう? それはお米の保管倉庫として使われている山居倉庫が最上川に隣接して建ち、船にお米を積み込むのに便利だったことが理由のひとつであり、保管に必要な様々な工夫凝らされていたことがあるのだろう。


酒田 山居倉庫 北前船集積地の米倉庫 NHKドラマ「おしん」の舞台となりました。


この山居倉庫は白壁、土蔵づくりの倉庫が9棟も連なりお米が10,800トンも収容可能。風よけや西日による高温防止のために背後にケヤキを植えたり、内部の湿気を防止するため二重屋根にするなど、お米の保存に最適な倉庫にするための工夫があちらこちらに見られます。

今も現役の農業倉庫として使用されていて、秋には収穫されたお米を運ぶ風景を見ることができるのです。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 「最上紅花」 が 「北前船」のプリマドンナだったこと知っていますか?(その2) ・・・【寄稿文】日原もとこ(色紐子)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11002749



※現在、2600件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
https://tokyo2020-10.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/

 

ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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