ZIPANG-10 TOKIO 2020復興『写真展 能登 』東京・大阪で開催!~能登はやさしや土までも~

  昔から能登の地は

                    「能登はやさしや土までも」

                                                                      と呼ばれています


              『写真展 能登 』 東京・大阪で開催 

能登半島地震の復興とともに歩む写真展 『写真展 能登』を、 東京・大阪にて開催します。 音楽、映画、アート、舞台、出版など幅広いジャンルを手がける立川直樹をプロデューサーに迎え、ハービー・山口、松田咲香、宮澤正明、吉岡栄一の4名の写真家とともに能登の美しい景色と能登の今を表現していきます。



■ 復興の歩みを伝えていく写真展

令和6年能登半島地震、そして同年9月の奥能登豪雨により、能登地域の多くの方が被災されました。現在もなお、能登では復旧・復興が続いています。


本写真展は、災害の記憶を風化させず、未来へつなぐことを目的に開催いたします。
展示では、発災以降の能登の様子や復興への歩みに加え、地域に根付く祭りや伝統文化、人々の営みをご覧いただけます。

ぜひご来場ください。


■ 開催概要

大阪

開催期間:2025年 9月12日(金)〜 9月28日(日)

開催会場:万博記念公園 EXPO'70 パビリオン

     大阪府吹田市千里万博公園10-10

休 園 日 :毎週水曜日(水曜日が祝日の場合は直後の平日)

利用料金:EXPO'70パビリオン 常設展示入館料のみ 大人(高校生以上)500円、中学生以下 無料(保護者同伴にて)※別途、万博記念公園への入園料がかかります。

※ 大阪府・吹田市 後援

                           

東京

開催期間:2025年 10月15日(水)〜 11月5日(水)

開催会場:東京ミッドタウン八重洲 5階「イノベーションフィールド八重洲」(POTLUCK YAESU)

     東京都中央区八重洲二丁目2番1号

利用料金:入場無料

※ 三井不動産株式会社 協力のもと開催


~万博記念公園 EXPO’70 パビリオンについて~

1970年日本万国博覧会(大阪万博)当時の出展施設であった鉄鋼館を利用し、同博覧会の記念館としてオープン。

また、EXPO’70パビリオンに別館を増設し、大阪万博開催時に太陽の塔の頂部に設置されていた「黄金の顔」の展示や、

映像で当時を体感できるゾーン等を新たに設置し、一般公開しています。「写真展能登」へお越しの際は、併せてお楽しみください。


■ 写真展をつくり上げるプロデューサー兼ディレクター・写真家

プロデューサー・ディレクター  立川 直樹

1949年生まれ。70年代の始まりから、メディアの交流をテーマに音楽、映画、芸術、舞台など幅広いジャンルで活躍するプロデューサー/ディレクター。分野は、ロック、ジャズ、クラシック、映画音楽、アート、舞台美術、都市開発と多岐に渡る。音楽評論家・エッセイストとしても独自の視点で人気を集める。石川県では、北陸新幹線金沢開業1周年記念イベントとして“ロック・スー パー・セッション”と“ギター・サミット”をプロデュースしたのをはじ め、鋤田正義写真展や泉鏡花をテーマにした“鏡花 -KYOKA-音・語り”など、数々の展覧会やイベントを手掛け、2024年3月にはDiscover Japan特別号“石川”も執筆・プロデュースした


■ 立川直樹氏コメント

人の想いを伝え、記憶と記録を形にするには写真展という形がいいのではないかと考え、<復興へ向けて>というサブタイトルをつけて開催したのが今年の1月から3月にかけて。その評判がとてもよかったので、2回目の開催が決まったが、今回は各地で担がれる“キリコ”の灯りとともに始まる能登半島の夏祭りをベースにする。その祭の先陣を切る“あばれ祭”は昨年の夏も絶えることなく催されたが、そこにいた僕は祭りが神事である以上に、再び歩み出すための強い祈りでもあるように感じた。4人の写真家が撮らえた能登のいくつもの祭りと、そこにいる人々と風景……。写真は記憶と記録、そして人々の思いを本当にダイレクトに伝えてくれる。


写真家 ハービー・山口

1950年東京都出身。23歳でロンドンに渡り10年間在住、劇団の役者を経ながら写真活動に励む。折からのパンクロックのムーブメントの中、ミュージシャンのポートレートが高く評価された。幼年期に患った病歴の末、写真のテーマを「生きる希望」とし人物を撮り続けている。エッセイの執筆、ラジオのパーソナリティー、ギタリスト布袋寅泰には歌詞を提供している。テレビ番組「徹子の部屋」にも出演するなど幅広い年代層から支持されている。2011年度日本写真協会賞作家賞受賞。個展・著作多数。作家名の「ハービー」は、敬愛するジャズフルート奏者ハービーマンより。


写真家 松田 咲香

1986年生まれ、石川県珠洲市出身・在住。2014年に東京から地元珠洲市へUターンし、国内外をはじめ、能登の祭りや営み、風景の写真を撮影している。また、ローカル情報誌の季刊誌「能登」でもカメラマンとして活動。令和6年能登半島地震で被災し、HDDが津波で浸水。データ復旧会社の支援により、データの約6割が復旧され、その写真を使った展示を行っている。現在は、珠洲市にて交流拠点「本町ステーション」を運営中。今後は、「森のスタジオ」構想を計画している。


写真家 宮澤 正明

日本大学芸術学部写真学科卒業。卒業時に日本大学芸術学会奨励賞、85年には赤外線フィルムを使用した処女作「夢十夜」でニューヨークICPインフィニティアワード新人賞など数々の賞を受賞。石川県の豊かな景観や伝統に魅了され、これまでさまざまな場所で撮影を重ねてきた。中でも、能登半島の自然美、豊かな食文化、そして温かく魅力的な人々の姿をカメラに収め、その魅力を余すところなく映し出している。


写真家 吉岡 栄一

1986年生まれ。能登半島の風景に惹かれ、写真を撮り始める。27歳でフリーランスに転身し、石川県輪島市へ移住。ライフワークとして金沢や能登のお祭りを中心に撮影するほか、国内外でスナップ・アート写真を撮影している。パリやロンドンなどの国際的な写真コンペティションで上位入賞。2022年にスペイン・テルエルで開催されたフォトフェスティバルに招待され、唯一の日本人フォトグラファーとして参加し、能登の祭りの写真を展示。国内外で活躍の場を増やしている。



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


能登國一宮 気多大社(1)

天皇陛下御即位記念 ‘‘入らずの森’’ 特別参拝


昭和天皇がお踏み入りされた‘‘入らずの森’’

特別参拝について

国指定重要文化財拝殿でお祓いを受けた後
入らずの森の中で玉串奉典を執り行います

※男性は背広・ネクタイ、女性はスーツ等フォーマルな服装でお願い致します。


「入らずの森 氣の葉祭・氣の葉厄除け」のご案内


国指定重要文化財



神門・拝殿・本殿

気多神社は古来能登の一の宮として崇敬されてきたもので、摂社若宮神社本殿(永禄十二年<一五六九>)、拝殿(承応三年<一六五四>)、神門(慶長年間)が重要文化財に指定されています。本殿は類例の少い両流造の遺構であり、摂社白山神社本殿は平面に特徴のある三間社流造で、ともに彫刻を多用した細部手法は近世的特色をよく示しています。

加賀藩の大工頭清水多四郎の代表作の一つです。


御由緒

天平十三年(七四一年)能登国が越中国の一部であった時代、越中国の一宮は現在の気多大社でありました。気多大社が中央の文献に初めて現れたのは『万葉集』からでした。


天平二十年(七四八)、越中守大伴家持が出挙のため能登を巡行したとき、まず本社に参詣して、「之乎路から直超え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」(志雄街道をまっすぐに越えて来ると、羽咋の海は朝なぎしている。舟と櫓が欲しいものよ)と詠んだのでした。本社がいかに重んじられ、のちに能登の一の宮となる神威を当時すでに有していたことがわかります。


北陸の一角にありながら朝廷の尊崇が厚く、神階も累進して貞観元年(八五九)には正二位勲一等から従一位にのぼっています。このような国家の厚遇は、東北経営、あるいは新羅や渤海を中心とした対外関係とも無縁ではないでしょう。能登半島の要衝に鎮座する気多大社の神威が中央国家に及んでいたのであります。


近年、南方八〇〇メートルの地に発見された寺家遺跡は縄文前期から中世にわたり、大規模な祭祀関係の出土品や遺構類は気多大社とのかかわりあいをしのばせる有力な資料となっています。


延喜の制では名神大社に列して祈年の国幣にあずかりました。「神名帳」によれば、気多神社と称するものが但島、能登、越中、越後(居多神社と称する)にあるほか、加賀には気多御子神社があり、国史見在社として越前に気多神社があります。日本海沿岸にひろく気多の神が祭られていたことを知ることができ、古代における気多大社の神威がしのばれます。


能登の守護畠山氏の社領の寄進、社殿の造営などが見られます。今も遺る摂社若宮神社(国指定重要文化財)は畠山氏の再建で、石川県の中世建造物として重視されています。


近世は、前田利家をはじめ歴代の藩主が崇敬し、社領三百五十石を寄進したほか、祈願、祈祷はもとよりしばしば社殿の造営を行っています。本殿(大己貴命)、拝殿、神門、摂社若宮神社(事代主命)、摂社白山神社(以上国指定重要文化財)、神庫、随身門(ともに県指定文化財)がそれであります。


加賀藩の保護した社叢(国の天然記念物)には奥宮が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれる聖域となっています。昭和五十八年五月二十二日、全国植樹祭に御来県の昭和天皇が本社に行幸され、入らずの森に踏み入られ「斧入らぬ みやしろの森 めずらかに からたちばなの 生ふるを見たり」と御製を詠まれました。


昭和天皇は、決してみだりに採取などなさらず、それぞれの植物が平穏に存続をつづけ、その場所の植物相がいつまでも変わらないようにとお祈りになっておられたからです。「斧入らぬみやしろの森」は、そのお慶びのお顕しでもありました。


明治四年(一八七一)に国幣中社、大正四年(一九一五)には国幣大社となり、現在も北陸道屈指の大社として知られております。


ご祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)


奧宮

ご祭神

素盞鳴尊

櫛稲田姫 (=奇稲田姫命 )


令和元年 奉祝 天皇陛下御即位記念
『入らずの森 特別参拝』


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 能登國一宮 気多大社「令和元年 奉祝 天皇陛下御即位記念 ‘‘入らずの森’’ 特別参拝(1)」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7314964



能登國一宮 気多大社 年中祭時記(2)


気多大社の清々しい朝の様子です。陽の光を受けてさらに氣が満ちてくる…

突如、一天俄にかき曇り、雷鳴と共に海から龍が一直線に「入らずの森」に降下しました。そして神聖なる湧き水を呑み干すと、龍は見定めた奧宮から本殿・拝殿・神門さらに真直ぐに伸びた参道を抜けて大鳥居をくぐると再び昇龍となり大海へと飛翔していく様が目に浮かびます。  


加賀百万石 前田利家とまつが 崇敬した気多大社

加賀藩主・前田家の祖、利家が能登国支配のよりどころとし、保護と統制を加えた能登國一宮・気多大社。利家の「能加越」と表現した言葉にあるよう領内でも重視された能登に在り、最も緑の深い神社として崇敬された。


また、利家を自然体で支えた正室のまつは、身内の病気を祈り度々回復祈願を依頼しました。子沢山でも仲の良い夫婦像が偲ばれる「利家とまつ」、生涯二人がこよなく愛したのが気多大社なのです。


気多大社

年中祭時記

気多大社では一年を通じ、様々な年中行事があり、様々な祭典が執り行われています。


大祓式

一年の境目、六月晦日午後六時半に行われる夏越の祓いは、「茅の輪神事」または「茅の輪くぐり神事」ともいわれ、祓具として茅の輪(罪、けがれを祓うためにくぐる輪)が用いられるところに特徴があります。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 能登國一宮 気多大社 年中祭時記「誕生したばかりの我が子のために祷る母の深い愛とは(2)」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7320928



能登一宮 気多大社(3)

創建二千年の歴史を持つ ー 気多大社の故事来歴 ー


奥宮「入らずの森」の神秘

中でも、加賀藩が保護した社叢には奥宮があり、普段は宮司以外は立ち入り禁止とされ、奥宮での神事がある際に神官が森の中に入るときには目かくしをして通行しなければらないとされ、「入らずの森」※として聖域となっています。

※昭和天皇の御歌に詠まれた「入らずの森」


昭和天皇をご案内する気多大社 三井宮司。いつも天皇陛下に寄り添われている入江侍従長の懐かしいお顔も・・・


昭和58年5月、昭和天皇が行幸された際にこの「入らずの森」にお踏み入りになり


『斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり』


と御製をお詠みになりました。

そんな神秘的スポットを抱える気多大社の名前からも「氣」が多く集まる神社とする伝説は揺るぎなきものになっています。

また、気多大社の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社では大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)といわれる縁結びの神様であることから、全国から多くの参拝客が訪れる神社となり、縁結びスポットとしても一躍注目を集めております。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 「 創建二千年の歴史を持つ能登一宮 気多大社の国指定重要文化財(3)」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7331306/



能登のあばれ祭

神と人が一体化する光景を見ろ!


「いやさか広場」に集まったキリコは、松明の火の粉がほとばしる中、激しく練りまわる。


日本海文化の交流拠点である能登半島は独自の文化を育み、数多くの祭礼が 行われてきた。その白眉はキリコ祭りと総称される灯籠神事。夏、約200地区で 行われ、能登を照らし出す。


日本の原風景である素朴な農漁村で神輿ととも に、最大で2トン、高さ15mのキリコを担ぎ上げ、激しく練り回る。


祗園信仰や 夏越しの神事から発生した祭礼が、地区同士でその威勢を競い合う中で独特 な発展をし、そしてこれほどまでに灯籠神事が集積をした地域は唯一無二。 夏、能登を旅すればキリコ祭りに必ず巡り会えると言っても過言ではなく、そ れは神々に巡り会う旅ともなる。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「神と人が一体化する光景を見ろ!火に水に 熱狂 乱舞し 練り歩く 能登のあばれ祭」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2584682



能登町と奇祭について


能登町の紹介

能登町(のとちょう)は、平成17年3月1日、能都町・柳田村・内浦町が合併して誕生しました。


○位置

能登半島の北東部に位置し、北は珠洲市と輪島市、南西は穴水町に隣接し、東と南は富山湾に面して海岸線が続き、海岸線の大半は能登半島国定公園に含まれています。


○地理

外浦の豪壮な海食景観に対して、富山湾に面する内浦の柔和な沈水景観は、九十九湾や遠島山など好風景を現しています。北西端にはブナ林で知られ、展望が楽しめる鉢伏山(海抜543m)があり、町域の約8割が丘陵地となっています。


これらを水源として、町野川・山田川・寺田川・梶川・松波川・九里川尻川が日本海に注いでいます。


当地の地形的特徴は丘陵地が海岸にせまり、海岸段丘の発達が見られます。特に東側の海岸線は屈曲に富んでおり、当地の地形的特徴は、山、川、海の豊かな自然環境に恵まれているため、天然の良港が形成されました。


そして、市街地や集落は、生業に応じて海岸部や、山間部の川沿いを中心に形成されています。


○気候

気候は、日本海特有の四季が明瞭で、冬季の降雪も全国的に見れば多い方ですが、年平均気温は13℃前後で、年降水量は1,700mm前後と、北陸地方としては比較的住みよい風土といえます。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 能登町と奇祭「~キャラゲの活躍~白丸曳山祭・・・」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4908067



七尾市石崎町 昔気質が残る活気にあふれる漁師町

海の男達が年に一度熱い血潮をたぎらせる祭りが石崎奉燈祭である
「サッカサイ、サカサッサイ、イヤサカサー」祭の声が町中に響き渡る


七尾市の概要

七尾市は能登半島の中程に位置し、平成16年(2004年)10月1日、(旧)七尾市、田鶴浜町、中島町、能登島町の1市3町が合併し、新生七尾市として新しい一歩を踏み出しました。


 この地域は、天然の良港として栄えてきた七尾港を海の玄関口とし、古代より能登の政治・経 済・文化の中心地として発展を続けてきました。


また、本市は、能登半島国定公園の中心に位置し、開湯1200年渚のいで湯として全国的に 有名な和倉温泉や、様々なリゾート施設を有する観光の島・能登島をはじめ、観光資源豊富な 魅力溢れる市です。


気候

日本海側の気候であり、冬季の積雪と年間降水日数が多いことが特徴。年間の平均気温は13度、積雪日数は50日程度で、積雪は多いときには50~70㎝程度です。


祭・イベント

青柏祭、お熊甲祭、能登島向田の火祭、石崎奉燈祭、モントレージャズフェスティバル in能登、七尾港まつり、七尾城まつり、住吉大祭、能登よさこい祭り、七尾祇園祭、和倉温泉冬花火,花嫁のれん展


観光地

和倉温泉、七尾城跡、能登演劇堂、小丸山公園、山の寺寺院群と瞑想の道、七尾美術館、赤蔵山、能登島ガラス美術館、のとじま臨海公園水族館、ひょっこり温泉 島の湯、なかじま猿田彦温泉いやしの湯、能登食祭市場、七尾 一本杉通り、閨フィッシングパーク


郷土芸能

七尾まだら、七尾豊年太鼓、三引獅子舞、塩津かがり火太鼓、多根獅子舞、向田雨乞い太鼓


特産品

七尾仏壇、和ろうそく、田鶴浜建具、能登牡蛎、水産加工品、八太郎漬、いきいき七尾魚、能登野菜(中島菜、沢野ごぼう、能登白ねぎ、小菊かぼちゃ、崎山いちごなど)


能登の四季とは


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「石崎奉燈祭 昔気質の海の男達が年に一度熱い血潮をたぎらせる祭りが始まる!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2743794



能登開門!七尾 へ

和倉温泉お祭り会館がオープン! 


能登国の誕生

能登立国以前の北陸地方は、「こしのくに」(古志国)と呼ばれていました。
こしのくには、日本海交易の地としてヤマト政権から重要視されていましたが、6世紀後半には高句麗の使節がこしのくにの海岸線に漂着し、さらには北方の蝦夷(えみし)との緊張感が高まったことからその役割は増大していきました。


七尾を拠点にして勢力を築いた有力豪族である能登臣(のとのおみ)は、古墳時代にヤマト政権から国造(くにのみやつこ)に任命され、その地方支配に貢献すると、養老2年(718)、能登国は越前国に属した能登半島の羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて、加賀国(弘仁14年・823)よりも100年余り早く立国しました。そして平成30年(2018)、能登は立国1300年を迎え今日に至り・・・


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 ~ GW 能登開門!七尾 へ ~ 令和2年4月25日に和倉温泉お祭り会館がオープン! 
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7943478



柳 宗悦「ゆべし」

ここのは日本一の折り紙を付けてよいと思います


「ゆべし」と名付くものは各地にありますが

ここのは日本一の折り紙を付けてよいと思います

柚のなかに餅を入れて作ります

形よく色よく

味わいよく香り高く

それに長い月日によく堪えます

柳 宗悦 著「手仕事の日本」より


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 柳 宗悦「ゆべし」ここのは日本一の折り紙を付けてよいと思います【輪島・金沢】石川県
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37293625/



※現在、2700件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
https://tokyo2020-10.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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