ZIPANG-10 TOKIO 2020【リアルスタイル】世界最大級のデザインイベント「ミラノデザインウィーク2025」に初出展

菅原道真

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ

                     拾遺和歌集 巻第十六より


世界最大級のデザインイベント「ミラノデザインウィーク2025」に初出展

リアルスタイルが初出展するMILAN DESIGN WEEKにて、川上元美氏のプロダクトを展示。Cochiシリーズを中心に、新作も発表予定。


出展商品紹介

今回の展示会では新作の発表に加え、国産材や日本の伝統技術のPRにも力を入れており、特別企画として木材に国産の桜、けやきを使用し、塗装には漆を使用した商品を展示します。椅子張りにも国産のファブリック(協力:株式会社川島織物セルコン)を採用する事で日本の洗練された感性や繊細なクラフトマンシップを世界に向けて発信します。


■新商品「FUGA」Designed by Motomi Kawakami 2025

・展示商品:FUGA Chair

鍵盤楽器の即興演奏から発生した楽曲が「toccata」、逆に「fuga」は特定の対位法を用いて調和する楽曲で、テーマを巧みに展開していく技巧の曲と云われる。日本語で言う「FUGA」_『風雅』とは「elegance and tasteful」を意味しており、此処ではダブルミーニングを取り込みました。


曰く、このFUGA chairは名のとおりクラシカルな雰囲気も有しながら、新たなリズムで紡ぎ出された曲線美を持ち、モダンな印象を兼ね備えています。いかなる場面でも主張しすぎることなく、場に華やかさを添えてくれます。


■「Cochi」Designed by Motomi Kawakami 2018

展示商品:Cochi armchair / Cochi chair / Cochi round dining table / Cochi 1P Sofa / Cochi living table / Cochi personal chair(NEW)



無垢材の重厚感に軽やかさを与えることで、日本の住空間で際立つファンクションと美しさを追求。すっきりとした清楚な佇まいの中に、日本の家具の在り方を表現しました。身体をあずけた時の何とも言えぬ心地よさで分かる確かな品質、手抜きのない誠実な職人仕事が導き出す柔らかな表情、木の理屈にかなった構造による強度と安心感など、永く親しまれるロングセラーにふさわしい要素を多分に盛り込んでいます。世界に向けたEast trendを代表する「春をよぶ風(東風)」になるよう、Cochiと名付けました。今回の展示会では既存商品に加え、新作のパーソナルチェアを発表します。


■「Kime」チェア Designed by Motomi Kawakami 2022

展示商品:Kime Chair



「Kimeチェア」は、Cochiチェアのイメージを踏襲しながら、より多様なシーンで使いやすいデザインに仕上げました。曲木の背部は背当たりが良く、肘掛けを兼ねたアーム部は手に馴染みやすいフォルムとし、脚部の流れるようなラインが、デザインのアクセントとなりました。簡潔かつ洗練された意匠は、背面から見た際にもその美しさを際立たせています。シンプルな構造により部品点数を最小限に抑えたことで軽量化を実現し、取り扱いやすさを向上、いつの時代どの工房でも修理できることもKimeチェアの普遍的価値を高めています。


リアルスタイルが2025年にMILAN DESIGN WEEK(Brera Design District)へ初出展。
ミラノの賑わいの中心でも有り、Fuori Saloneの中心地でもあるブレラ地区内で、毎年サローネ期間中に様々なイベントが開催されるブレラ絵画館からも程近いCiovasso通りに面したギャラリー、「MADE4ART」を会場とします。


今回の出展では、ミラノを代表する建築家であり工業デザイナーのアンジェロ マンジャロッティ氏に師事をした経験もあり、日本を代表するプロダクトデザイナーの一人であり、ミラノにもゆかりの深い川上元美氏のデザインしたプロダクトに特化した展示を企画。Cochiシリーズを中心に新作も発表を予定しています。

展示会タイトル“Japan” East wind

日本では、春を告げる東風にさまざまな愛称を付け、古くから春の訪れを待ち望んできました。私たちは、その風のように、日本のライフスタイル、デザイン、クラフトマンシップ、素材、機能性を世界へ発信し、和を尊び、平和を愛する心を伝えていきます。

日程:2025年4月7日(月) -13日(日) 10:00 -19:00※最終日13日(日)は16:00閉場

レセプションパーティー 4月10日(木)18:00~20:00

場所:「MADE4ART」

住所:VIA CIOVASSO 17, 20121 MILANO / http://www.made4art.it/

展示協力:株式会社 山翠舎/ 株式会社 スズサン/ 株式会社 川島織物セルコン

タイトル及び会場内展示書協力:書家 外山伸 氏


デザイナー紹介:川上 元美 氏



1940年兵庫県生まれ。1966年東京藝大大学院美術研究科修士課程修了。

1966~69年アンジェロ・マンジャロッティ建築事務所(ミラノ)勤務。

1971年カワカミデザインルーム設立、現在に至る。

日常ワークとして、クラフト、プロダクト・デザイン、家具、空間、環境デザインなどの仕事を手掛けている。また、各地方産業や人材の育成にも従事。東京藝術大学、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、神戸芸術工科大学等、客員教授歴任。


主な受賞:日本インテリア・デザイナー協会協会賞、第14回ミラノトリエンナーレ入選、アメリカ建築家協会(AIA)主催チェア・デザインコンペ1席、毎日デザイン賞、国井喜太郎産業工芸賞、土木学会・田中賞、IF賞、Gマーク金賞等。


Brera Design District “Japan” East wind

開催期間

2025年4月7日(月)~13日(日)10:00~19:00

※最終日13日(日)のみ10:00~16:00

レセプションパーティー

4月10日(木)18:00~20:00

開催場所



MADE4ART

VIA CIOVASSO 17, 20121 MILANO


展示協力

SANSUI / 株式会社 山翠舎

長野県長野市の建築会社、山翠舎による新ブランド。何代にもわたり大切に使われた古民家の柱や梁から良質な木材をセレクトし、職人の手仕事で唯一無二のアートピースへと昇華させています。時の重なりを投影する「古木」を通じて手仕事と暮らしのストーリーを現代に繋げ、新しい美しさを提供します。

※展示協力:古木ベンチ、オブジェ


株式会社 スズサン

株式会社スズサンは、名古屋市有松の伝統技法「有松鳴海絞り」を家業として400年以上続く手仕事を継承してきました。現在は自社ブランド<suzusan>を軸に、企業コラボや教育活動にも注力。ドイツ在住の5代目村瀬弘行を中心に国内外でのワークショップや技術継承にも取り組み、新しい伝統の形を模索しながら、産地や人とのつながりを深めています。

※展示協力:クッション、ブランケット、照明


株式会社 川島織物セルコン

川島織物セルコンは、1843年に京都で創業したファブリックメーカーです。
伝統と現代の技術の融合によるファブリックの可能性を追求し続け、
日常を贅沢に彩るファブリックをお届けします。

※展示協力:ファブリック



リアル・スタイル株式会社

全国6店舗の直営店を運営しながら一級建築士事務所を併設。建築から家具まで全てオリジナルブランドで提案出来る住空間のライフスタイルカンパニー。「本物」をコンセプトに素材、デザイン、品質のバランスが取れた普遍性の有る物づくりを追求します。

所在地 愛知県名古屋市中区大井町1番41号
電話: 052-265-9539(代表)



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


ー編集局からー

Salone del Mobile.Milano 2022

第60回ミラノサローネ国際家具見本市 閉幕

ライブイベントとして復活したミラノサローネ

期待以上の来場者数を記録


ミラノサローネ                          編集局イメージ

編集局さん、おみゃあさま、いったゃあいつの頃のサローネの画像だなも⁈
何いっとりゃあす、とろくっさゃあこと言わんといてちょうだゃあませ。
現代はよう伝統とモダンとナチュラルだがね「古今折衷」でええんと違うキャア!
ワシはそんなこと言っとるんじゃニャア!おみゃあタワケか😠何べん言ったらわかってチョウス「キャアキャア」いやあすな、名古屋弁で言うな‼また『タモ』さんに笑われるでなも、わかったキャア・・・⁉


品質、コミットメント、結束力、

そして再出発への強い意志によって成功を収める

第60回ミラノサローネ国際家具見本市(以下、ミラノサローネ)は、予想をはるかに上回る262,000人以上の来場者を記録し、ミラノ市とシステム全体の国際的な再スタートを切ることができ、このイベントの触媒的な力を確認することができました。


セルジョ・マッタレッラ イタリア共和国大統領のメッセージと共に開幕したイタリアの歴史が誇るミラノサローネは、非常にポジティブな結果で幕を閉じ、このイベントの魅力と世界への大きな影響力を誰もが再確認することができました。


出展企業1575社(内27%国外)と600人のサローネサテリテ参加デザイナーを合わせた2175の展示は、6日間で173カ国から262,608人の来場者を記録しました。トレードオペレーターやバイヤーの61%が国外から来場、2019年には42,000人以上を占めていた中国とロシアの来場者はほぼ不在の中、世界各国から3,500人以上のジャーナリストの来場も記録しました。


ミラノサローネ代表、マリア・ポッロ氏のコメント:


By Salonejp Luglio 21, 2021


「第60回ミラノサローネは予想をはるかに超え、大きな満足と深い感動をもって幕を閉じました。来場者数は、私たちが努力して達成した素晴らしい結果です。今回の開催で、この見本市の国際的な広がりとデザイン界の結束を確認することができました。


この結果は、ミラノサローネの健全性と価値を示すものであり、国際的なレベルで最も複雑な局面においても、セクター全体とその創造的・生産的な組織のチームとして働く能力が、いかに優れた結果を生み出すことができるかを証明するものです。


私たちは品質に投資し、イノベーションを生み出し続け、企業や製品の『ストーリーを伝える』ことへの意欲を示しました。常に密接な関係にあるミラノの街を、再び活性化させるエンジンになったのです。


また、デジタルの役割は極めて重要で、この1週間で新しい国々と接触し、これまで接触できなかった国々と強い関係を維持することができました。


このイベントに関わった企業、主催者、フィッター、デザイナーなど、一緒になってイベントを信じてくれたすべての人に感謝します。今回のサローネサテリテが、この業界とミラノに新たなエネルギーを与え、グローバルで意識的な体験を提供しようとする熱意と意欲を感じ取っていただけたと信じています」



編集後記

昭和の時代に、地図を片手にミラノの市内電車や徒歩で展示場やショールームを駆けずり回ったものです…


当時、熱心なインテリアコーディネーターやタマゴさんたちは、インテリアデザイン・商品知識を修得するために『手弁当』で、世界各地で開催されるインテリア関連イベント等に足繫く通ったものでした…その中でもイタリア『ミラノサローネ』は人気が高く(当時は秋に開催)、ドイツの見本市と双璧でした・・・


今やどの業界においても、コロナが収束してマイナスからでも再出発すことが出来ることを願うばかり…少なくとも日本製の飲み薬が認可されるまで、できる限り他の人に感染しないよう一人ひとり行動に心がけながら…


発想を転換して現代の『不便な時代』こそ新しいと考えては如何でしょうか🥺

かって駄菓子屋で母親が子供に『お菓子は一つだけだよ一つだけ』と叫んでいた昭和の『辛抱の時代』にタイムスリップ!!!


平成生まれの人たちに出来るかな~🐸 昭和生まれの先輩方に負けずにチャレンジ ❣

平成生まれ曰く『チャレンジするのは昭和生まれの方たちの方では❓私達には平成の三種の神器あり、到底~種子島~では勝ち目はありませんよ、ライン・ツイッター・SNS等々…オンラインはお手の物。『古今折衷』習得済み・・・昭和生まれの皆さんのご健闘をお祈りいたします。』・・・😓


ZIPANG-6 TOKIO 2020 JID中日本エリアデザイン情報 Milan Design Week 2022 Special Video in NAGOYA
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/38008361



太宰府天満宮

右には飛梅、左には皇后梅が配されています。


太宰府天満宮「曲水の宴」における巫女による 飛梅の舞


919年(延喜19年)、左大臣藤原仲平が勅によって社殿造営を行いました。数度の炎上を経た1591年(天正19年)に小早川隆景が再建します。五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式で、右には飛梅、左には皇后梅が配されています。現在国の重要文化財として指定されています。


右に配される飛梅は、大宰府へ左遷された際に菅原道真公を慕って一夜のうちに京から空を駆けてきたという伝承をもつご神木で、千年以上の時を経た今も毎年その清香の華を咲かせます。 飛び梅ほか6000本も植えられている梅をはじめ、大樟や花菖蒲など、菅原道真公を祀る境内は豊かな緑と花に包まれ、四季ごとに美しく彩られます。



ZIPANG TOKIO 2020「学問・至誠・厄除けの神様 太宰府天満宮は天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮(その壱)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3956050



天神さま 太宰府天満宮とは

全国約12,000社の総本宮と称えられ、ご崇敬を集めています。


太宰府天満宮は、菅原道真公の御墓所の上にご社殿を造営し、その御神霊永久にお祀りしている神社です。 日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約1000万人の参拝者が訪れています。


天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮と称えられ、「学問・至誠しせい・厄除けの神様」として、ご崇敬を集めています。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「太宰府天満宮御本殿は五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4023347



~倉俣史朗~「倉俣以前・倉俣以後」

プロフィール

1934年東京生まれ。東京都立工芸高校木材科を卒業後、帝国器材家具工場に入社。

1956年桑沢デザイン研究所卒業。三愛宣伝課を経て、松屋インテリアデザイン室に嘱託。

1965年クラマタデザイン事務所設立

1972年毎日産業デザイン賞受賞

1981年日本文化デザイン賞受賞


編集後記

~倉俣以前・倉俣以後~

インテリアデザインには、デザイナー一人一人の描く宇宙がある。それは思想であったり記憶であったり、夢であったり、表現の方法はそれぞれ違うものの、創造の楽しさ、という点ではすべて共通するものがある。なかでも「倉俣以前・倉俣以後」という言葉で表現されるほどデザイン界のエポックメーカーでもある倉俣史朗氏の「宇宙」は興味深い。


昭和62年8月頃、倉俣氏のデザインオフィスを訪ねインタビューした時のことをこの機会に改めて振り返ってみたいと思います。(抜粋)


倉俣史朗氏(以下倉俣)

僕はデザインというのは、自分自身を表現する方法だと思ってやっています。ある意味では詩をつくるように、例えば椅子をデザインした時にこれを作ったら売れるだろうというような考えはあまりなくて、まず自分が作りたい、表現したいということから始まりますね。

それが結果としていつか製品化されるということはあっても、最初から商品化する目論みでやるというのは非常に少ないケースです。ですから16年も前にデザインした家具が、やっと一昨年から生産し始めたということもあります。


🐦えっ、そんなこともあるんですか。

倉俣

自分のためというとちょっと大袈裟かもしれませんが、そこからまず考えますし、ある意味では、そのプロセスで自己発見、あるいは自己遭遇みたいなものを期待したい。そういう意味で僕はあまりプロフェッショナルではないかもしれませんね(笑)

あらゆる制約の中で、なおかつ抜きんでるものが作れることが本当の才能だと思うのですが、外国との仕事をしながら反省もしています。


🐦エキスパンドメタル(金網)でつくられた椅子やガラスを組み合わせた作品など、どちらかというと、いままであまりインテリアには見ないような素材を使われていますね。

倉俣

素材でいえばより人工化されたものが好きなんです。


🐦人工化されたものということは?

倉俣

人工素材。例えばガラスだとかプラスチック、メラミン樹脂、金属製のものなど、より人工的な中で出来てきたものです。

自然の分厚い木なども嫌いではないけれど、そういう時間の軌跡や傷跡を感じるような素材は、僕自身あまり興味がありません。人間の行為の跡が見えるような使い方も。

行為が見えるということは時間の経過が見えるということだと思うのですが、なぜかそういう表現や素材に対してあまり興味がない。もっと時間が消えちゃうようなものがいいですよ。


🐦デザイナーの中には自分の創作されたものを残したいとお考えの方も多いと思いますが、倉俣さんの場合はいかがですか。

倉俣

そういう気持ちは全然ないですね。作ってしまったらもう終わり、過去ですから。先ほどの話の16年前の家具も、僕自身にとって興味は全く無いですね。

お金につながることはありがたいことですが、過去というものも振り返ればそれなりに居心地もいいのでしょうが、僕の場合それがあまり気持ちのいいものではない・・・


🐦デザインを考える場合、機能があって次に楽しさ、と考えられがちですが、倉俣さんは機能よりも何よりも最初に自分の表現というか、そういうものを前面に出されるという?

倉俣

そうですね。使い易いということが必ずしも機能的ということではなく、もっとメンタルなもの含んでこそ機能だと思うのです。これまで機能というと、ただ一次元的に便利とか使い易いというだけでずっと来たような気がするんですね。

それに対して僕はちょっと疑問があったし、二十数年前から家具をつくり始め、当時も、面白いが機能的でないとか、合理的でないと言われたのですけれども、むしろ僕はそちら側に本当の合理性とか機能性というのがあるんじゃないかという考えがずっとありました。

必ずしも便利が全てのデザインの要素ではなく、座らないで一日見てしまっていることもあるし、その時その椅子が空間を触発したり、コミュニケーションできたりするというようなことも大事なんじゃないかなと思うんです。

勿論、座って長時間作業をする場合の椅子には、本当に人間工学的な部分が必要だと思うのですが、そういうものに対してもプラスアルファの何か、例えば色の問題など、もっといろんな可能性が求められてもいいのでは、と思うんです。

まあ、どちらにしても僕はあまり真面目じゃないんです(笑い)

約半日に及ぶインタビュー、その後、歩いて15分位のところにあるインテリアデザインを依頼された建築途中の現場にもご案内いただき解説していただきました。(合掌)

本日はさわりのみとなりましたが、機会があれば続きをご紹介できればと思っております。これからデザイナーを目指される方たちのお役に立てれば幸いです・・・


次のこのような機会には「栄久庵憲司氏」のインタビューの様子をご紹介できればと思います。

(天の声:おいおいお前さん!これ迄にそうやって安請け合いして1年先になったことがあったんじゃなかったっけ⁈皆さん余りあてにされないほうが・・・(?_?)まぁ、誰もあてにしてないからいいけどさ…カア~!!!)


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


Chairs for All: Musashino Art University and Design Ⅶ

ZIPANG-6 TOKIO 2020【武蔵野美術大学 美術館・図書館】展覧会「みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ」開催と~倉俣史朗~「倉俣以前・倉俣以後」
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/34404318/



~日本人の心で世界をみる~ 村瀬 弘行

日本の魂が世界をつくる ❣…


編集前期

デュッセルドルフは古い町並みが保存された地区もありユーゲントシュティール(フランスのアールヌーボーと同一の意味)のインテリア・工芸のレストランやカフェが軒を並べている…ドイツの中に拠点を置く日本企業はデュッセルドルフが一番多く、情報の交差点でもあります。


40年程前に訪ねた折にはウインドウショッピング(平日は、夜間にウインドウを見て品定めをして休日に買い物をする…)が盛んであったが、インターネットの発達もありコロナ禍においては、日本同様少々事情が変わってきた…しかし、「suzusan」では、実際にデザインや色を見て、手に触れて楽しみながら購入したいというお客様が多いようです。


隣町ケルンには、大聖堂やフランクフルトと並ぶ国際見本市会場、ケルンの水(オーディコロン発祥、但しイタリア・フィレンツェから移住した香水職人によりレシピは考案された)インテリアマート、巨大住宅展示場(有料)などもあり見どころの多い土地であります。


〜デザイナー〜

村瀬 弘行 (Hiroyuki Murase)


プロフィール

株式会社スズサン / suzusan GmbH&Co.,KG 代表取締役C E O兼クリエイティブディレクター。名古屋芸術大学テキスタイル学科客員教授。

1982年名古屋市生まれ。2003年に渡欧、サリー美術大学(イギリス)を経てデュッセルドルフ国立芸術アカデミー(ドイツ)にて立体芸術及び建築学科卒。2008年在学中にデュッセルドルフで『suzusan e.K.(現suzusan GmbH & Co. KG)』を設立し、オリジナルブランド『suzusan』の生産・販売を開始。


ファッションとホームインテリア(クッションカバー、ブランケット、照明)でのデザインのディレクションを手がける。鈴三商店の5代目として有松鳴海絞りを次の世代につなげる活動も行っている。


コメント

20歳で日本を出て今年で39歳になるので、もうすぐ人生の半分を祖国以外の場所で過ごしているという事実に先日 気がついてふと驚いた。全くあっという間で自分でも実感がないのだが、振り返ってみるとこの19年間は色々な場所に行き続けた。そこでみた風景や出会った人たち、触れたものが今の僕の血肉になっているし、これからもそうだと思う。

何かを発見することは考え抜いて出てくることもあるけれど、日々繰り返す動作から離れることで得られる発見の方が 多いし、普段全く考えてもいないようなアイデアも出てくる。

新しい土地に着くと眼はころんと入れ替わり、知らない 道を歩く足の裏に踏みなれない石畳を感じ、初めて食べるものを口にして舌から笑いが込み上げてくる。そういった経験の振り幅を増やすことが旅の醍醐味だと感じている。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


有松鳴海絞り デュッセルドルフ〈suzusan〉ショップ&アトリエ

ZIPANG-6 TOKIO 2020 日本の魂が世界をつくる ❣…
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/35743764



知財のミカタ~巡回特許庁 in 中部


「自分には関係ない」と思われがちな知財。 けれど、ブランドやデザイン、技術やノウハウなど、ビジネスを支える多くのものごとは、 実は知財なのです。「巡回特許庁」では、知財活用の事例やポイントを発信。 知財の見方を変え、知財をビジネスの味方につけるキッカケをつくります。


意匠法改正セミナー

近年、デザインを活用して、イノベーション力やブランド力を向上させる企業が増えています。こうした企業活動の成果である画像デザイン、建築物の内・外装デザイン、一貫したコンセプトに基づく群のデザインなどをきちんと保護できるように、意匠法が改正され、5月17日に公布されましたので、簡単にご紹介いたします。

特許庁審査第一部意匠課 意匠制度企画室課長補佐 井上 和之


「あなたの会社やお店に眠る知的財産の見つけ方」

~弁理士と一緒に考えてみよう~ 

 知財権ミックス戦略とは、特許による「革新的イメージ付加効果」、商標による「ブランドイメージ醸成効果」、意匠による「新デザインの視覚効果」等をミックスし、製品を多面的に保護していく知財戦略のこと。例えば、ブランドを育てつつ、技術の革新的イメージを付加するためには、特許だけでなく商標や意匠を複合的に活用するのが効果的です。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020「知財のミカタ~巡回特許庁 in 中部」募集受付のお知らせ
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6835074



そこは かるたの聖地

『 近江神宮 』 憧れの朱の楼門(前編)


滋賀県西部の大津市中心部にほど近い、琵琶湖西岸の山裾にあります。旧官幣大社・勅祭社で、社殿は近江造り・昭和造りといわれ、近代神社建築の代表として登録文化財となっています。


開運へのみちびきの神、産業文化学問の神として崇敬が深く、また漏刻(水時計)・百人一首かるた・流鏑馬(やぶさめ)で知られ、境内に時計館宝物館があり、漏刻・日時計なども設けられています。また、神前結婚式のほか、初宮詣(お宮参り)・七五三・車のおはらいや各種祈願なども申し受けておられます。


御祭神・御神徳

御祭神  天智天皇(てんじてんのう)またの御名 天命開別大神                  (あめみことひらかすわけのおおかみ)

御神徳  時の祖神 開運・導きの大神 文化・学芸・産業の守護神


天皇陛下御製

日の本の国の基を築かれしすめらみことの古思ふ


皇后陛下御歌

学ぶみち都に鄙に開かれし帝にましぬ深くしのばゆ


小倉百人一首 一覧

1. 秋の田のかりほの庵の苫を荒みわがころも手は露に濡れつつ         天智天皇 2. 春すぎて夏来にけらし白たへのころもほすてふあまの香具山         持統天皇 3. あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む      柿本人麻呂 4. 田子の浦にうちいでて見れば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ       山部赤人
5. 奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき            猿丸太夫 6. かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れぱ夜ぞふけにける      中納言(大伴)家持 7. あまの原ふりさけ見ればかすがなるみ笠の山にいでし月かも        安倍仲麻呂
8. わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり          喜撰法師
9. 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに      小野小町
10. これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関           蝉丸 11. わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよあまの釣舟      参議(小野)篁 12. あまつ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ        僧正遍昭 13. つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞ積りて淵となりぬる          陽成院 14. みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに   河原左大臣(源融) 15. 君がため春の野にいでて若菜摘むわがころも手に雪は降りつつ       光孝天皇 16. 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいざ帰り来む   中納言(在原)行平 17. ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは      在原業平朝臣 18. すみの江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ      藤原敏行朝臣 19. なにはがた短きあしのふしのまもあはでこの世をすごしてよとや        伊勢 20. わびぬれば今はた同じなにはなるみをつくしてもあはむとぞ思ふ      元良親王 21. 今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな        素性法師 22. 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐と言ふらむ         文屋康秀 23. 月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど      大江千里 24. このたびはぬさも取りあへずたむけ山もみぢのにしき神のまにまに  菅家(菅原道真) 25. 名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな 三条右大臣(藤原定方) 26. 小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ     貞信公(藤原忠平) 27. みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ      中納言(藤原)兼輔 28. 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば         源宗干朝臣 29. 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花         凡河内躬恒 30. 有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし          壬生忠岑 31. 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪           坂上是則 32. 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬもみぢなりけり        春道列樹 33. ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ           紀友則 34. たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに           藤原興風 35. 人はいさ心も知らずふる里は花ぞ昔の香に匂(にほ)ひける          紀貫之 36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ        清原深養父 37. 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける         文屋朝康 38. 忘らるる身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな          右近 39. 浅茅生の小野のしの原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき        参議(源)等 40. 忍ぶれど色にいでにけりわが恋はものや恩ふと人の問ふまで         平兼盛 41. 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか       壬生忠見 42. ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは         清原元輔 43. あひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり      中納言(藤原)敦忠 44. あふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし  中納言(藤原)朝忠 45. あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな  謙徳公(藤原伊尹) 46. ゆらのとを渡る舟人かぢを絶え行くへも知らぬ恋の道かな         曾禰好忠 47. 八重むぐら茂れるやどの寂しきに人こそ見えね秋は来にけり        恵慶法師 48. 風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな         源重之 49. み垣もり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ    大中臣能宣朝臣 50. 君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな         藤原義孝 51. かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじなもゆる思ひを    藤原実方朝臣 52. 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな    藤原道信朝臣 53. 歎きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る    右大将道綱母 54. 忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな         儀同三司母                         (藤原伊周の母 高階成忠の娘 貴子)

55. 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ   大納言(藤原)公任 56. あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたぴのあふこともがな      和泉式部 57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜はの月かな       紫式部 58. ありま山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする          大弐三位 59. やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな     赤染衛門 60. 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ずあまの橋立         小式部内侍 61. いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな          伊勢大輔 62. 夜をこめてとりのそらねははかるともよに逢坂の関は許さじ        清少納言 63. 今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな  左京大夫(藤原)道雅 64. 朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらはれわたる瀬々の網代木    中納言(藤原)定頼 65. 恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ         相模 66. もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし         大僧正行尊 67. 春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ        周防内侍 68. 心にもあらでうき世にながらへぱ恋しかるべき夜はの月かな         三条院 69. 嵐吹くみむろの山のもみぢ葉は竜田の川のにしきなりけり          能因法師 70. 寂しさにやどを立ちいでてながむれぱいづくも同じ秋の夕暮         良暹法師 71. 夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろ屋に秋風ぞ吹く      大納言(源)経信 72. 音に聞くたかしの浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ    祐子内親王家紀伊 73. 高砂のをのへの桜咲きにけりと山のかすみ立たずもあらなむ   権中納言(大江)匡房 74. うかりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らぬものを        源俊頼朝臣 75. ちぎりおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり        藤原基俊 76. わたの原漕ぎいでて見ればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波                         法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通) 77. 瀬を旱み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ          崇徳院 78. 淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関もり          源兼昌 79. 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月の影のさやけさ   左京大夫(藤原)顕輔 80. 長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝(けさ)はものをこそ思へ     待賢門院堀川 81. ほととぎす鳴きつるかたをながむれぱただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣(藤原実定) 82. 思ひわびさても命はあるものをうきにたへぬは涙なりけり         道因法師 83. 世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる   皇太后宮大夫(藤原)俊成 84. 長らへばまたこの頃やしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき      藤原清輔朝臣 85. 夜もすがらもの思ふ頃は明けやらでねやのひまさへつれなかりけり      俊恵法師 86. 歎けとて月やはものを思はするかこち顔なるわか涙かな          西行法師 87. むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕暮         寂蓮法師 88. なには江のあしのかり寝のひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき  皇嘉門院別当 89. 玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする       式子内親王 90. 見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色は変らず      殷富門院大輔 91. きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろにころもかた敷きひとりかも寝む                           後京極摂政前太政大臣(藤原良経) 92. わが袖は潮ひに見えぬ沖の石の人こそ知らね乾(かわ)くまもなし     二条院讃岐 93. 世の中は常にもがもななぎさ漕ぐあまのを舟の綱手かなしも   鎌倉右大臣(源実朝) 94. み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒くころも打つなり       参議(源)雅経 95. おほけなくうき世の民におほふかなわが立つそまに墨染の袖      前大僧正慈円 96. 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり入道前太政大臣(西園寺公経) 97. 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ  権中納言(藤原)定家 98. 風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける     従二位(藤原)家隆 99. 人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は        後鳥羽院 100.ももしきや古き軒ばの忍ぶにもなほあまりある昔なりけり          順徳院

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紀貫之 百人一首35番

人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの 香ににほひける


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ZIPANG TOKIO 2020「天智天皇から始まる小倉百人一首、そこは かるたの聖地『 近江神宮 』 憧れの朱の楼門(前編)」
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第38代天智天皇をまつる神社『近江神宮』(後編)

天智天皇と大津京 史跡と伝承

近江大津宮概説

天智天皇は、その6年(667)、斉明天皇の御時より都を置かれていた飛鳥岡本宮より近江大津宮に都を移された。それまでの多くの都が置かれた飛鳥近辺から離れたこの地であるが、大化の改新の理想に基づいた政治改革を行うために人心の一新を図るとともに、同盟国であった百済への援軍を出して唐・新羅連合軍と戦った、4年前の白村江での敗戦後、深刻化した本土侵攻の危機に備え、国土防衛のための態勢を整えるなかで、その根幹として天然の要害であるとともに交通の要衝でもある大津に遷都したものと考えられている。


5年後に起った壬申の乱の敗戦によりわずか5年半の都に終るが、この短い期間に大津宮において画期的な新政治を推進されることになり、ひいては近江国・滋賀県の発展の基ともなった。更にそのあとを受けた天武天皇は、壬申の乱で対峙したにもかかわらず、多く天智天皇の施策を受け継いでさらに発展させられたことにより、天智朝の意義もより大きなものとなったといえる。


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ZIPANG TOKIO 2020「古都大津京を開かれた 第38代天智天皇をまつる神社『近江神宮』(後編)」
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ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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