ZIPANG-10 TOKIO 2020 第83期将棋名人戦・古河対局 昼食の「勝負めし」に 『勝利の紅白うな重』が選出!


川魚料理を広める会が結集し、
紅白のうな重が挑戦者に活力と縁起を全国へ届けます。


このたび、茨城県古河市で5月29日~30日に開催された第83期将棋名人戦七番勝負・古河対局で、市内の14店舗が加盟する団体「古河の川魚料理を広める会」が提供する看板メニュー、『勝利の紅白うな重』が、昼食“勝負めし”に選出されました。


勝利の紅白うな重


■選出の背景

古河市では、伝統的な川魚文化を活かした「勝負めしプロジェクト」を企画。市将棋名人戦実行委員会が作成したメニューブックに掲載された40品の中から、対局者が昼食で選ぶ仕組みです。

その中で、団体提供の『勝利の紅白うな重』が、挑戦者の昼食として選ばれました。


■『勝利の紅白うな重』の魅力

紅白の二重奏:

関東風にふっくら仕上げた蒲焼きと、旨みを閉じ込めた白焼きを一つに。色鮮やかな紅白は「勝利」と「節目」を象徴します。


川魚文化の香り:

100年以上歴史のある古河の川魚料理の歴史を受け継ぐ味わいで、地元色豊かな一膳。


栄養と実用性:

高タンパクで集中力アップも期待できる食材として、戦いの場にも理想的。


■会員・関係者からの声

「この場に川魚料理を一堂に提供できたことは大変光栄です。古河といえば川魚料理のイメージが、さらに広まって欲しい」―会長(うなぎ昇り 小松園・小倉清暢さん)


「きれいに召し上がってくださいました。提供側も大変嬉しく、励みになります」―(調理店/うなぎ川松 代表・三瓶和弘さん)


■メディアの反響と来場者の声

各新聞・WEBで当日の「勝負めし」が話題に(毎日新聞・朝日新聞・茨城新聞他)

古河市内外から訪れた将棋ファンや観戦者が「勝負めしを巡る旅」を楽しみ、賑わいを見せました。


■今後の展開として

期間限定提供:

今後、所属店及び関連店舗で「紅白うな重」セットメニュー提供予定。


認知拡大施策:

SNS広告や観光協会との連携で「古河=川魚料理」のブランド形成を図ります。


通販展開:

株式会社小松園の運営する通販専門サイト「十一代目うなぎ佐市右衛門」にて「紅白うな重」を全国へオンライン販売。


お問い合わせ:

電話 0280-48-1245


古河の川魚料理を広める会


【団体概要】

団体名 :古河の川魚料理を広める会(加盟店舗14店)

代表  :小倉清暢(うなぎ昇り 小松園)

事務局 :古河市内飲食店連携事務所

活動内容:古河川魚料理の普及、イベント出店、提供メニュー開発



昭和の記憶

昭和天皇は大変に将棋がおすきでした。


昭和天皇と皇太子殿下(現:上皇陛下)の対局。行司役は香淳皇后でした。 @鎹八咫烏
さて、勝敗の行方は、言わぬが花!(ご表情とお姿から推察してください。)

昭和天皇は、鰻は好物の一つで、浜松来訪時にはよく浜名区 細江町気賀「清水家」の鰻をお召し上がりになられました。 


鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


天童の伝統文化と技術の継承


山形 天童 桜の花が満開の中行われる「人間将棋」ド真ん中を織田信長公が歩いて登場!
まさか「信長協奏曲 (コンツェルト)」タイムスリップした高校生の影武者やないやろね⁉

そうゆうたら…どことのう小栗旬に似てはったけんど・・・⁉


天童と将棋駒~人間将棋~

「将棋駒といで湯とフルーツのふる里」天童市は、山形盆地の中央に位置し、恵まれた自然環境の中に文化漂う街として発展しています。


この天童市が江戸時代より受け継ぎ育ててきた「将棋駒」は、 現在日本の中で天童市以外で生産するものはほとんど無く、産業として伝統ある「将棋駒」を後世に伝え守るたった一つの産地です。


天童市内では随所に将棋にちなんだ特産品や景色やイベントを見かけることができます。中でも春の人間将棋は圧巻です。


伝統文化と技術の継承

天童将棋駒の歴史

そもそも将棋駒はインドを発祥の地として、西洋に渡り「チェス」になり、東に渡り将棋となりました。


将棋駒の製造は、1500年代に確立しました。その後、江戸時代には幕府の保護を受けた「将棋家元制度」の成立により、五角形の将棋駒独特の形はもちろん、将棋文字までも複数に統一なり、現在まで大きな変化はなく受け継がれてきました。


それは、大阪にある(社)日本将棋連盟連盟関西本部「将棋博物館」や水無瀬神宮所蔵の将棋駒をみてもわかりますし、江戸時代の「浮世絵」にも多数描かれていることから見てもはっきりしている事実です。


天童将棋駒の起こりは、1831年織田藩が天童に城を移し家臣に「将棋駒」作りを内職として奨励したのが始まりです。数少ない資料ですが、


①1846年(弘化3年)の年号がある………駒文字の包装紙

②1870年(明治3年)の年号がある………『歩兵操典裏表紙」の残る駒文字

③江戸末期から明治初期に製作した将棋将棋駒の数々。


これら資料が、天童における将棋駒づくりが100年歴史があることを証明しています。将棋駒の五角形は12世紀頃の遺跡から数々出土しておりますし、将棋文字も、当時の天皇や書家の文字が現在まで脈々と受け継がれております。


天童の将棋駒産業が天童織田藩によって推奨されるようになったのは、江戸時代のことです。将棋駒つくりは下級藩士の内職として始めたといわれています。天童織田藩の窮乏した財政の中、下級藩士は生活の窮迫にあえぎ、内職によって家計を補いました。将棋駒製作がその一つです。


当時、織田藩の用人職にあり、のちに勤王の志士として知られた吉田大八が、その受ける扶持だけでは生活できなかった藩士に将棋駒の製作を奨励しました。


武士が手内職を営むことについては、他の執政の反対もありました。しかし、吉田大八は、将棋は兵法戦術にも通じるとの考えから、これを遊ぶことも、また駒を製作することも武士の面目を傷つけるものではないとして、その製造法を広く紹介しました。


天童将棋駒の制作過程


将棋駒の種類


将棋駒の材質


天童と尾張名古屋の関わり

織田信長公の登場・・・


編集後記

第41回 「将棋日本シリーズ JTプロ公式戦」地元民として藤井聡太二冠が勝利し、渡辺棋聖との頂上決戦に挑んで欲しいですね!どちらにしても紙一重の勝負になるのかな~?


そんなことは無い、これまでの対戦成績を見てみなよ、藤井聡太二冠は、豊島竜王に4連敗のころ負けなんダゼ~!


オイオイ、お主は一体誰を応援してるんだい?何の何の・・・「勝負は時の運」ダゼ~。

ってことは、運を味方につけた方が勝ちってことかい⁉

NO~⁉それもまた違うんダゼ~

決め手は…将棋めしで勝敗決定ダゼ~‼


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020日本の伝統文化~将棋~藤井二冠 JT杯挑戦&唯一伝統文化と技術を継承。山形・天童将棋駒
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10065574



「まゆはきを俤にして紅粉の花」

(まゆはきを おもかげにして べにのはな) 芭蕉



大正ロマン「銀山温泉冬景色」

雪は雪の味がする。なのに、ばっけ味噌の香りがすると、冬はいつしかベールを脱ぐ、

新緑の頃にもう一度訪ねてみよう・・・銀山温泉


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020  ~芭蕉ゆかりの尾花沢~ 「雪とすいかと花笠と大正ロマンの銀山温泉(その1)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4576828



紅山子 好みの 銀山温泉

~銀山温泉500年の歴史物語り~

現実か…?山奥秘境に突如不思議な世界現る‼


紅山子好みの銀山温泉 秋の陽が落ちる直前 人々の知らぬ間に街灯の暖かな灯がともる


銀山温泉は川沿いに湧き出した源泉をそのまま内湯にして旅館が建てられたのが今日に至っています。出羽の名湯として名高く細かな湯花が混じった乳白色のお湯です。


殆どの老舗温泉の伝統建築と言えば通常、2階建て〜3階建てだと思いますが、此処は大正モダンの和洋折衷建築3層〜4層建てからなる不思議な温泉街!


500年もの歴史をもつ銀山温泉は、その名の通り昔は銀の鉱山として栄えた仙境の温泉です。
奥羽山脈を望む素晴らしい自然の中、銀山川をはさんで建ち並ぶ木造りの旅館。
「家並み保存条例」により守られているその景観は、まさに大正時代そのものの趣があります。


銀山川を挟んで両側に対面する宿の町並みは温泉情緒満点です。共通の造りは開放的な窓から見下ろす温泉場の景観。


歩道にはガス灯が並んでいます。銀山川には多くの橋が掛かり、橋の真中で涼む若い浴衣姿のカップルたち。


湯浴客の行き交う光景、土産物屋の賑わい等が一つの愉しみでもあり、風物詩なのです。また、窓に迫り出したバルコニーに腰掛けて、川向こうの客にちらりと目線を交わしたり、それもまた、絵になる風景ではないでしようか?


"美しい鏝絵(コテエ)"をみつけよう‼  

絵といえば、ここで見るべきものは、今はもうその職人も仕事がなくなり、残念ながら跡継ぎが絶えたと思われますが、昔の旧家は幾つも白壁の土蔵を持ち、名前は用途によって米蔵、味噌蔵、道具蔵と呼ばれました。それらは大事な財産を盗難や火災から護ったのです。


そのお蔵には屋号の紋や装飾が施されています。この温泉街でも白壁や戸袋には特徴的なチャームポイントとしての鏝絵(コテエ)※が施されているのでご注目下さい。


※鏝絵とは、漆喰壁の仕上げに関わる左官職人のもう一つの技術。高度な精密さが要求される技術で、その巨匠"伊豆の長八"の下で修行を積んだ最上舟運で栄えた大石田川港からの職人を迎えて、山形県下の旧家では、町中でも競って鏝絵を施している。 


銀山温泉の歴史

銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。 大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な景観を味わうことができます。


野辺沢銀山歴史年表


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020~銀山温泉500年の歴史物語り~ 「 花笠おどり発祥の地 ・尾花沢(山形) ・ 大正浪漫の銀山温泉街は川辺リのそぞろ歩きと湯花香る天然温泉(その2)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4590255



河北町・谷地は「紅花」と「雛」と「舞楽」の里


谷地八幡宮林家舞楽「陵王」。紅花染の衣装です。

谷地八幡宮神職の林家が、一子相伝にて奏する舞楽で、天王寺系と云われております。 貞観二年、僧円仁(慈覚大師)に追従し羽州山寺にて舞楽奉納。爾来、当地に残り今日までその伝統が受け継がれてきました。


※慈覚大師 円仁(794年~864年)は

下野国の壬生に生まれ、日本仏教の礎を築いた最澄の一番弟子で、最後の遣唐使。長い天台宗の歴史、ひいては日本仏教の歴史に、大きな足跡を残す。 


べに花まつり

春まだ寒い4月中ころに種が蒔かれる紅花は、寒暖の差が激しいここ村山盆地で育ちます。
そして半夏生(7月2日)※のころ、他の花に先がけて一輪だけが花をつけ、やがて、すべての花が黄色に色づきます。目の覚めるような黄色い花が日を追って花弁の根元に赤い色素が登り初める頃、花摘みが行われ、紅餅が作られます。この紅餅から染料や口紅などが作られます。


7月初めからのべに花まつりでは、紅染衣装の展示(紅花資料館)、紅花路を駆け抜けるマラソン大会、切り花などのプレゼント(山形空港とさくらんぼ東根駅)、各家庭で育てた紅花の出来栄えを競い合う切り花展、俳人芭蕉になりきっての俳句大会などが行われます。
”まゆはきを悌にしてべにのはな”あなたも俳人芭蕉になったつもりで一句どうぞ…


※半夏生とは、夏至から数えて11日目の7月1日頃から七夕頃までの5日間が半夏生。太陽暦では7月2日頃。その頃に花を咲かせることに由来する説や、 葉の半分を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があります。 


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 まゆはきを悌にしてべにのはな ~芭蕉~紅花の本場、谷地の「べに花まつりは、浴衣美人が映える半夏生の頃・・・(第三話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5935889



~築100余年の歴史宿で楽しむ、新・銀山温泉スタイル~



⼤正ロマンの街並みで知られる銀⼭温泉に2022年7⽉1⽇、銀⼭荘グループ(⼭形県/尾花沢市)が新たに運営する「本館古勢起屋」がオープンいたしました。


「本館古勢起屋」は今からおよそ100年前の⼤正・昭和初期、⽇本の建築様式に⼤きな影響を与えたアール デコ様式で建てられた歴史的建造物を、名⼯の⼿によって現代に蘇らせた時代宿です。


全14室あるお部屋は川または⼭側に⾯し、ツインベッドのモダンな和洋室と当時の佇まいを残したレトロな純和室の2タイプ。館内には書家であった先代ゆかりの硯⽯の内風呂や、銀⼭温泉の古い様式を再現したユニークな⼤正⾵呂が誕生。


温泉街の系列飲食店でご提供するお食事は、滞在中のご利用すべてがご宿泊料金に含まれたオールインクルーシブで、現地での予算を気にすることなくお楽しみいただけます!ご利用はご夕食はもちろん、お夜食や翌日のチェックアウト後のカフェ利用も自由自在のうれしさ!


宿から飛び出して季節折々の銀山温泉をまるごと楽しむ、現代の「銀ぶら」をぜひ、現地でご体感ください。


~本館古勢起屋の歴史~

〜アール デコを和の感性で再構築した「ジャパン デコ」~

19世紀末から20世紀初頭にかけヨーロッパで盛んになった芸術運動アール ヌーボーに代わり、1920〜30年代にフラン スで発祥し、アメリカで栄えたアール デコは、それまでの華美な装飾を省いた商業デザインの先駆けともいえる様式で した。


シンメトリーで端正なアール デコのデザインは、⽇本の建築にも⼤きな影響を与え、⼤正・昭和の戦前期には⽇本の職⼈達の⼿によって、この様式を和の感性で再構築したジャパン デコ、いわゆる<洋⾵の和館建築>が盛んに造ら れました。


「本館古勢起屋」が建てられたのもその頃です。当館は建物の特徴から、時代によって建て増しが⾏われ、1 ・2Fは⼤正期、3Fは昭和初期に造られたものだと推定されています。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020【NEW OPEN】2022年7月1日、銀山温泉に日本建築美を愉しむ温泉宿「本館古勢起屋」が誕生!~その2~
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37737995/



※現在、2600件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
https://tokyo2020-10.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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