ZIPANG-10 TOKIO 2020 人類史上最も偉大な思想から学ぶ  ーはっこう文明はそれに習う ー  【寄稿文】一舟・光秀

戦争とは、哀しいかな、平和を望み、叫んでも
どうにもならないものなのであろうか? そのー1 


筆者は4歳で故郷の米軍の空襲での耳を劈くサイレンの大音響と防空壕の中の土の匂い。
母の実家での銚子大空襲では、真っ赤な炎の中で防空頭巾をかぶり、一家10人ほどで暗い土間で身を寄せていた情景は、気丈な祖母の言葉と同時に、未だにハッキリと記憶にある。


戦前の名古屋城「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ尾張名古屋は城で持つ金の鯱 雨ざらし」
                                   ©名古屋市


城郭国宝第一号の金鯱も爆撃で溶け落ちた名古屋市街の風景(昭和20年)   ©名古屋市


現在、人それぞれの日常の暮らしは、様々なものが溢れ返る今の日本であるが、列島日本はどこも素晴らしい。特に田舎こそ風景も人も伝統も家屋も風情も、掛け替えのない何かに出会える程である。


忘れるな 明治以降の戦争大好き日本人がしたことを

ところで身近な、といってもすでに80年前のことになるが、決して忘れてはならない、
日本史上最大の大事件。縄文・弥生と積み重ねてきた列島日本、変わり果てた太平洋戦争があった。


明治から昭和にかけて、欧米の植民地政策の後追いの、物質文明の最終段階と言っても良い、核爆弾投下で無条件降伏に至っ帝国日本軍国主義の末路であった。


その結果として江戸期までの周辺諸国との友好関係は消え、戦勝米国連合以外の国々とは敵対国になり、ミサイルの飛んでくる恐怖に怯える国になった。どれほどアジアの国々に、植民地とした近隣諸国に、軍国主義が行なった蛮行は、未だにその影響が続いている。


一見豊かな経済国になったと思うが、それも日本人の勤勉さではなく、米国の朝鮮戦争とその後ベトナム戦争の特需での、人の心を忘れた経済発展であった。


今世紀は 未だ 世界を牛耳る欲望の物質文明の亡霊の、手慰み程度の経済ゲームであるとしか思わない、人の命を大切に出来ない人世界の出来事だが、これらを何処に、誰に向かって、このやり切れなさを、不満をぶつければ良いと言うのであろうか。


神々か、国連か、政治か?、「否」

答えはそれぞれの人の、丁寧な生き方に全てがあると思う
権力欲、領土、資源、伝統文化、宝物、人を殺し奪う植民を称賛する大航海時代、火薬と銃器を使い、アフリカ、南北アメリカ、アジアをあっという間に占領と虐殺を思うがままにした時代が数世紀あり、その後の第二次大戦、太平洋戦争で締め括れるのではないかと期待した。


しかしその後の朝鮮戦争とベトナム戦争などなど次々と続き、その後始末と、反省と落ち着きが出て来た今でも、無差別の殺戮を終わりに出来ない。
その後遺症の癒えない現代にこそ、人の人たる道に取り組む時である。


世界中の多くの国民は平和へと願いながら、実際はその逆を、民主主義に則った選挙結果でも、世界中の人々はその税金で戦争経済産業の防衛費増加に、今年も来年も世界中が2%増加に加担をさせられているのである。


民主主義の疑問

民主主義の欠点は古代ギリシャでさえ疑問視した人達もいた。
物質文明の利を追う人も一般人も、人は戦争を賛美するDNAを持っている。


皆殺し戦法の信長、朝鮮侵略の秀吉を未だ英雄と自治体が称賛してイベントを催す。諸外国でも古代の侵略者を英雄と現代の教科書にも載せ、相手の人の痛みを共有しない風潮は、ドラマや映画も今も世界中で茶の間で、子供達までが敵を倒すゲームを楽しむことは止まない。


今日もその「亡霊」に操られ濃紺色のスーツを着用し、TVに現れる権力のトップの言うままでは、この一見進化したと自惚れている人は、皆悲し過ぎはしまいか。


地上で最も下等な生物 「人」

これが今日まで歴史と文明を築いてきたホモサピエンスの姿なのか。
戦争と平和の繰り返しの幼稚な人類世界なのか。


他の生きものとは異なり、節度のない、同じルーツの人の命をなんとも簡単に奪い、自己と仲間の利と表層の繁栄の虚飾を追う人の姿は、地上で最も下等な生物であろう。


他の生き物は自然の摂理の中で、程よい役割と機能と形と色彩を大事に、食物連鎖の節度と決まりを守り、微生物も虫も動物も草木も助け合う関係で生きている。


戦争の本質?

戦争とは地球上の生命のバランスを摂るための、自然の法である?

災害や病虫害の、パンデミックや、ヴィルスが種の増え過ぎや、環境のバランスを図る摂理であるなら、何をか言わんやであるが、慈しみの心もその一環にあるにしても、心をかき乱す人類に於いては、別途の新たな決まりと約束をどうしても欲しいのでは。これが人の目指す究極の文明であろう。


「生きとし生きるもの 皆幸せであれ」 ブッダの言葉


人類史上最も偉大な思想であり「慈悲」と言う。
人の心に程良い共有の穏やかな自然の法である。


そこで筆者が提案する、生きものの平和な栄養摂取の、程良いシステムである発酵現象に注目し、取り組み始めたのが「はっこう文明」である。

このはっこう文明は、人の我儘な1方的な愛ではなく、人以外の自然をも全てを愛する心にある。


「過ぎたるは 及ばざるが如し」  孔子の言葉


人種、民族、国、風土、伝統、思想、家族、などの凡ゆる人世界の矛盾を解決できる思想である。


これこそ自然の法そのままであり、物質文明の狭量な利害を超越し、人の調和を促す名言。自然の良き力に戻ることが、生きものである人の使命であろうと諭している。


寄せ集めの白黒の画像は少しでも後世の参考にしたく投稿した


帝国日本の軍事費は国家予算の7割までに


明治以降の帝国日本は、日露戦争勝利の亡霊は、やがて国家予算の7割を軍事費に。そして国中から集めた鉄製の、世界一の大鑑巨砲の戦艦大和も武蔵は戦わずして海の藻屑に。そして何より多くの若き優秀な特攻パイロットの命も悲し。筆者の叔父もラバウルで散った、悼む祖母に頂いた靖國の鈴は今も大切にしている。


豊川海軍工廠と市内の爆撃は 爆弾3千256発


当時10代の少女であった92歳で先年亡くなった知人の母親から、髪の毛の火の粉を払いながら、米機の低空飛行の機銃の恐怖の中、豊川の橋の下へ逃げ込んで命が助かったと。


豊川で犠牲になった六千人の学徒の国の戦争支援の労働状況


熱田の空爆では市営住宅団地中心に 数千人が犠牲に


今リハビリ仲間の筆者より数歳上の、名古屋市熱田区生まれの男性の方からも聞かされた。(因みに筆者の誕生日は太平洋戦争突入1941年12月8日の、一月前の11月8日)


続く・・・



【寄稿文】 一舟・光秀(林 英光)



環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
東京藝術大学卒業


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


公開 名古屋城本丸御殿とは


名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所(所在地.愛知県名古屋市)は、「ものづくりの技、心、自然環境の大切さ」を後世に伝える一大文化事業として、江戸期最先端技術の粋を集めた近世城郭御殿の最高傑作「名古屋城本丸御殿」の10年に及ぶ復元計画を進めてきました。


「名古屋城本丸御殿」は、尾張藩主の住居かっ藩の政庁として、1615 (慶長20)年に徳川家康の命によって建てられた、日本を代表する近世書院造の建造物で、総面積3 , 100 ㎡、木造平屋建こけら葺き書院造、13棟の建物で構成されています1930 (昭和5年)には天守閣と共に、城郭として国宝第一号に指定され屈指の名城として知られていたものの、1945 (昭和20)年の空襲により建物の全てを焼失。


しかし幸いにも焼失を逃れた、1049面の障壁画、309枚の実測図、約700枚の写真、約2000個の礎石など、他に例を見ないほどの豊富な史料が保管されており、様々な分野の専門家の協力を得て2009年1月から待望の復元工事に着手し、2018年の江戸幕府将軍(三代将軍家光)が宿泊するために建造された最も豪華絢爛な「上洛殿」などの完成をもって、10年をかけた復元計画を終えました。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「千年先へ、語り継ぐために。ものづくりの技と知恵を結集!名古屋城本丸御殿完成 6月8日(金)~ 公開」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4312637



知財のミカタ~巡回特許庁 in 中部

名古屋城本丸御殿「金シャチ横丁」ほか


「自分には関係ない」と思われがちな知財。 けれど、ブランドやデザイン、技術やノウハウなど、ビジネスを支える多くのものごとは、 実は知財なのです。「巡回特許庁」では、知財活用の事例やポイントを発信。 知財の見方を変え、知財をビジネスの味方につけるキッカケをつくります。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020「知財のミカタ~巡回特許庁 in 中部」募集受付のお知らせ
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6835074



ー きょう広島は原爆の日 ー 魂よ❣ ふるさとへ


私こと色紐子の小5~6年生時代に通った本川小学校は、この原爆ドームの側を流れる本川(当時は太田川)の川向うに対面するように建っていた。(勿論、原爆投下の中心地だった。) ここで学んだ諸先輩たちの消息は誰も知らない。 合掌。


振返れば、

S.20年3月10日の東京大空襲、そして、全国各地への爆弾投下が相次ぎ、そして決定的な惨劇が襲い掛かりました。それは S.20年8月6日続いて同年同月、8月9日。広島市と長崎市への原子爆弾投下によって、日本は完全に敗北を認めたのです。


家族、親戚一同、居間に集まり、茶箪笥の上に置かれた小さな箱型ラジオの下に集まり、畳に額をつける程ひれ伏して、ジッと耳を澄ませました。 天皇陛下は神様の存在でしたから当時は国民初体験の出来事です・・・

(詳細は本文にて・・・)


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020  ー きょう広島は原爆の日 ー魂よ❣ ふるさとへ【日原もとこ(故)】寄稿文より
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/46464334



“天下分け目の戦い”

関ケ原合戦を左右するプロローグをテーマに、期間限定開催


岐阜県は、織田信長が天下布武を掲げた地、豊臣秀吉が墨俣一夜城で出世の足掛かりとした地、そして、徳川家康が関ケ原の戦いで戦国を終結させた地であり、数多くの戦国・武将観光資源を有する「戦国のメインステージ」です。


戦国・武将観光の中核拠点として2020年10月にオープンした「岐阜関ケ原古戦場記念館」(以下「記念館」)では、2024年7月13日より、濃尾平野で繰り広げられ関ケ原合戦本戦に大きな影響を与えた前哨戦や、美濃各地での局地戦をテーマとした夏季企画展を開催します。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-9 TOKIO 2020― 戦国のメインステージ 岐阜 ― 岐阜関ケ原古戦場記念館 夏季企画展「関ケ原合戦の前哨戦-美濃・尾張の攻防-」2024年7月13日(土)~9月1日(日)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/54425128



魏志倭人伝 ~史書への登場~

日本の原風景 対馬の歴史(第一話)


伊勢志摩と見間違えそうなリアス式海岸です。対馬の「浅茅湾(あそうわん)」です。名古屋から来たというとタクシーの運転手さんが、「そうでしょう、真珠王の御木本幸吉さんが、真珠の養殖に適しているからと、指導に来られたのですよ」と嬉しそうに教えてくれた。


対馬は、東西を対馬海流が流れ、平地が少なく、島土の約89%が山地であり、各地に原生林が残されています。島の中央にはリアス式海岸・浅茅(あそう)湾が広がり、海岸線の総延長は915キロに及びます。地質は大部分が堆積岩で、表土は薄く、ごつごつとした岩肌が海に沈みこむ荒々しい風景があちこちで見られます。その日も急斜面をカモシカがをわが物顔に闊歩していました。


白村江の戦い ~金田城と防人~


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「日本の原風景 対馬の歴史~初めて訪ねた人にさえ懐かしさを感じさせる、その人情と風景とは~(第一話)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3172259



「古事記」の国生み神話では、大八島国の一つ「対馬」

対馬の歴史~江戸時代~(第二話)


「根緒の漁火」

国境の町対馬の夜の海はどこまでも暗く、あちらこちらで「ぽっぽっ」と一つづつ灯が灯る。目を開くといつしか漁火の海である。明け方になると大漁の灯りが揺れ港に兄弟舟が帰って行く。


韓国展望台からの眺め釜山港の海岸通りのネオンサインが見えるくらいの近さである。
橋があるならマラソンで行ける距離である。


対馬南端、広大な水平線が広がる豆酘崎(つつざき)。まさに、天地創造!
「古事記」の国生み神話では本州・九州と並び最初に創造される大八島国の一つ「対馬」


厳原町久田道(くたみち)の与良祖(よらのみおや)神社


厳原 与良祖神社 周辺にはピリピリした空気が漂っている・・・


神功皇后が神事を行い、朝鮮三国(新羅、高句麗、百済)を服属させた「三韓征伐」して凱旋後にも再拝したところ。


祭神の豊玉姫が、「新羅は外側は強いが内部が脆い。急襲せよ!」と神託を下した。


100以上神社を巡られた(一社)対馬観光物産協会の西氏によると

「写真のご神体周辺にはとんでもないものが潜んでいるような、ピリピリした空気が漂っています。迂闊には近づけません(-_-;)」

とのことです。この辺りは古代の古墳が発見された所。

対馬に行ったら何を差し置いてでも、訪ねたいような気もするし・・・


前号に引き続き対馬の歴史「江戸時代」を紹介いたします。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史~江戸時代~(第二話)いよいよ対馬で【対馬検定】開始!ご参加を」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3177804



「豊砲台」~昭和の巨砲~ 

対馬の歴史 明治~現代(第三話)


昭和4年起工、昭和9年に竣工した豊砲台は鉄筋コンクリート製。長さ18.5メートルの40センチ加農砲が2門装備され、爆撃に耐えられるようコンクリート壁の厚みは2メートル以上。名実ともに世界最大の巨砲でしたが、実戦では一度も砲弾を発射することはなく、昭和20年10月、米軍の爆破班により解体されました。


「豊砲台」

世界軍縮会議の結果、廃艦となった軍艦「赤城」の主砲(「長門」「土佐」という説もある)をこの砲台に据えたもので当時は世界最大の巨砲でした。 


豊砲台は、実践では一度も発射することがなく、「撃たずの砲台」と言われたりもしますが、第2次大戦時に日本海側の都市に艦砲射撃による被害がなかったのは、対馬要塞の強力な火砲による威圧の効果が大きかったためです。


砲台入口まで車で行くことができ、入口の照明スイッチを押すと照明が30分間点灯するため、砲座・砲具庫・巻揚機室などの内部構造を安心して観察することが出来ます。


対馬海峡の防備や朝鮮半島の戦略防衛基地として重要視されていた対馬では、1887年(明治20年)ころから要塞の整備が始まりました。美津島町の竹敷に海軍要港部が置かれ、日露戦争間近の明治34年(1901年)、竹敷から対馬海峡東水道に水雷艇隊などを出撃させるため、万関瀬戸が開削されました。


1905年には、日本の太平洋艦隊が、対馬沖を北上するロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、日露戦争の帰趨を決することとなります。日本では日本海海戦と呼ばれるこの戦いは、世界では対馬海戦(Battle of Tsushima)と呼ばれています。


日清・日露戦争時から第2次大戦中にかけて、対馬は全島が要塞化されましたが、これらの要塞はほとんど活躍することなく終戦を迎え、戦後の武装解除による破壊を免れた要塞も、今では静かに草木に埋もれつつあります。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史 明治~現代(第三話)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3185746



日韓友好の共同登録!

世界記憶遺産認定  朝鮮通信使


朝鮮通信使行列の再現(長崎県対馬市にて)


NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会様、財団法人釜山文化財団様、各関係団体の皆様に、
心からのお祝いとお礼

対馬市市長 比田勝尚喜

朝鮮通信使のユネスコ記憶遺産決定との報に接し、本当に喜ばしく感じております。

昭和53年に対馬市の故 庄野晃三郎様が最初に朝鮮通信使行列の再現を行ってから、昭和55年の朝鮮通信使行列振興会の立ち上げを経て、世に埋もれていた朝鮮通信使の歴史を発信し続け、平成7年には、この度、釜山文化財団と共同申請においてユネスコ記憶遺産の申請を行った、朝鮮通信使縁地連絡協議会を松原一征様が立ち上げ、全国各地の朝鮮通信使ゆかりの地や韓国内への呼びかけを続けてこられました。

対馬市にあるこの2団体の活動が、現在の朝鮮通信使の形を作ったといっても過言ではありません。誠に誇らしく、今回のユネスコ記憶遺産の登録はこの2団体の活動の集大成といえるものであると感じています。対馬市は、今後もより一層、朝鮮通信使に関する活動を支え、推進する所存であります。

最後に、今回のユネスコ記憶遺産の申請者として本当に多大なご尽力をされたNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会様、財団法人釜山文化財団様、各関係団体の皆様に、心からのお祝いとお礼を申し上げます。


対馬の自然

龍良山を守ってきた天道信仰の聖地のひとつ「裏八丁郭」。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「世界記憶遺産認定  朝鮮通信使 日韓友好の共同登録!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3200749



琉球王国のグスク及び関連遺産群(5)

斎場御嶽(せーふぁうたき)知念村


王国最高位の女神官である聞得大君の就任儀式「御新下り」が行われた格式の高い御嶽です。中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たしただけでなく、琉球の開閥神「アマミク」が創設した御嶽の一つといわれています。


御嶽の創設年は判然としませんが、記録などによると、15世紀前半には国王がこの御嶽に巡幸しています。


御嶽内は、様々な形状をした奇岩や樹林地となっており、神々しい雰囲気が醸し出していて、大庫理、寄満、三庫理、チョウノハナという拝所があります。これらの語源は明らかでないものの、大庫理、寄満、三庫理は同様の名称が首里城正殿内に存在することから、首里城、すなわち王権と深い関わりがあったことは明らかです。


戦前までは、男子禁制であった聖地ですが、現在では老若男女問わず、多くの人が参拝に訪れています。琉球地方に確立された独自の自然観に基づく信仰形態を表す顕著な事例です。


玉陵(たまうどぅん)那覇市

立派な石造りの第二尚氏王統の陵墓


1501年頃に第二尚氏王統の陵墓として造営されました。国王が祖先崇拝信仰を国内統治に利用するために、墓を造ったと推測されています。


前面にレリーフが施された高欄がめぐり、墓室は三室に分かれ、中室には洗骨前の遺骸、
東室には洗骨後の王と王妃を安置、西室は王族などを納骨するなど各室ごとに機能が異なっています。


墓庭は、ほぼ中央部で東西に二分され、清めのためのサンゴ片が敷かれています。16世紀初頭の琉球地方において確立された独自の石造建物の意匠を示す貴重な事例です。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「琉球王国のグスク及び関連遺産群(5)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6571862



平安時代 源為朝が発見 大分「塚原温泉」

源為朝は琉球に渡り、その子が琉球王 舜天となった


源 為朝(みなもとの ためとも)にまつわる伝説

塚原温泉には、平安時代の豪傑「源為朝(みなもとの ためとも)※」についての伝説が残っています。 12世紀、為朝が山で狩りをしていた時、傷ついたシカが湯溜まりに浸かり傷を癒しているのを見て塚原温泉を発見したと伝えられています。


※源為朝は源頼朝、義経兄弟の叔父にあたり、剛柔無双を謳われた。身長は2m以上あり剛弓の使い手であった。幼少期より荒くれ者で、父・為義により九州へ追放。ところが九州を制圧して鎮西八郎を名乗りました。


源義経が生きのびて、チンギス・ハーンになったという伝説がありますが、源為朝は琉球に渡り、その子が琉球王 舜天となったという話があります。


真意の程はわかりませんが、琉球正史「中山世鑑」や琉球歌謡集「おもろさうし」※に記載されています。

※「おもろさうし」とは1531年から1623年にかけて首里王府により編纂された歌謡集です。


塚原温泉の歴史

塚原温泉の歴史は古く、今から800年ほど前の12世紀、平安時代に開湯したと伝えられています。大正から昭和時代にかけては、現在の立地に「宇佐屋旅館」、「泉屋旅館」、「由原屋旅館」の三軒の旅館が営業していました。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 別府八湯の温泉源 伽藍岳の中腹「平安時代 源為朝が発見したと伝わる塚原温泉」見参!
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6850284



※現在、2700件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
https://tokyo2020-10.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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