金沢・浅の川園遊会 白糸川床
6月2日より予約受付開始!金沢茶屋街の川床桟敷席
城下町金沢の情緒を伝える主計町にしつらえた桟敷席で、金沢芸妓のおもてなしと加賀料理を愉しみませんか?
涼を誘う浅野川の川床は、京の川床とはまたひと味違った金沢ならではの夏の風物詩です。
ぜひ、ご堪能ください。
おもてなし処/
東料亭組合(八の福、中むら、八しげ、藤乃弥)
主計町料亭組合(まゆ月、えんや、み笑、仲乃家)
老舗料亭(大友楼、松魚亭、山乃尾、金城樓)
※開催日によって変わります
開催期間:2025年7月25日(金)~8月9日(土) 18:30~20:00
開催場所:浅野川左岸の主計町側 浅野川大橋と中の橋の間
料金:18,500円(税込)※各日50席限定
事前予約:2025年6月2日より申込受付開始(希望日の3日前まで)
問い合わせ先
浅の川園遊会実行委員会事務局
電話番号 076-256-0897 (予約受付時間 11:00~16:00 月・火・金)
メールアドレス oomoto@kanazawa-asanogawaenyukai.com
デジタルマップへのリンク
https://platinumaps.jp/d/kanazawa-city?s=15741
主催/浅野川園遊会実行委員会
共催/金澤 東山まちづくり協議会、老舗・文学・ロマンの町を考える会
後援/石川県、金沢市、金沢商工会議所
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
石川県 〒920-8580 石川県金沢市鞍月1丁目1番地 電話番号(代表):076-225-1111
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
金沢の新たなシンボル。
金沢駅おもてなしドーム~巨大木造の「鼓門」~
加賀宝生をモチーフとし 、木製の集成材により和風建築的に構成された「鼓門」は、「伝統と創造のまち金沢」をイメージさせ、アルミ合金とガラスを素材とした「ガラスドーム」は、雨に濡れないようにそっと傘を差し出す金沢の人のやさしさ、もてなしの心を表現しています。
これらが 、周辺の景観とも調和し、金沢の新たなシンボルとして、憩い・やすらぎ及びにぎわい創出に寄与する景観となっています。
平成17年 第12回いしかわ景観大賞受賞
設計者、建築家 白江龍三
「建築は、都市にちりばめられた文化の遺伝子です。
建築にかかわる人たちの夢や工夫、心遣いが随所に現れて、建築を使うことを通して未来につながり、私たちの生活を裕かにしてくれています。
私は、歴史を受けとめて、現代の最新の知見を交えて未来につなげる建築の実現を目指しています。特に、現代の課題である地球環境に適合する環境技術や先端技術も使って、理屈抜きに美しいとか、心地良いとか、楽しいと感じていただける建築の実現を目指して設計に取り組んでいます。」
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 石川の魅力は、自然と文化の調和「石川県の重要文化的景観 【文化庁選定】」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7294095
加賀百万石の城下町
金沢のおもてなしの心「つば甚」料理編
犀川のほとり、加賀百万石の栄華を誇る
古式ゆかしき加賀の城下町。
犀川を見下ろすように、創業260年の老舗「つば甚」はたたずむ。
宝暦二年創業のこの料亭は代々加賀百万石の前田家のお抱え鍔師であった鍔屋三代目甚平が、友人たちを招き美味珍味に恵まれたこの地の幸を趣向に満ちた料理でもてなしたことに始まるといわれ、「鶴の間」の床の間には今も家伝の鍔が埋め込まれている。
かっての軍人や室生犀星などの文豪、そして皇族、政治家、経済人らにも親しまれ、時には芸鼓をまじえて粋な宴が繰り広げられた。
大正時代の異国的な情緒漂う「月の間」には、輪島塗の丸い座敷机。床の間には季節の花と掛け軸が、時節を静かに物語る。
ソファに腰かけて眺める金沢の町。
古くもあり新しくもあり。甍の波は、雪化粧。
加賀料理はとにかく冬が旨い。清流犀川でとれる鮴(ごり)や、日本海ならではの新鮮な鯛、鱈、甘海老。珍重される千口子も見逃せない。そしてなんといっても、風味豊かな楚蟹。
海の幸、山の幸と金沢は一年を通じて素材には恵まれているが、にしんをはさみこんだ大根ずしや、ぶりをはさんだ蕪ずしは、見ためも繊細華やかで真冬だからこそ味わえる。
この慌ただしい現代。松尾芭蕉が宿泊し、句会、茶会などを催したといわれる茶室是庵にて初釜を楽しむ風雅な心も忘れたくはない。
加賀百万石の城下町金沢のおもてなしの心「つば甚」を紹介いたします
200年以上前に書かれた金沢及近郷の地名、名所、旧跡、神社仏閣等郷土の地理、歴史を中心に書かれた郷土史として有名な「亀の尾の記」の一部につば甚の前身、塩梅屋 鍔屋甚兵衛が紹介されています。
つば甚の料理
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「加賀百万石の城下町金沢のおもてなしの心『つば甚』料理編」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3889313
創業宝暦二年、金沢で最も歴史ある料理屋
伝統を伝承して新しきをつくる『つば甚』館内編
加賀百万石の礎を築いた前田利家が尾張に居を構えていた頃から代々のお抱え鍔師だった鍔家。
その三代目甚兵衛が宝暦二年(1752年)に鍔師の傍ら営んだ小亭・塩梅屋「つば屋」が「つば甚」の始まりとされています。
鍔を依頼した遠来の客や友人知人をもてなした趣向に満ちた料理がたちまち評判となり、藩主はもとより藩内の重臣が訪れるようになりました。
そして文明開化のあとも県内外からの多くのお客や文人墨客をはじめ海外からもお客が訪れ、今では金沢を代表する老舗料亭となりました。
菅原道真公について
『「つば甚」には昔から毎月25日に床の間に「菅原道真公のお軸」を掛ける習慣がありました。でも何故25日に掛けるのかを知っている者はおらず、只伝統だからと言う理由で営々と続けられていました。
ある日前田藩のお軸を掛けている際にそのお軸をじっくり見たら"道真”と言う印が 押されていました。 古文書を調べた結果、「前田藩」が菅原道真公の子孫であることが判明したのです。
前田藩にお遣えしていた身分でありますから、前田藩は勿論、道真公も祀っていたと言う事でございます。 それで「菅原道真公のお軸」を掛ける意味が分かりました。』
つば甚 女将 (2009年講演会にて)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「伝統を伝承して新しきをつくる『つば甚』館内編」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3897019
太宰府天満宮とは
「学問・至誠・厄除けの神様」
天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮と称えられ、「学問・至誠・厄除けの神様」として、ご崇敬を集めています。
大宰権帥として太宰府で亡くなった菅原道真公の廟をはじめとします。天満宮安楽寺とも言われました。平安時代には大陸由来の曲水の宴などの行事が行われはじめ、現代に伝わるものもあります。
文人としても崇敬され貴族や武士が参詣しました。文芸の聖地となり、連歌などが奉納され続けています。また、唐代の書籍である翰苑の平安時代の写しが残り、鎌倉時代には高麗国使高柔(コユ)が参詣して詩を奉納しています。
本殿が国重要文化財に指定されており、境内は伝統行事と相まって古代の雰囲気が感じられます。
太宰府天満宮は、日本の歴史上、最も有名な文人として知られる、菅原道真公を祀る霊廟です。京都天満宮の総本社です。
菅原道真公(845-903年)は、幼いころから詩歌に才能をみせ、のちに天皇や大臣に講義を行う「文章博士」となりました。また菅原家の私塾「菅家廊下」を主宰し、朝廷における文人社会の中心でもありました。
政治家としても優れ、宇多天皇の信任をえて要職を歴任します。遣唐使の廃止も道真の進言によるものとして知られています。そして醍醐天皇のもとで右大臣にまで登りつめました。
901年、時の左大臣藤原時平の讒言により、天皇の交替をもくろんだとして罪をかけられ、道真公は大宰府へ左遷されます。そして903年2月25日、59才で亡くなりました。遺言により大宰府で埋葬されました。後に時平の讒言を知った朝廷は、菅公の名誉挽回に努め、正一位太政大臣を追贈。菅公は天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになっていったのです。
はじめ、「四堂」(あるいは大野城がおかれた「四王寺」山)のほとりに埋葬する予定でしたが、その途中、亡骸を乗せた御車の牛が突然動かなくなります。牛がどうしても動かないのを人々は不思議に感じ、そこを墓所とした、と伝えられています。
905年、道真公の門弟だった味酒安行が、墓所に廟を建て、のちに安楽寺を創建します。そして919年に醍醐天皇の勅令によって社殿が完成したと伝えられています。その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。
長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れています。
菅原道真公は天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになっていったのです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「学問・至誠・厄除けの神様 太宰府天満宮は天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮(その壱)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3956050
太宰府天満宮 御本殿
桃山時代の豪壮華麗な様式
太宰府天満宮とは
御本殿
919年(延喜19年)、左大臣藤原仲平が勅によって社殿造営を行いました。数度の炎上を経た1591年(天正19年)に小早川隆景が再建します。
五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式で、右には飛梅、左には皇后梅が配されています。現在国の重要文化財として指定されています。
右に配される飛梅は、大宰府へ左遷された際に菅公を慕って一夜のうちに京から空を駆けてきたという伝承をもつご神木で、千年以上の時を経た今も毎年その清香の華を咲かせます。 飛び梅ほか6000本も植えられている梅をはじめ、大樟や花菖蒲など、菅公を祀る境内は豊かな緑と花に包まれ、四季ごとに美しく彩られます。
楼門
重層の入母屋造り、檜皮葺の二重門。全体は朱塗りされ、堂々たる風格にあふれた佇まいが見事です。慶長年間(1596~1615年)に石田三成が再興しましたが明治時代に焼失、1914年に再建されました。
手水舎
ご参拝の前に手と口を清める場所。霊峰宝満山より切り出された巨大な一枚岩で作られています。
御神牛
太宰府天満宮のご祭神、天神さまこと菅原道真公のお使いの牛です。菅原道真公の誕生日が、845年(承和十二年)6月25日で、これが乙丑(きのとうし)の年だった。 したがって、太宰府天満宮を始めとする全国の天満宮の多くには、呼び方は様々ですが、牛の像が設置されています。
鶯像
人々が知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替え、幸せを運んでくれると信じられている天神様の守り神。
麒麟像
麒麟は空想上の聖獣で、徳をもって世を治める王者の象徴とされています。
太宰府天満宮の一年間
天神さまのご神徳を感じるお祭り、どなたでも参加できるたくさんの楽しい催しなど、天神の杜には一年を通じて心躍る時間と空間があります。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「太宰府天満宮御本殿は五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4023347
フロリダより「太宰府天満宮」に奉納
受験生の健康と受験への健闘を祈念
フロリダ州政府柑橘局日本代表事務所(東京都港区赤坂1-11-36 代表:山野エミール)は、2022年1月28日(金)、受験生の健康と受験への健闘を祈念することを目的として、フロリダグレープフルーツを“学問の神様”である菅原道真公が祀られている全国の天満宮の総本宮・太宰府天満宮に奉納いたします。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 〜フロリダより愛を込めて〜 日本受験生の応援託し、 州極上品を「太宰府天満宮」に奉納
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/31647707
京都「貴船神社」
三千本の青もみじに包まれる新緑の名所
古くより水を司る神を祀り、また縁結びの神社としても知られる貴船神社(京都市左京区)
貴船神社 本宮参道
京都の奥座敷、貴船にある貴船神社(京都市左京区)は、古くより新緑の名所と謳われ、境内一体が約三千本の青もみじで覆われます。貴船は「氣が生じる根源」が語源とされ、古来、気生根(きふね)とも称される、清らかな水と森に囲まれた場所。例年、4月中頃から5月中頃に、生命力溢れる新緑が見どころを迎えます。
また、5月から「貴船の川床」が始まり、
貴船一帯が多くの賑わいを見せるシーズンになります。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020京都「貴船神社」にて新緑ライトアップを5月3日から開催~境内一帯が約三千本の青もみじに包まれる新緑の名所~
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/43108716
京都の伝統文化と世界を繋げる
京都・禅宗寺院 大徳寺本坊 伽藍特別公開並びに経蔵(重文)初公開!また大徳寺塔頭3寺院や、壬生狂言で有名な壬生寺などで非公開文化財の特別公開
大徳寺は織田信長や豊臣秀吉など戦国大名ゆかりの地で、その戦国武将に仕えた茶聖 千利休や日本美術史上の重要人物の一人、狩野永徳を代表とする狩野派などが活躍した当時の文化の最先端であり、後世の日本文化に多大な影響を与えた場所です。
後醍醐天皇から「本朝無双之禅苑」と評された禅宗の名刹、大徳寺は大燈国師によって1326年に創建されました。 一休宗純や沢庵宗彭などの名僧を輩出したほか、千利休や狩野永徳など後世の日本文化に多大な影響を及ぼした人物たちが活躍した場でもあり、数多くの貴重な文化財を今に伝えます。
千利休作庭と伝わる「直中庭」
千利休66歳の時に作庭されたと伝わる直中庭。秀吉公の希望により軍旗の瓢箪を象った空池を手前にし、加藤清正公伝承の朝鮮灯籠などを配した苔一面の枯山水庭園です。千利休が茶の世界だけでなく、マルチクリエイターとしての様々な才能と素質が垣間見れる庭の一つです。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020京都・禅宗寺院 大徳寺本坊 伽藍2024年春特別公開並びに経蔵(重文)初公開!!大徳寺塔頭3寺院や、壬生狂言で有名な壬生寺など非公開文化財を特別公開
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/49748199
「山中や 菊はたおらぬ 湯のにほい」 松尾芭蕉
山中温泉の名所
鶴仙渓に「川床」がお目見えしました。
春~夏の川床
山中温泉の名所、鶴仙渓に「川床」を楽しむ。芭蕉翁ならどんな句を・・・
秋の川床
清らかな川のせせらぎを耳に、春は新緑、秋は紅葉を眺めながら、川床で優雅なひとときを楽しむことができます。
山中出身の料理家 道場六三郎氏のレシピによる「冷製抹茶しるこ」と「川床ロール」も好評です。
芭蕉堂と無限庵
黒谷橋のたもとの松尾芭蕉を祀った「芭蕉堂」や、書院造りの武家屋敷に九谷焼や尾形光琳の作品を展示した「無限庵」※、「鶴仙渓川床」など周囲の見どころも多い散策スポットです。
※無限庵
加賀藩家老であった横山家が、金沢市の邸内に建てた書院を移築したものです。
明治末期の木造技術の枠を傾けた、最高級の普請であったと伝えられています。
成巽閣(重文・金沢)に見られる武家邸宅書院の伝統を継承する近代の書院造として貴重な遺構で、加賀蒔絵、古九谷、千利休ゆかりの茶道具など数々の古美術品を展示しています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020山中温泉の名所、鶴仙渓「川床」& 加賀温泉郷菖蒲湯祭り
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/43918069
藩主の末裔が営む御屋敷 御花【柳川】
リニューアルオープンは2025年1月11日
今も大名の末裔が受け継ぐ国指定の文化財「柳川藩主立花邸 御花」
御花に「泊まる」ということは、立花家が柳川と共に紡いできた時間と出会うこと。
松濤園を眺めながら愉しむお料理。船着場から舟を浮かべ、水の音を聞き、船頭の歌に耳を傾ける。そこで出会うのは、かつてここで暮らした藩主あるいは伯爵のある一日。
ときの流れに思いを馳せる。そんなひとときをお過ごしください。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-10 TOKIO 2020藩主の末裔が営む御屋敷 御花 空間のコンセプトは「100年先も変わらない質朴な空間 」2025年1月11日にリニューアルオープン
https://tokyo2020-10.themedia.jp/posts/55945970/
東京・浜松町に
瀬戸内会席料亭「芝四季亭」が 新規オープン
芝の歴史・文化を引継ぎ、~日本の四季を食で楽しむ場~をコンセプトに、数寄屋造りの建物内で瀬戸内会席と伝統文化 芸能をお楽しみいただけます
瀬戸内の魚介を主とした四季折々の旬の味覚をお楽しみください。
瀬戸内・小豆島の材
店内外には、かつて小豆島の名産であった“杏”の花や、今や小豆島の代名詞ともなっている“オリーブ”をモチーフにした装飾を施しております。そしてお客様をお迎えする足元には、島の繁栄を支えた小豆島石を採用しました。敷地内のいたるところで瀬戸内の要素を感じていただけます。
八房の梅と増上寺の瓦
芝四季亭の庭には、徳川家に代々伝わり、子孫繁栄を謳う紅白の“八房の梅”を日光東照宮から拝受しました。増上寺大殿の建立時に用いられていた土瓦も置いています。
【歴史と文化】
芝地区は古来より江戸・元禄文化の舞台となり、近代日本の礎を築いてきました。
江戸・元禄文化の舞台となった芝地区
江戸時代の芝地区は東海道の入り口として大きく栄えました。芸者が行き交う料亭が立ち並ぶ場所だったそうです。芝四季亭は、この芝の歴史を引継ぐ場所でありたいと考えています。
芝東照宮の参道
芝四季亭は芝東照宮の参道沿いに位置しています。旧芝離宮恩賜庭園、浜離宮恩賜庭園や讃岐小白稲荷神社も近隣にございます。
美食と歴史を楽しむ
芝四季亭では、周辺の歴史を学びながらお食事を楽しむイベントを季節ごとに企画しております。
文化・芸能を楽しむ
邦楽演奏や日本舞踊をはじめとする伝統芸能をお食事と一緒に楽しむことも可能です。
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