470年の歴史をもつ京友禅の老舗・千總を母体とした一般社団法人千總文化研究所(所在地:京都市中京区、代表理事:西村 總左衛門)は、東本願寺法主所用の染織品が伝来する真宗東派本願寺(通称:嵯峨本願寺)所蔵の法衣装束の調査報告会を千總ビル5階ホール(京都市中京区御倉町80)にて開催いたします。
【真宗東派本願寺所蔵染織品 調査報告会・研究会】
日時 :2025年3月18日(火)午後2時~午後4時 受付開始午後1時30分
形式 :(1)会場(京都市中京区御倉町80 千總ビル5階ホール)
(2)後日動画配信(申込者へ報告会当日の録画を
1週間視聴可能なURLをお知らせします)
定員 :会場50名
参加費 :無料
締切日 :会場 2025年3月11日(火)午後5時 *定員になり次第締切
後日動画配信 2025年3月14日(金)午後5時
主催 :一般社団法人千總文化研究所
【問い合わせ先】
ご不明点などございましたら、下記までお問い合わせください。
info@icac.or.jp
【本会の趣旨】
千總文化研究所では、千總が近代まで「御装束師 千切屋惣左衛門」として東本願寺の御用法衣商を営んでいた歴史から、これまで真宗大谷派の寺院を中心とした染織品の調査研究を進めてきました。
2024年度は、東本願寺法主(真宗大谷派では門首)・大谷家の染織品に焦点を当て、法主所用の染織品が伝来する真宗東派本願寺所蔵の法衣装束の調査を行いました。さらに、幕末から近代にかけて東本願寺の御用を行った千總には、本願寺所蔵染織品の制作当初の資料が遺されています。
本報告会では、これらの資料を取り上げた基調対談と調査報告を通し、京都有数の大寺院である東本願寺の中心的存在である法主を取り巻く衣文化の諸相を明らかにしたいと思います。
真宗東派本願寺外観
調査風景
【本会のみどころ】
○謎多き法主の衣文化を解き明かす
鎌倉時代に宗祖・親鸞聖人によって開かれた真宗は、長い歴史の中で多数の宗派に分かれ、そのなかで法衣や装束は単なる衣服ではなく、僧侶の身分や属性を表象するもののひとつとして発達してきました。
京都・烏丸六条に御堂を設ける東本願寺の中心的存在であった法主は、親鸞の末裔である大谷家が代々世襲します。法主が用いる特別な法衣装束は、宗派の中で法主が特別な存在であることを示す機能を持ちました。しかし、その実態がこれまで明らかにされることはなく、本会では現在まで半ば謎に包まれてきた法主の衣文化に光を当て、その意義を問い直します。
○本願寺第25代法主と染織史の専門家による対談
基調対談として、本願寺第25代法主 大谷 光道氏にご登壇いただき、染織の専門家であり本調査にも携わっていただいた中世日本研究所所長 モニカ ベーテ氏を聞き手にお招きし、法主の衣生活についてご対談いただきます。
○本願寺・株式会社千總ホールディングス所蔵資料のコラボレーション
会場では本願寺所蔵染織品、およびその制作過程を示す株式会社千總ホールディングス所蔵の雛形や下絵を展示し、京都の法衣商の活動を分かりやすく提示します。京都の歴史と文化をじかにご覧いただくまたとない機会です。
【基調対談 登壇者紹介】
ゲスト:本願寺 第25代法主 大谷 光道氏
東本願寺大谷家当主。2005年に真宗大谷派より独立、嵯峨にて真宗東派本願寺を建立、住職を務める。
コーディネーター:中世日本研究所 所長 モニカ ベーテ氏
東洋染織史を専門とし、織り、能、尼門跡寺院などを長年にわたり研究。大谷大学教授を経て、現職。
【タイムテーブル】
14:00~14:05 概要説明 千總文化研究所 研究員 林 春名
14:05~15:00 基調対談「東本願寺法主の衣文化」
ゲスト:本願寺 法主 大谷 光道氏
コーディネーター:中世日本研究所 所長 モニカ ベーテ氏
司会:千總文化研究所 研究員 林 春名
15:00~15:10 休憩
15:10~15:50 調査報告「東本願寺における袈裟の様式と制作」
千總文化研究所 研究員 林 春名
15:50~16:00 質疑応答、閉会
【会場の主な展示資料】
緋絽地 金八藤文様 三緒袈裟
「緋絽地 金八藤文様 三緒袈裟」(本願寺蔵)
1884(明治17)年9月、千切屋惣左衛門製
三緒袈裟雛形
「三緒袈裟雛形」(株式会社千總ホールディングス蔵)
1884(明治17)年8月6日、千切屋惣左衛門製
光養麿様(東本願寺23代彰如上人)得度御用
紺綾地唐花・生成地遠山文様 七条袈裟
「紺綾地唐花・生成地遠山文様 七条袈裟」(本願寺蔵)
遠山文様袈裟下絵
「遠山文様袈裟下絵」(株式会社千總ホールディングス蔵)
ほか
【法人概要】
法人名 : 一般社団法人千總文化研究所
代表理事: 西村 總左衛門
所在地 : 〒604-8166 京都市中京区三条通烏丸西入御倉町80
設立日 : 2017年3月30日
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
必見!県指定文化財
南砺市 『真宗大谷派 城端別院 善德寺』
山門 天井には、狩野派絵師による天女と迦陵頻伽が描かれ現在も色あせる事無く当時のまま残されています。
本号では、一昨日紹介した富山県南砺市のユネスコ文化遺産『城端曳山祭』にご来場者の方たちの交流の場所を提供されて側面支援をされておられる真宗大谷派 城端別院 善德寺を紹介いたします。
永禄2年(1559)城ヶ端城主荒木大膳の招きにより、浄土真宗の善德寺が福満の里から来往すると、門前を中心に市場も開かれ、寺内町が形成された。また、人口も増加して絹織物などの生産も盛んになった。城端の町の繁栄のきっかけとなりました。
城端の町を見守られてこられた善德寺は、開基から530余年を経た真宗大谷派の大刹で、本尊の阿弥陀如来は行基の作と伝えられています。
親鸞聖人御真筆「唯信鈔」や蓮如上人御親筆など1万点以上の宝物を所有しており、それらの一部は7月22日から1週間にわたって公開されています。その「虫干法会」では、宝物の展示をはじめ、それらの解説や絵解きが行われます。また、県指定文化財の山門・本堂・太鼓堂(楼)も必見。
(詳細・画像は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「必見!県指定文化財の山門・本堂・太鼓堂、建築・工芸・絵画 伝統と和の工夫随所に 南砺市 『真宗大谷派 城端別院 善德寺』」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2308429
ユネスコ無形文化遺産
城端曳山祭 五月(さつき)にあらわす神々しき優美
南砺市 城端曳山祭 提灯山
曳山祭りの成り立ち
永禄2年(1559)城ヶ端城主荒木大膳の招きにより、浄土真宗の善徳寺が福満の里から来往すると、門前を中心に市場も開かれ、寺内町が形成された。また、人口も増加して絹織物などの生産も盛んになった。
城端神明宮は、天正2年(1574)に北野村より勧請され、貞享2年(1685)には社殿を再建し、春秋の祭りも始まった。元禄6年(1693)には、家数686戸、人口3809人となり、町並みも次第に整えられていった。
その頃の城端は絹織物の町として繁栄し、京都との文化交流によって元禄文化の花も開いた。ところが、享保期になると経済が不況となり、その打開のためも人々は神をまつり、
招福除災、町内繁栄を願った。
享保2年(1717)に神輿がつくられ、獅子舞や傘鉾の行列も始まり、享保4年8月15日の祭りには曳山ができて、享保9年には神輿の渡御にお供した。
文政年間(1818~30)には城端絹が江戸へも移出され、化政文化の影響を受けて庵唄や庵屋台が整備され、優雅な曳山祭になった。しかし、幕末から明治にかけては、社会不安のために曳山祭が中止されることもあった。
そのような中で、明治6年(1873)から太陽暦が採用され、曳山祭は5月15日となった。また、曳山や庵屋台の装飾も次第に豪華となり、今日に継承されている。
(詳細・画像は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「ユネスコ無形文化遺産 城端曳山祭 五月(さつき)にあらわす神々しき優美」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2302048
寺宝およそ500点の御開帳拝観と民藝聖地を巡る
一般社団法人富山県西部観光社 水と匠(以降、水と匠)は、観光庁の支援(観光再始動事業)を受け、明治時代より続く年に1度の「虫干法会」(主催:真宗大谷派 城端別院善徳寺)をより多くの方に知っていただくための事業に取り組んでいます。
今年の「虫干法会」は2023年7月22日(土)から28日(金)に開催されます。
(詳細・画像は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 富山の名刹・城端(じょうはな)別院善徳寺にて価値ある寺宝 約500点を展示「虫干法会」7月22日~28日開催
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/45770396
~日本の誇る~見るべき文化財 及び宝物
城端別院 善徳寺
歴史
城端別院は真宗大谷派の寺院で寺号を善德寺、山号を廓龍山と号す。
蓮如上人が吉崎に於いて精力的な布教をされていた頃、本願寺第五代綽如上人の孫である蓮真は蓮如上人の願いにより現在の石川県と富山県の県境にある砂子坂に文明年間(1470年頃)に一寺を建立し、蓮如上人を開基、自身を第2世とした。
その後、布教活動とともに寺所を移転し、第5世祐勝の時代に現在の城端町に移転してきた。
第6世空勝は本願寺と織田信長との石山合戦に参戦し、あくまで本願寺を死守しようとする教如上人(東派1代目)に協力し尽力を尽くした。この事が後の東西分派で善德寺が東派になる事や、江戸時代に於いて越中東方の最有力寺院としての地位や役割を果たす事になった。
また江戸時代には加賀藩前田家の庇護のもと、越中の触頭役(頭寺)を勤め隆盛し、時には加賀藩主の子を住職として迎えることもあった。
以来、聞法の場として地域の方々に慕われ支えられて今日に至っている。
式台門とは
(詳細・画像は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020 ~日本の誇る~見るべき文化財 及び宝物【城端別院 善徳寺】
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/52359811
城端別院 善徳寺内に“泊まれる民藝館”~開館!
550年の歴史ある名刹、富山県の善徳寺内に“泊まれる民藝館”
ホテルを中心とした文化複合施設『杜人舎(もりとしゃ)』
2024年3月本オープン
民藝の創始者である柳宗悦は、富山県西部・砺波地方の自然に育まれた精神風土を「土徳」と呼び、土徳に満ちた土地の暮らしに民藝思想のあらわれを見出していました。そして善徳寺に62日間逗留し、民藝思想の集大成となる論文『美の訪門』を執筆しました。
自然との共生や持続可能な世界の実現へと価値観が大きく変わる中、「民藝思想」が今また見直されています。民藝と土徳に共通するのは「自然と人がつくりあう美しい暮らし」の在り方です。
杜人舎は柳の愛弟子・安川慶一が設計した善徳寺内の研修道場を改修し、ホテル、講堂、カフェとショップ、テレワークスペースを配置。美術館のように民藝の品をしつらえ、建物からも調度品からも民藝美を体感できる空間をつくりました。
宿泊だけでなく、土徳に触れる講座やアクティビティも開催。滞在体験や土地の人々との関わりから、これからの美しい暮らしのヒントが得られる場となることを目指します。
本オープンに際しては郷土食豊かなメニューを民藝の器で食すカフェ、濱田庄司や安川慶一の作品、各地の焼きものや漆器など本格的な民藝の器が購入できるショップも営業を開始。お茶に買い物に気軽に立ち寄っていただけます。
(詳細・画像は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020~550年の歴史ある名刹、富山県南砺市の城端別院 善徳寺内に“泊まれる民藝館”~開館!
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/52326472/
真宗大谷派難波別院 新事業化計画について
400年以上の歴史を誇る難波別院の敷地の一部に定期借地方式により事業者が寺院山門一体型ホテルを建設し、難波別院がその一部の床を賃借して「参道・山門」の機能と「教化のための拠点」として利用するという、民間資金を活用した不動産有効活用プロジェクトである。
御堂会館は、昭和36年(1961年)の難波別院復興と同時に山門を兼ねて建設され、これまで1000人規模の大ホールを不定期に開放し、仏教講座や講演会、映画の上映等を市民に展開してきた。
本プロジェクトでは、耐震性の向上と、難波別院の事業価値の向上に向け、施設戦略・経営戦略から、投資戦略の立案、発注、建設の支援に至るまで、一連のサポートをワンストップで遂行することにより、効果の高い経営資源の再構築を実現した。
一般的なCM業務領域に留まることなく、対応領域を柔軟に広げ、経営者目線から現場目線までをバランス良く持ち合わせた包括的マネジメントを行った。
0コメント