AAR Japan[難民を助ける会]の職員で、2011年のトルコ地震緊急支援中に亡くなった宮崎淳さん(当時41歳・大分県出身)の名前を冠した「宮崎淳災害調整センター(現地名・Atsushi Miyazaki AKOM)」が、同国東部のワン県で完成しました。
関係者は「彼の記憶を市民の心にとどめながら、災害対応能力を高めていきたい」と話しています。
完成した宮崎淳災害調整センターの建物=ワン県エドレミット市で1月8日撮影、同センター提供
同センター(ワン県エドレミット市エミンパシャ地区フィダンリク 1番街通、代表・ジャナン・ブトゥン氏)は、ワン県における災害対応能力の向上を目的に、災害時の対応・物資貯蔵の拠点として、また防災意識啓発の拠点として建設されました。
ワン県はトルコ東部、イランと接する位置にあり、地震の多い地域として知られています。2011年10月に発生したトルコ東部地震では600人の死者を含む大きな被害が出ています。
この地震の際、AARは緊急支援のために職員2人を派遣しましたが、直後に起きた大きな地震で宿泊先のホテルが倒壊、宮崎さんが亡くなりました。
AARからの支援を受けた地元住民から「遠い日本から私たちを助けに来てくれた宮崎さんの功績を語り継ぎたい」との声が上がり、2021年には宮崎さんの胸像などを配置した「ミヤザキ森林公園」も整備されています。
トルコ地震の被災者に支援物資を手渡す故・宮崎淳さん(左)=2011年10月撮影
同センターには、バックアップ電源を持つ通信システムやドローン、地理情報システム(GIS)を使用したハザードマップ作成ツールなど最新技術機器が備えられ、地震だけでなく大雪による雪崩被害にも対応可能です。
センターの代表、ジャナン・ブトゥン氏は「地震の災害救助に尽力して亡くなった宮崎淳さんは、人道支援を通じてトルコと日本の連帯を深めた象徴です。
今後も彼の活動を記憶しつつ、地震をはじめとした災害対応能力を全市的に高めていきたい」と語っています。現地時間10日午後に行われる記念式典には、AAR職人2人も参加の予定です。
【本件についての問合せ先】
日本:認定NPO法人 難民を助ける会(AAR Japan)
東京都品川区上大崎2-12-2 ミズホビル7階
電話:03-5423-4511 メール:pubad@aarjapan.gr.jp
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
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~東洋と西洋が交差する国~
トルコ イスタンブールの見どころご案内
イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市である。その中心を貫くボスポラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいる。イスタンブールは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都だった。これは、今もイスタンブールの誇りである。また、イスタンブールは輝かしい未来と、過去の遺産を数多く残す街である。
実際、イスタンブールを訪れる人々を魅了するのは、その多彩さである。
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