自民党総裁選の決選投票で、高市早苗前経済安全保障担当大臣が小泉進次郎農林大臣を破り、第29代総裁に選出されました。
わたしは大和の女です
第29代総裁に就任した高市早苗氏は両院議員総会で新総裁就任の決意と覚悟を示した
主な経歴
自由民主党 政務調査会 治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会長
経済安全保障担当大臣
内閣府特命担当大臣(科学技術政策、宇宙政策、クールジャパン戦略、知的財産戦略)
自由民主党 経済安全保障対策本部長
総務大臣
自由民主党 政務調査会長
衆議院 議院運営委員長
自由民主党 サイバーセキュリティ対策本部長
経済産業副大臣
衆議院 文部科学委員長
「多くの不安を希望に変える」
高市新総裁は党大会に代わる両院議員総会であいさつし、党再建に向けて「力を合わせてやらなきゃいけない。たくさんの政策をスピーディーに進める。自民党を気合の入った、明るい党にしていく。多くの不安を希望に変える党にしていく」と決意と覚悟を述べました。
総裁選挙は9月22日に告示され、12日間の選挙運動期間が設けられました。総裁が任期途中に欠けた場合では史上初めて、国会議員票と党員算定票を同数とする、総裁公選規程に基づく「党員・党友参加型」の形式で行われ、党員算定票の4割以上を獲得した高市氏が、党員・党友からの高い支持を得て新総裁に選出されました。
党員投票の投票率は68.69パーセントで昨年、過去最多となる9人の総裁候補が争った総裁選挙よりも2.53ポイント上回りました。
総裁選挙結果
小林 鷹之候補 議員投票 44票 党員算定票 15票 合計59票
茂木 敏充候補 議員投票 34票 党員算定票 15票 合計49票
林 芳正候補 議員投票 72票 党員算定票 62票 合計134票
高市 早苗候補 議員投票 64票 党員算定票 119票 合計183票
小泉進次郎候補 議員投票 80票 党員算定票 84票 合計164票
〈決選投票〉
高市 早苗候補 議員投票 149票 都道府県票 36票 合計185票
小泉進次郎候補 議員投票 145票 都道府県票 11票 合計156票
編集後記
大和と言えば昭和61年頃だったか、インテリア・住宅設備機器の総合メーカーからの依頼により、木曾のご出身で人間工学がご専門の(故)小原二郎先生を特別講師にお招きして
「最後の宮大工と薬師寺」というテーマでご講演を企画したことが有ります。
当時発行・編集しておりましたインテリア・建築情報誌にも最後の宮大工と言われた西岡常一棟梁に登場していただきたいと考え、昭和62年初夏ウイスコンシン州から帰国されたばかりの建築家・佐々木節子氏に話を持ち掛けたのでした(小原二郎先生から頂いた本を拝読して多少の予備知識はあったものの、伝統建築の専門分野の話題になった時にはチンプンカンプンでとてもついてゆけそうにないと考えたからでした…)
佐々木氏も興味を示されご一緒していただけることになりましたが、敵もさるもの(⁈)、大和に行くのならほかの神社仏閣の建築も観たいとのお申し出により、最終的には日を改めて若草山の麓に住む従兄に連絡を取り協力を要請、渋々(失礼)…法隆寺、東大寺、唐招提寺、長谷寺、大神神社、更には談山神社へも運転手兼カメラマンとしてご案内することで決着(振り返ってみると道中、フランクロイドライトをはじめ、シカゴやニューヨークで活躍した建築家たちの貴重な情報が入手でき、その後の編集作業に大変役立った…)
まさに近江の魚さん曰く
「転んでも石を掴んで起きろ」的な発想とはこのことかと悟った次第でありました。
さて、
信心深い高市早苗氏のこと、首相となられた暁にはきっと大和の神々や
仏様たちがお護り下さることでしょう。
但し、老獪な男たち(失礼)に口先で玩ばれ骨抜きにされ組閣するようでは・・・
早々に天も見放すであろう😠頑張れ!『大和の女』
「天の声:おみゃあさんもだでよう…このところめっきり仕事が遅くなりゃあしたでなも🌚えか!恐山に旅立つにはもうちょっとだけ我慢してチョウ。おみゃあさんよりも先に行きゃあして閻魔大王や姥神様に審判を受けんといかん政治屋さんたちがいっぴゃあおりゃあすで…なも😞」
「閻魔大王:組閣見ものやで!ワイは、いよいよ麻生内閣の始まりやと思うで、
まあ見ててみいや!」
えええ?高市内閣とちやうの・・・ 小生は、「大和の女」を信じておりますので😊
『能ある鷹は爪を隠す』 それじゃあ烏だったら? 烏の勝手でしょ カァ~・・・❓
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
自由民主党
紅山子(こうざんし)
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世界遺産・国宝 【法相宗大本山 薬師寺】
薬師寺
お寺の紹介
薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。 天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718) 現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されています。
玄奘三蔵会大祭(げんじょうさんぞうえたいさい)とは
薬師寺は法相宗の大本山であります。その法相宗の鼻祖とされる方が西遊記でよく知られる玄奘三蔵法師です。その玄奘三蔵のご頂骨の請来をご縁として、玄奘三蔵のご遺徳を顕彰する為平成3年(1991)に建立されたのが、薬師寺玄奘三蔵院伽藍です。
玄奘三蔵の生涯
玄奘三蔵(600または602~664)は中国・隋の時代に生まれ、唐の時代に盛名を馳せた仏法僧です。いまでは、三蔵法師といえば玄奘三蔵のことを指すようになっていますが、もともとは釈迦の教えの「経」、仏教者の守るべき戒律の「律」、経と律を研究した「論」の三つを究めた僧を三蔵といい、普通名詞なのです。したがって大勢の三蔵法師がいましたが、なかでも玄奘はきわめて優れていたので、三蔵法師といえば玄奘のこととなりました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「 世界遺産・国宝 【法相宗大本山 薬師寺】は、奈良西ノ京町に建立された南都七大寺」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2379674
時を越え伝える 聖徳太子の和の心
世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー
法隆寺とは
推古15年(607)、聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる、現存する世界最古の木造建築群です。法隆寺地域の仏教建造物として、平成5年(1993)に世界文化遺産に登録されました。
国宝・重要文化財の建築物だけでも55棟に及びます。建造物以外にも優れた仏教美術品を多数所蔵しており、その数は国宝だけで39件・138点、重要文化財を含めると約3000点にもなります。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020聖徳宗総本山 法隆寺からのお願い「世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー」
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/35303004/
神代に始まった古社中の古社
三輪明神 大神神社(その壱)
ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
ご由来
大神神社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀(まつ)られることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮(しず)まられたということです。
この様に記紀(きき)の神話に創祀(そうし)の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、大神神社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神(さいじん)の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。 そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、大神神社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀(まつ)られました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観(じょうがん)元年(859)に最高位の正一位(しょういちい)となりました。
延喜式(えんぎしき)の社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)で、のちに大和国一之宮(やまとのくにいちのみや)となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。 中世には神宮寺(じんぐうじ)であった大御輪寺(だいごりんじ )や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。
近世に入ると幕府により社領が安堵(あんど)されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社(かんぺいたいしゃ)となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。
ご祭神
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ZIPANG TOKIO 2020「神代に始まった古社中の古社 原初の神祀りの様を伝える 三輪明神 大神神社(その壱)」
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大神神社「四季のおまつり」(その弐)
大神神社では1日に月次祭、15日には講社崇敬会月次祭、十二支の卯の日(上の卯)に卯の日祭が毎月執り行われます。
月次祭は氏子崇敬者の前月の神恩感謝と今月のご隆昌とご安全を祈ります。講社崇敬会月次祭は当社の講員・崇敬会員のご隆昌とご安全を祈り、併せて交通安全祈願祭を執り行います。
卯の日祭は崇神天皇が卯の日に大神祭(おおみわのまつり)を始められて以来、大神祭が「卯の日神事」と呼ばれるほどに卯の日がご神縁の日であり、その干支の日を大切にして毎月行われるものです。
各祭典では神楽が神前に奉納され、斎主以下参列者全員で「大祓詞(おおはらえのことば)」「神拝詞」「いのりの詞」を唱和します。また、講社崇敬会月次祭では、みわ鈴を手のひらにつつみ、鈴を振る「むすびの鈴行(すずぎょう)」を全員で行い、神明のご加護を祈ります。
いずれの祭典も自由にご参列いただけますので、お誘い合わせの上でお気軽にご参拝ください。
※1月元日は月次祭はありません。
※卯の日が月に2回ある時は最初の卯の日、3回ある時は、中の卯の日に祭典が行われます。
四季のおまつり
1月のおまつり
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ZIPANG TOKIO 2020「古社中の古社 三輪明神 大神神社 四季のおまつり(その弐)」
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大和国一之宮 大神神社
摂社『率川(いさがわ)神社(その参)
率川神社について
率川神社は、593年に大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社です。
御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇(じんむてんのう)の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中でも珍しい皇后様を主祭神とした神社です。
三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより子供の守り神として知られています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「大和国一之宮 大神神社 摂社『率川(いさがわ)神社』について(その参)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3662990
奈良 長谷寺
西国三十三所観音巡礼 8番
≪1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~≫
究極の終活とは,ただ死に向かって人生の整理をすることではない。人生を通して,いか に充実した心の生活を送れるかを考えることが,日本人にとっての究極の終活である。そし て,それを達成できるのが西国三十三所観音巡礼である。
日本人は海外の人から『COOL!』だと言われる。そのように評価されるのは,優しさ,心遣い,勤勉さといった日本人の本来の心であり,実はそれは日本人が親しんできた「観音さん」の教えそのものである。観音を巡り日本人本来の豊かな心で生きるきっかけとなる旅,それが西国三十三所観音巡礼なのだ。
古来より「隠国(こもりく)の里※」と呼ばれる初瀬。
自然に包まれた初瀬のまちには、豊かな歴史文化資源が残っています。
西国三十三所観音霊場で、桜や牡丹、あじさい、紅葉など一年を通じて「花の御寺」と呼ばれる長谷寺。紫式部・紀貫之・松尾芭蕉など多くの文人が訪れ、今日も信仰の地として賑わっています。
また日本の昔話「わらしべ長者」のお話の中で、主人公の男が長谷寺のご本尊である十一面観音さまにお願いをし、お告げをされたと言われている、霊験あらたかな観音さまです。
※隠国(こもりく)とは、初瀬(泊瀬・はつせ)にかかる枕詞です。奥深い山間に隠れた地のことをいいます。万葉の時代も歌に詠まれています。
隠国の 泊瀬(はつせ)の山の 山の際(ま)に いざよふ雲は 妹にかもあらむ
柿本人麻呂(巻3 四二八)
隠国の 泊瀬(はつせ)の山は 色つきぬ しぐれの雨に 隣りにけらしも
坂上郎女(巻八 一五九三)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~令和元年日本遺産認定~「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6291655
「木のくせ組むには人を組め」 宮大工 西岡常一
回想
最後の宮大工「西岡常一」氏を訪ねて(鎹八咫烏)
薬師寺西塔の石段に座り、
法隆寺や薬師寺西塔の建築について熱く語る西岡常一氏
幼児の頃から…、祖父の話、また薬師寺の木を探しに台中(台湾中部)の山中に分け入り立木を見に行った時の話、また独立したお弟子さんの話等々…つい西岡棟梁の話に夢中になり、気が付くといつしか夏の陽は西に傾いていました。
木のくせ組むには人を組め
昭和62年初夏、薬師寺西塔に西岡家三代にわたる法隆寺の宮大工西岡常一棟梁を訪ねたことがある。西岡棟梁は正倉院に納められた工芸用のヤリガンナを参考に研究し、堺の刀鍛冶・水野正範氏の協力を得て再現したのである。
飛鳥の時代に使われていた工具・ヤリガンナとは一体どんなものでどのように使うのか尋ねると、薬師寺伽藍復興奉行所に案内してくれ西岡棟梁は、製材したばかりの桧(台桧)を実際にヤリガンナで削って使い方と仕上がりを見せてくれた(ヤリガンナで削った木のくずは、薄く長く巻いて美しい)その折に、この時とばかり質問してみた「木造建築のこんな大きなものを、出身の異なる大勢の匠の方たちで造る時の極意とは?」すると、西岡棟梁がポツリと独り言のように「木のくせ組むには人を組め」と・・・(合掌)
ZIPANG-5 TOKIO 2020「日本のたてもの ―自然素材を活かす伝統の技と知恵」の開催について【文化庁】
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/14157255
霊山・恐山
青森県の下北半島の果て
姥神(うばがみ)とは
姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。 奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。
青森県の下北半島の果て、むつ市にイタコで有名な霊山「恐山」があります。
貞観4(862)年に慈覚大師が開山したとされ、訪れた方はわかると思いますが、恐山菩提寺には地蔵尊像や血の池地獄などもあり、その荒涼とした幻想的な風景は正にあの世を連想させてくれます。
恐山には噴火によるカルデラ湖の宇曽利山湖があり、その水は三途の川、正津川を通って津軽海峡に流れ出ているのですが、この川には次のような伝承があります。
ある年の大雨で三途川の水かさが増し、奪衣婆の像を安置した姥堂が、下流の正津川へ流されたので、人々は運び帰ったが、何度戻してもひとりでに流れていくので、像に伺いを立てると、正津川が気に入ったというので、堂の場所を移した。
(国際日本文化研究センター、怪異・妖怪伝承データベースより。)
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