~特別公開~大向こうから声が
いよ~! 林や!田中や!ゆうちゃみや!待ってました
中京テレビ放送株式会社(所在地:愛知県名古屋市、代表取締役社長:伊豫田 祐司)は、「沸騰!地球アツベンチャー 日本の未来を探す旅」を日本テレビ系全国28局ネットで制作・放送いたします。
この度、2025年6月8日(日)の第二弾の放送に向けて番組の見どころ&出演者のコメントをご紹介いたします。
今、地球がひた走るのは「沸騰化」の時代―
世界の平均気温は過去最高を年々更新。深刻な干ばつで世界最大のアマゾン川は一部が干上がり、他方、急激な気温上昇が極端な豪雨をもたらし、各地で甚大な被害を生む、まさに“負の連鎖”に。
これから地球はどうなってしまうのか…?
その核心に迫るため、番組は沸騰化の最前線へ。“地球最後の楽園”で見たのは、人々や多様な生き物を危機に追いやる異常事態。そして、世界で急増する謎の巨大穴の正体は。各地で現れた“ありえない光景”、その原因を解き明かします。
一方、日本ではカーボンニュートラルを目指す最新技術が意外にも身近な場所に。MC林修とゲスト田中卓志(アンガールズ)、ゆうちゃみが街中を歩き、暮らしに溶け込んだ沸騰化対策を発見していきます。
第二弾も、大切な誰かと話したくなるミライの話が盛りだくさんです!
MC林修とゲスト田中卓志(アンガールズ)、ゆうちゃみが街中を歩きます
番組ロゴ
【番組内容】
<世界各地で“ありえない光景” 地球沸騰化の最前線>
●世界屈指の貧困国を襲う沸騰化
“地球最後の楽園”で見た異変と、奇跡の光景
マダガスカル 旅人:阿部凜
広さは日本の1.6倍の島国、マダガスカル。
動植物の約9割が固有種という多様性と自然の豊かさから、
そこは「地球最後の楽園」と呼ばれてきました。
しかし、かつて国土の大半を覆い、豊かな自然を育んできた森は急激に減少し、褐色の大地へと変わり果てていました。
平均年収は1~6万円、世界で最も貧しい国の一つ、マダガスカルで、旅人・阿部凜が出会ったのは、人口約2000人の先住民ウェズ。彼らの暮らしに猛威を振るっていたのは、沸騰化による異常な気候変動。
そして、長いもので樹齢1000年を超える島のシンボル、バオバブの木に迫る危機と、この島に残る奇跡の光景が、今を生きる私たちに投げかける問いとは…。
マダガスカルの子供たちと 阿部凜
●その数、2500個…街のど真ん中にも
急増!超巨大な陥没穴
トルコ 旅人:緒形敦
今、世界各地に続々と出現している巨大な陥没穴。
二酸化炭素の20倍以上の温室効果があるとされるメタンガスが噴出し、負のスパイラルを生む穴も。
トルコ 牛飼いのオジサンと緒形敦 意気投合
トルコ そこら中、穴だらけ…「何だこれは!」思わず叫ぶ緒形敦
住民がそう話す、トルコの穀倉地帯。旅人・緒形敦が遭遇したのは、直径約60メートル以上、深さ約70メートル以上、足がすくむような超巨大な陥没穴。なんと、一夜にして出現したという衝撃の事実が。
1年に40個以上、突如として街のど真ん中に現れ、住宅に被害が及んだケースも。
巨大な穴が日常を襲う脅威の実態と、急増の原因に迫ります。
<沸騰化に抗う“ニッポンの光” ヒントは身近な場所に>
CO2を削減し、カーボンニュートラル実現を目指す驚きの最新技術がここ日本に。
林修、田中卓志(アンガールズ)、ゆうちゃみが街ブラしながら、暮らしに溶け込んだ沸騰化対策を発見していきます。
「沸騰!地球アツベンチャー 日本の未来を探す旅」番組の様子 林君、何か言ってるね~
意外と美味しいよ。ゆうちゃみ気に入っちゃった!
「沸騰!地球アツベンチャー 日本の未来を探す旅」番組の様子2
皆何か楽しそう。番組をお楽しみに・・・
「沸騰!地球アツベンチャー 日本の未来を探す旅」番組の様子
東京・浜松町で見つけたのは、“水素で焼く”世界初のレストラン。
水素を燃料とするコンロで調理することで、二酸化炭素を排出せず、生み出すのは水と熱だけ。
しかも、地球に優しいだけでなく、とっても美味しいメリットが!
また、日本最大規模を誇る、ある商業施設へ。
多くの観光客が行き交う東京・豊洲の新名所にも、地球の未来に配慮した様々なアイディアが。
明日を変える身近なヒントを、楽しく、美味しく紹介していきます。
【収録を終えた3人に番組の感想などをお話しいただきました】
MC 林修
ゲスト 田中卓志(アンガールズ)、ゆうちゃみ
Q「収録を終えての感想を教えてください」
■ゆうちゃみさん
「今、世界では本当に深刻な状況が続いている中で、きょうのロケを通して、いま日本でも環境のために色々な取り組みがされていることが分かり、日本が変わろうとしていることが見えて嬉しい気持ちになりました。
その反面、世界に目を向けたときに『自分にできることは何だろう』と改めて考えさせられました。寄付だったり、小さな行動だったり…ちょっとでも自分に出来ることはないかな、という思いになりました。」
■田中さん
「最近の日本でも気温の上昇を感じていたけれど、世界はどうなんだろうと思ったら、もっと大変なことになっていて。例えばトルコの地面に空いた大きな穴はびっくりする規模で…。
でも、そういう問題に対して、なんとかしようとしている人たちの姿も見えて、
“意識って確かに高まってきてるんだな”という感じがしましたね。」
■林さん
「VTRの中にもあった『極端化』という言葉が、まさにその通りだなと思い、
例えば雨がめちゃくちゃ降る地域があると思ったら、まったく降らない地域もあって。
昔に比べて気候のバランスが大きく崩れて、人間も努力して対応をしてきたけれど、追いつかない部分が多い。特に貧困国は元々の環境での生活が大変だったのに、そこからさらに気候が変わってしまい、どうにもならない状況に追い込まれている。
そのような、さらに貧困に直面する人達の役にどうにか立てないかと思いました。
でも、『このままではダメだ』と、意外と大きく動き出している面もあって、非常に厳しい状況ではあるけれど、ただ絶望するしかないという訳ではないと思いましたね。」
Q「番組をまだ見ていない方に向けて、見どころを教えてください」
■ゆうちゃみさん
「今回は、豊洲でロケしてきたんですけど、すっごく美味しい食べ物もあって、雰囲気もすごく良かったです!皆さんも行けるような場所ばかりなので、ぜひ遊びに行ってもらいたいなって思います。
食べ歩きもできて、ロケ自体もめちゃくちゃ楽しかったです!」
■田中さん
「こういう環境の番組って、“ちょっと重たいかな…”って思う人もいるかもしれないけど、
今回は“アツ勉ポイント”としてクイズもあって、カジュアルに楽しめるようになっています。
ゆうちゃみが、みんなが“これ聞いたら恥ずかしいかも…”って思うようなことを全部聞いてくれたんですよ(笑)。
そういう意味でも、勉強になるし、楽しいし。とてもいい番組になっているので、ぜひ見てください!」
■林さん
「今、世界で大変なことが起きている現実をまずは知ってもらえる番組だと思います。
だからといって、全てが“もうダメだ…”という内容ではなく、きょうロケで行った豊洲をはじめ、少しずつでもできることをすることによって、今までの方向とは少し違う、より未来につながる方向に努力しているということが分かりました。
さらには新しい技術も開発されていて、20年後・30年後の未来の姿が見える番組。そのような部分を学ぶ面ももちろんあるけれど、見ていて楽しいし、しかも未来に希望を感じてもらえる番組になっていると思います。」
【番組概要】
番組名 : 沸騰!地球アツベンチャー 日本の未来を探す旅
放送日時 : 2025年6月8日(日)午後3時~午後4時25分(日本テレビ系28局ネット)
出演者 : MC 林修
ゲスト 田中卓志(アンガールズ)、ゆうちゃみ
アツベンチャー(旅人) 阿部凜、緒形敦
※内容は変更になる可能性がありますので、ご了承下さい。
余滴
全くの偶然ですが、前号の気象のお話と共通するところがあるようにも思うのですが、
如何でしょう⁉ここ数年、コロナから始まり各地の自然災害、紛争、家族離散、飢餓
世界中で、あまりにも自然や生き物にとって地球の終焉を想わせるような出来事が多発しています…ご一緒に「日本の未来(地球の未来)を探す旅」に出ようではありませんか・・・
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
国の始まりとは⁇
~古代からの架け橋~ 国境の島
【壱岐/対馬/五島 日本遺産認定】
日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代より、これらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点でした。
特に、朝鮮半島との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で一支国として栄え、対馬は中世以降、朝鮮王朝との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄 えた歴史が残っています。
経済や交通の発展により、中継地としての役割は希薄になりましたが、古代の史跡や城址、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等においても 日韓交流の痕跡が窺えます。
国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域であることから日本遺産に認定されました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~古代からの架け橋~日本遺産認定「国境の島 壱岐・対馬・五島」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4615487
神功皇后の「子宝の湯」
長崎のしま『対馬・壱岐・五島』
水揚げされる魚の種類が全国1位の魚大国、長崎県!
その中でもとびきり新鮮で旨い魚が集まると言われているのが
対馬や壱岐、五島列島といった島々です。
長崎県 壱岐 勝本朝市 勝本漁港の朝市 早朝から地元の人々で賑わう。
最近では噂を聞いた観光客が新鮮な魚介類や新鮮野菜・果物を目当てに訪れる・・・
長崎県 壱岐 湯本温泉 平湯旅館
湯本の温泉は5世紀神功皇后が三韓出兵の折に発見し、我が子応神天皇に産湯を使わせたという伝説の残る湯です。
1500年以上の歴史を誇るわが国でも屈指の古湯であり、平山旅館のお湯は湯本の中でも旧湯(ふるゆ)と呼ばれています。
ここ湯本は子だくさんの家庭も多いことから、神功皇后の「子宝の湯」として信じられ、時の流れと同様に今も静かにこんこんと湧き続けています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020長崎のしま『対馬・壱岐・五島』とびきり新鮮で旨い魚を一挙紹介!
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/46203823/
「神もうで」
古来より大切に継承されてきた伝統文化を感じる
古事記の「記」、日本書紀の「紀」を合わせて 「記紀(キキ)」と呼びます。
記紀は約1300年前の奈良時代に神武天皇の命令で作成され、日本書紀より8年早く完成した古事記は、現存する日本最古の歴史書とされます。
宮崎県に根付く神話の物語に基づき、この「記紀」の物語と共に宮崎県内を巡る旅を「キキタビ」と名付けています。
宮崎県には神話の世界を感じることが出来る「記紀」ゆかりの壮大な自然や神社、史跡が数多くあり、「キキタビ」は神話のふるさと宮崎の魅力を存分に味わうことの出来る旅です。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 古来より大切に継承されてきた伝統文化を感じる「神もうで」の旅 宮崎に眠る神話の世界感を体験!『キキタビ2022』観光キャンペーン開始
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37703868/
世界遺産 人生甦りの熊野速玉大社
熊野信仰の起こり
私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょう?古代の人々にとって、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷であったと思われます。
自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えます。 人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます。
その中で私達の祖先は、自然をも超越した完全無欠の神を望まず、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望みました。 熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ちました。
世界遺産登録
紀伊山地の熊野三山、高野山、吉野、大峯は、古来「南山」と呼ばれ、自然崇拝に根ざした神道、外来の仏教、その両者が結びついた修験道など多様な信仰形態を育んだ神仏の霊場です。
また、熊野参詣道、高野山町石道、大峯奥駈道などの参詣道(古道)とともに広範囲にわたり極めて良好に保全され、山岳、森林と一体となった「文化的景観」を形成しています。
2004年7月、熊野三山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が日本で12番目の世界遺産に登録されました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 待望の扇立祭が始まる ~!「世界遺産 人生甦りの熊野速玉大社」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4491747
【神倉神社】御燈祭り
熊野速玉大社 摂社【神倉神社】
神倉神社は市街地の西、権現山(神倉山)の南端に鎮座する、熊野速玉大社の飛地境内摂社です。 「ゴトビキ岩」を御神体(ごしんたい)とし、高倉下命(たかくらじのみこと)・天照大神(あまてらあすおおみかみ)を祭神としている。
熊野の神が降臨した地とされ、絶壁の上の巨岩「ゴトビキ岩」に、古代の人々は神がやどると信じていました。
神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩がある。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「御燈祭りは男のまつり 山は火の滝 下り竜 世界遺産 熊野速玉大社 摂社【神倉神社】御燈祭り(後編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2908032
世界遺産『熊野本宮大社』と神鳥『八咫烏』
紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。
熊野本宮大社が第十代崇神天皇六十五年(紀元前三十三年)旧社地大斎原へ鎮座してより、数えて二千五十年を迎えるに当たり、御創建二千五十年を奉祝することによって、参拝者の誘致や熊野の更なる認知度向上、延いてはそれに伴う地域活性化のため、平成30年1月から12月までの1年間を通して、様々な記念行事を執り行なっています。
熊野本宮大社とは
熊野本宮大社は熊野三山(本宮・速玉・那智各大社)の中心、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。
延喜式内社 熊野坐神社 名神大社 官幣大社
縁起・神話
天火明命(あめのほあかりのみこと)は、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。
天火明命の息子である高倉下(たかくらじ)は神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂(ふつのみたま)」 を献じてお迎えしました。
時を併せて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は天より八咫烏(やたがらす)を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟(いちい)の巨木に、三体の月が降臨しました。
天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。
すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。 この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。
第十三代成務天皇の御代には、国々の境が決められました。
熊野国は、紀伊半島の南半分(志摩半島より南)と定められ、初代の熊野国造(長官職)には高倉下の子孫である、大阿斗宿裲(おおあとのすくね)が就任しました。
このように、熊野国造家は天神地祇の子孫である「神別諸氏」の氏族であり、物部氏の先祖でもあります。熊野本宮大社の神々は大阿斗宿裲以降、千数百年もの間、熊野国造家の子孫によって代々お祀りされてきました。
当地は神話の御代より熊野の国となっており、大化の改新(西暦六四五年)まで続きました。連(むらじ)とは大和朝廷時代に、主として神別(しんべつ)の諸氏が称した姓(かばね)で、臣(おみ)と並ぶ有力豪族が多い。神別諸氏とは天神地祇の子孫と称する氏のこと。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 御創建二千五十年記念行事開催!~「世界遺産『熊野本宮大社』と神鳥『八咫烏』」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4502509
〜那智の火祭が始まる〜!
熊野那智大社
祭神
〈主祭神〉熊野夫須美大神(伊弉冉尊)
〈配祀神〉大己貴命 家都御子大神(素戔鳴尊) 國常立尊 御子速玉大神(伊弉諾尊) 泉津事解之男尊 天照大神 天忍穂耳命 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 國狹槌尊 豊斟渟尊 埿土煑尊 大戸之道尊 面足尊 建角身命 稲荷大神 道祖神 役行者 罔象女神 大山祇神 樟霊神
御由緒
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。
その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九〇七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されております。
なお「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは奥深い処、神秘の漂う処ということになります。また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。
その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようとして、古代から多くの人々が熊野へ、そして那智山へ参詣されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 〜那智の火祭が始まる〜! 「世界遺産熊野三山 熊野那智大社例大祭(扇祭)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4485273
神々が眠る日本最古の地・ 花の窟
花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者がご参集されます。
花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれ大綱の「御縄掛け神事」※は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。
※後述の「御縄掛け神事」の項目にて詳細をご参照下さい。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 神々が眠る日本最古の地・ 花の窟~花の窟(はなのいわや)神社~(続編-3)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6679209/
やっぱり行きたい!日本人の心のふるさと
「伊勢神宮」&「斎王と斎宮」&「熊野古道 伊勢路」
三重県には、日本人の心のふるさとである伊勢神宮や斎王の斎宮、世界遺産の熊野古道がありますが、 実はそのほかにも行っておきたい「知られざるパワースポット」も多くあります。
女性は特に訪れておきたい鳥羽三女神など、初詣や年始の旅行にぴったりの三重県の魅力的なパワースポットをご紹介。また、年始から冬にかけて三重旅行を楽しめるよう、注目のスポットの情報もご案内します。
伊勢神宮
日本人の御祖神(みおやがみ)で、現在でも内宮・外宮合わせて年間約 1000 万人が訪れる「日本の聖地」。
内宮・外宮を中心に125 の社で成り立ち、外宮から内宮へ参拝するのが古くからの習わし。
伊勢神宮 外宮
天照大御神様のお食事を司り、産業の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る。衣食住をはじめあらゆる産業の守り神で、お参りの際は、日々の恵みに感謝を伝えたい。(三重県伊勢市豊川町 279)
伊勢神宮 内宮
内宮は皇室の御祖先であり、太陽にも例えられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る。広大な古代から守り続けられてきた深い森に包まれながら参拝ができる。
(三重県伊勢市宇治館町1)
早朝参拝のあとの朝粥がオススメ!
伊勢市駅~外宮をつなぐ「外宮参道」
伊勢市駅と外宮をつなぐ徒歩5分の道のりは賑やかな内宮の門前町とは異なり、静かで落ち着いた趣き。早朝参拝のあとの「あそらの茶屋」でいただける「御饌の朝粥」は絶品!
お伊勢さんの門前町
「おはらい町」「おかげ横丁」
伊勢神宮内宮参拝のあとは、宇治橋から五十鈴川沿いに続く約800 mの石畳の通り「おはらい町」とその真ん中にある「おかげ横丁」で伊勢うどんや手こね寿司、「赤福」など三重グルメに舌鼓。
斎王と斎宮
日本遺産「祈る皇女 斎王のみやこ 斎宮」
古代から中世にわたり、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えた「斎王」は、皇女※として生まれながら、都から離れた伊勢の地で、人と神との架け橋として、国の平安と繁栄を願い、神への祈りを捧げる日々を送った。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020やっぱり行きたい!日本人の心のふるさと「三重県の~多様な魅力~ご存知ですか⁈」
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/12311322
佐藤栄作(元)首相英断の明日香法とは
飛鳥地域とは
"あすか"という地名のいわれについては、古墳時代から我が国に移住した、たくさんの渡来人たちが、さすらいの果てに得た安住の地であるという意味で「安宿(あすか)」と名づけたのが転じたともいわれ、さらにその枕詞に使つかわれていた「飛鳥(とぶとり)」をも"あすか"と読ませることになったという説が立たてられています。
地名をもって時代名としているのは、日本史上これが初めてのことです。 飛鳥地域は、現在の奈良県高市郡明日香村周辺の地域を指します。また、大阪羽曳野(はびきの)市飛鳥周辺が「近つ飛鳥」と言われているのに対し、明日香村周辺は「遠つ飛鳥」と言われています。
これは「古事記」の記載の中なかで、履中天皇(りちゅうてんのう)の同母弟(後のちの反正天皇(はんぜいてんのう)が難波から大和の石上神宮(いそのかみ)に参拝する途中2泊しその地を名付けるのに、近い方を「近つ飛鳥」、奈良県の遠い方を「遠つ飛鳥」と示したことによります。
飛鳥時代の年表
538年百済から仏教伝わる
587年蘇我馬子、物部氏を滅ぼす
592年推古天皇即位し、豊浦宮を造営する
593 年聖徳太子、推古天皇の摂政になる
603 年官位十二階の制度が作られる。推古天皇、小墾田宮に遷る
604 年十七条憲法が制定される
607 年遣隋使(小野妹子おののいもこ)派遣
622 年聖徳太子、没する
630 年第一回遣唐使、派遣
641 年山田寺の造営はじまる
645 年蘇我本宗家滅亡(大化改新)
652 年班田収授法が制定される
660 年中大兄皇子、漏刻(水時計)をつくる(水落遺跡)
667 年都を近江大津へ遷す
668 年天智天皇が即位する
672 年壬申の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)が勝利する
673 年天武天皇が即位する
683 年銅銭(富本銭ふほんせん)が鋳造される
694 年都を藤原京へ遷す 701 年大宝律令が制定される
710 年都を平城京に遷す
飛鳥時代とは
飛鳥時代とは、年代的にいえば、推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)に即位した6世紀の終りから、元明天皇が和銅3年(710年)に奈良平城京に遷都するまでの約100年間を指すことになっています。
この間の歴代天皇は一代ごとに都を遷していますが、推古天皇の豊浦宮(とゆらのみや)と小墾田宮(おはりだのみや)を始めとしていずれの宮も飛鳥地域内にあり、この間に飛鳥を離れたのはわずか3人だけでした。
その3人、孝徳天皇の難波宮と天智、弘文天皇の近江大津宮の時代は、わずか15年に過ぎませんでしたし、その間も留守官(るすのつかさ)を任命し維持されており、飛鳥は捨てられていたわけではありませんでした。 それ故この時代の政治・文化の中心は飛鳥にあったといっても間違いではなく、総称として"飛鳥時代"と呼ばれています。
飛鳥時代を一口にいうと中国・朝鮮からの仏教伝来に伴ない、古墳時代から脱皮して新しい文化を発展させた時代であり、政治、経済、社会ともに大変革が試みられ、大和政権が豪族の連合政権から天皇制律令国家へ飛躍したことで、日本国誕生の時代ということができます。
飛鳥時代の歴史とは
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「明日香村に再発見!『陽の光・水・空気・大地』はその儘、古代飛鳥の風土色。 そして佐藤栄作(元)首相英断の明日香法とは・・・」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6248282
大和一之宮と七福神を詣る
「大和七福八宝めぐり」は大和の七福神と大和信仰の原点である三輪山を参り、八つの福宝をいただくおめでた詣りです。
七福神はインド、中国、日本と三国にわたる福の神です。縁を結べば「七福即生」の御利益があります。また、三輪山は日のいづる山として仰がれる大和の信仰の原点で、参拝すれば七福がさらに倍増し、「八宝円満」の御利益をいただけます。
この「七福神+大和一之宮」の八宝巡りは1日で回ることも可能ですので気軽に出かけてみましょう。それぞれ趣の違うお寺、神社があなたを迎えてくれます。
大神神社
三輪明神 「七福倍増の福宝」
長谷寺
大黒天 「財宝の福宝」
信貴山朝護孫子寺
毘沙門天 「家門隆昌の福宝」
当麻寺中之坊
布袋尊 「家庭円満・子宝の福宝」
安倍文殊院
弁財天 「愛嬌縁結びの福宝」
おふさ観音
恵比須天 「商売繁昌の福宝」
談山神社
福禄寿神 「開運出世の福宝」
久米寺
寿老神 「長寿延命の福宝」
七福神をお祀りする大和の8社寺は、日本文化発祥の大和の地でも、特に由緒のある名刹です。 それぞれに趣の違う8社寺を巡り、それぞれの魅力の味わい、それぞれのお徳を授かって下さい。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020「~大和一之宮と七福神を詣る~大和七福八宝めぐり」のご案内
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元伊勢『籠神社』は 伊勢神宮のふるさと
伊勢へ詣らば 元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風海山越えて 天橋立吹き渡る
国宝 海部氏系図
籠名神社祝部海部直氏系図
これは昭和五十一年六月に、現存する日本最古の系図として国宝に指定された。同系図は平安時代初期貞観年中に書写されたいわゆる祝部系図(本系図)と、江戸時代初期に書写された勘注系図(丹波国造本記)とから成るが、勘注系図は本系図の省略箇所を補完するものとして同時に国宝に指定された。
本系図は始祖彦火明命から平安時代初期に至るまで縦一本に、世襲した直系の當主名と在位年月だけを簡潔に記したいわゆる宗主系図であり、稲荷山鉄剣銘とよく似た様式で、竪系図の最も古い形を伝えたものと云われる。各當主名の上に押された二十八箇所にも及ぶ朱印は、今まで未解明であったが、昭和六十二年夏、美術印刷に秀れた便利堂の色分解に依る解析写真撮影で印影が浮かび上り、是を中世文書の権威村田正志博士が見事に解読して、「丹後國印」の文字である事が判明した。
是に依って當系図は海部氏が私に作成したものでなく、これを作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、更にそれを大和朝廷に差し出したいわゆる本系帳の副本であり得る事が証明され、国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。
一方海部氏勘注系図は、始祖以来平安期までの系譜が省略なく記載され、これに當主の事績を始め兄弟等の傍系に至るまで詳密な注記が付されているが、その中には他の古記録には失われている古代の貴重な伝承も含まれていると云われ、今学界の注目を浴びている。
元伊勢の創祀以来の祀職である海部氏は神代以来血脈直系で世襲し、大化改新以前は丹波国造であったが、その後祝部となり、現宮司に至り八十二代と伝えられる。
籠神社「元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図 -改訂増補版-」出典
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「元伊勢『籠神社』は 伊勢神宮のふるさと(その壱)」
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パワースポットの源 奥宮 眞名井神社
奥宮 真名井神社
【別称】
豊受大神宮・比沼真名井(ひぬまない)・外宮元宮・元伊勢大元宮 【古称】 匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)・与謝宮(よさのみや)・久志濱宮(くしはまのみや)
【御祭神】
豊受大神を主祭神として、天照大神・伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)・伊射奈美大神(いざなみおおかみ)・罔象女命(みづはのめのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・神代五代神(かみよいつつよのかみ)をお祀りしています。
豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います。
また食物を司るという属性の類似性から、倉稲魂命(うかのみたま)・宇迦之御魂(うかのみたま)・保食神(うけもちのかみ)・大宜津比売命(おおげつひめのみこと)なども同神と考えられています。
『丹後風土記』に収載の「天女伝説」に登場する豊宇賀能売神も豊受大神の属性の神ですが、伊勢神宮外宮の主祭神の豊受大神とは別神で、豊宇賀能売神は御酒殿の守護神である「御酒殿神」として伊勢神宮の所管社に祀られています。
【磐座(いわくら)】
真名井神社本殿の裏手には、古代からの祭祀場である磐座が三カ所あります。磐座とは、簡単に云うと神の降臨場所或いは神の鎮座場所のことで、神を祀るための神聖な石や岩のことを云います。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「奥宮 眞名井神社は パワースポットの源(元伊勢 籠神社その弐)」
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元伊勢 天照大神 ~ 伝説と神話 ~
天橋立
神代の昔、国生みをなさった男神伊射奈岐命(いざなぎのみこと)が、地上の真名井原(奥宮真名井神社の鎮座地)の磐座(いわくら)に祀られていた女神伊射奈美命(いざなみのみこと)のもとに通うため、天から大きな梯子(はしご)を地上に立て懸け通われました。
ところが、伊射奈岐命が寝ていらっしゃる間に、一夜にして梯子が倒れてしまい、それが天橋立となったと伝えられています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「元伊勢 天照大神 ~ 伝説と神話 ~(籠神社 その参)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3422087
籠神社の例祭「葵祭」とは
籠神社の例祭は明治以降四月二十四日に行われる。
然し往古は四月の二の午の日に行われる古例であった。そして之の神事を葵祭又は葵神事を云い、又之の御神幸を御陰祭とも呼ぶ。
之は山城の一之宮である賀茂別雷神社並びに賀茂御祖神社で古来四月の二の午の日に御陰祭が行われ、又同月二の酉の日に葵祭が行われたのと軌を一にし、欽明天皇の御代に始まったと伝えられる。
當宮祭神を葵大神、又は青位大神とも申す古記も存する。之は御祭神の再誕に関する、所謂御生れの神事であるが、當神社に於ては更にその淵源をたどると、人皇四代懿徳天皇の御代四年甲午年に始まったと伝えられ、之の祭儀には豊受大神及び、彦火明命・彦火火出見命・丹波道主命に関する深秘がある。
賀茂社と異る所は、賀茂の祭礼では祭員が葵の葉を付けるが、當社では祭員等が冠に藤の花を挿すことが古来の例になっている点である。
このように籠神神社では藤の花が御祭神に深い由縁を持ち、その始めは藤祭と稱していたのであるが、欽明天皇の御代に始まった賀茂祭が葵祭と稱せられるに及んで、當神社でも葵祭と稱されるに至ったと伝えられる。
これは籠神社の元初の祭神豊受大神が水徳の大神であらせられ、与謝郡真名井原の天の真名井の水に因んだ本来の故事であったからである。
伊勢の祠官度会元長の神祇百首と云う和歌に、「藤花 花開ハ真名井ノ水ヲ結ブトテ藤岡山ハアカラメナセソ」とあり、註に「件ノ真名井ノ水ハ自天上降坐ス始ハ日向ノ高千穂ノ山ニ居置給フ其後、丹波与佐之宮ニ移シ居置タマフ、豊受大神勢州山田原ニ御遷幸仍彼水ヲ藤岡山ノ麓ニ居祝奉リ朝夕ノ大御饌料トナス」と見える。
これは藤の花と真名井の水のことを詠じた歌であるが、外に當神社の祭に藤の花を用いたことは、後拾遺和歌集に良暹法師の詠める歌に、「千歳経ん君が頭挿せる藤の花、松に懸れる心地こそすれ」とあるに依って知られている。
本宮に対して奥宮である真名井神社の例祭は、豊受大神が御鎮座された日の九月十五日であったが、明治以後新暦を用いるようになってからは十月十五日となった。
豊受大神はその御神格の中に月神としての一面も持っておられ、真名井神社の昔の例祭が、九月十五日と云う満月の日に行われた事もその反映と思われる。又その御神徳が数字の奇数に関わりがあり、一年の五節句(一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)、殊に後の七七・九九の二節句とは最も深い結びつきの神秘がある。
古来中国に於いて、奇数が陽とされ、偶数は、陰を表した事と照應する数字が、籠神社祭神秘伝の中に存するようである。
籠神社の藤祭りが始まったのは、懿徳天皇四年(皇紀一五四年)と伝えられるが、平成六年は皇紀二六五四年となり、数えて藤祭り発祥満二五〇〇年目に當り、五月二十二日を吉日と卜して、藤祭葵祭発祥二千五百年祭を氏子中の奉仕により、盛大に行った。
元伊勢籠神社神宝・宝物
籠神社宮司家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物を御紹介致します。
神宝
海部直伝世鏡 約2000年前の前漠鏡と後漠鏡が伝世されています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「二千五百年の歴史を伝える 丹後最古の祭『葵祭』と 元伊勢 籠神社の神宝・宝物(その四)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3459834
二つの『元伊勢』さま
【 寄稿文 】まんだら塾長 日原もとこ
三輪山は古来、大物主大神が鎮(しずまる)神の山として信仰され、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれています。
⚫電撃が走った参道
私が奈良県桜井市、大和一宮である大神神社(おおみわじんじゃ)に御縁を戴いて以来、いつの間にか45年目を迎えておりました。この間、前半は東京在住。後半は仕事の関係で山形にもねぐらを持ち、大半は山形で過ごしております。
大神神社 御神木と拝殿
山形から大神神社へのご参拝は以前と違って時間的にも距離的にも、日帰りは困難となり、なかなかの不便さが伴いますが、学会開催等が関西近辺の折には逃さず、チャンスをフル活用するのです。
若かりしころには神社仏閣の故事来歴や歴史には疎く、とんと無関心な私でしたが、何故か寺社参りだけは好きな質で、出張の度に色々と巡っておりました。
そんな中、初めて大神神社の二の鳥居をくぐったときです。参道へと足を踏み入れた途端、いきなり電撃が走りました。本当に髪の毛根が逆立ったと申しますか…此れぞ私が心から求めていた神様だ〜と思ってしまったのですね。異様でした。あの杉木立ちは当にミステリーゾーンです。
関西ではその存在を知らぬ者はいないとされるほど、古くから親しみを込めて「お三輪さん」と呼び、庶民に愛されてきた神様だと申されます。それは、東北でも原始から神は不可視の存在であり、美しい山に籠られるものという考え方が共通してあったようですが、そんな遺伝子を現代人の私達の中にも残っているのでしょうか。遠い祖先から受け継いだ原始の潜在意識が目覚めたようでした。ここで、大神神社公式サイトによる御由緒をご紹介致しましょう。
ー・ー当社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』も同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮しずまられたということです。(中略)
・・・ そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀まつられました。
ー・ー何故、私が大神神社に惹かれたかは、今更思い返せば、このご由緒にある三輪山を御神体と崇めた太古の人々のまっさらな魂に感応したからでした。つまり、そのアニミズム的精神に同期したのですね?
そんな中で、今回、最近の本サイト一連のシリーズ記事から特に、眼に焼き付いたキーワードがありました。それが「元伊勢」だったのです。
その話は本サイト編集長思い入れのある地、対馬の古神道や寺社建築にも詳しい(一社)対馬観光物産協会の西氏によるご寄稿がきっかけでした。
対馬はその位置関係から、古より文化の十字路です。日本側からは九州経由で、中国や朝鮮からは半島経由で多角的な交流がおこなわれ、日本への物資や技術、医術、書や美術品に至るあらゆる事柄において中継点でもあったので、古い源流の形が見られるところでもあります。
大神神社「三ツ鳥居(みつとりい)」
国重要文化財。神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ。本殿にかわるものとして神聖視されてきた。拝観は参集殿で申し込みを。
(祭典及び神社諸行事にて拝観いただけない場合がございます。)
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「二つの『元伊勢』さま 【 寄稿文 】まんだら塾長 日原もとこ」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3430816
あなたが、
まだ出会ったことのない飛騨国府(こくふ)
今を去ること千数百年前、
飛騨国府は斐陀国の中心地「国府」として栄えました。飛騨地域に息づく様々な伝統文化や民族は、この地が発祥とも言われています。
高山市国府町 飛騨地方のなかでも、特に高山盆地や古川・国府盆地では朝霧が発生しやすい。眼下には、霧が晴れた十三墓峠上り口の集落が見え、遠くかなたには、御嶽、乗鞍が望める。昔から「霧の出た日は、天気が良くなる」と言われている。
飛騨国府は、高山市の北側に位置し、歴史、民俗、自然などの日本の原風景が色濃く残る、ぬくもりと懐かしさに満ちた郷です。
亀塚古墳
明治28年4月、国府尋常高等小学校を建てるため、亀塚古墳が一部取り壊されることになり、初めての発掘がおこなわれました。その結果、西側の石室から 鉄(てつ)鎧(よろい)・鉄兜(てつかぶと)各1、鉄剣、鉄刀各数本、鉄(てつ)鏃(ぞく)およそ50本、北側の石室から 鉾(ほこ)1本、鉄刀1本出土しました。大正7年、運動場拡張工事のため、すべて取り壊されました。
兜、鎧の一式そろって出土するのは、東海地方では初めて。全国的に、数例しかない貴重なもの。
鉄の成分を分析した結果、朝鮮半島で作られたものと推定されます。
古墳から出土した甲冑は複数の人の手を経て、旧古川町教育委員会に持ち込まれ、保存処理が施されました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 あなたが、まだ出会ったことのない飛騨国府(こくふ)へ【高山市】(その1)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/47933871
令和5年の新年一般参賀でのおことば
天皇陛下
新年一般参賀 令和5年1月1日
おことば
新年おめでとうございます。
この3年近くにわたり、新型コロナウイルス感染症の感染拡大などによって、皆さんには、多くの御苦労があったことと思います。
3年の月日を経て、今日、こうして、皆さんと一緒に新年を祝うことを誠にうれしく思います。
いろいろ大変なこともあるかと思いますが、本年が、皆さんにとって、安らかで良い年となるよう願っています。
年の始めに当たり、我が国と世界の人々の幸せを祈ります。
京都御所 新春の展示(令和5年 干支「卯」)について
宮内庁京都事務所は、新年に、京都御所において、新春にふさわしい展示を行います。
今回は、令和5年の干支である卯にちなみ、桂離宮及び京都御所に伝わる兎の絵が画(えが)かれた建具を展示します。
今後も毎年、新春にふさわしいものを展示する予定との事です。
京都御所 新春の展示
(令和5年 干支「卯」
今回の展示作品
萩に兎 狩 野 派 筆 江 戸 時 代 初 期
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020新年一般参賀(令和5年1月2日)& 京都御所 新春の展示(令和5年 干支「卯」)ご案内
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/40377414
「北海道・北東北の縄文遺跡群」について
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、17の考古遺跡で構成される。 北東アジアにおいて長期間継続した採集・漁労・狩猟による定住の開始、発展、 成熟の過程及び精神文化の発達をよく示しており、農耕以前における人類の生活の在り方と、精緻で複雑な精神文化を顕著に示す物証である。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020「北海道・北東北の縄文遺跡群」のイコモス勧告「世界文化遺産登録」について(Ⅰ)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/17925180
「史跡」「名勝」「天然記念物」【文化庁】
国内では毎年約9,000件の発掘調査が実施されていますが、その成果を知る機会は極めて限られています。埋蔵文化財に親しみ、その保護の重要性に関する理解を深めることを目的としてスタートしたのが、この「発掘された日本列島展」です。
2021年度は、全国の発掘調査の成果を速報する「新発見考古速報」と地域研究の成果を展示する新企画「我がまちが誇る遺跡」に、特集展示「記念物100年」を加えた三部構成でご覧になれます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020「発掘された日本列島2021」展がスタート!「史跡」「名勝」「天然記念物」【文化庁】
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18152338
生命の神秘をたどる旅 沖縄 ガンガラーの谷へ
ガンガラーの谷は、数十万年前までは鍾乳洞だった場所が崩れてできた、豊かな自然が残る亜熱帯の森。約1万8000年前に生きていた「港川人」の居住区としての可能性も高く、今も発掘調査が行われ、「自然」や「命」に思いを巡らせながら体感していただくことをコンセプトにしています。谷の広さは約14500坪、歩行距離は約1㎞。足を踏み入れて初めて分かる、広大な太古の世界が広がっています。
あなたは何時しか太古へタイムスリップ
ガンガラーの谷に息づく豊かな自然や、考古学的・民族学的にも価値ある場を守るために、また、各地から訪れる旅人に多くの体験・体感を楽しんでいただくために、谷の”旅”には専任のガイドがついています。
見学や見物を超えて、いつしか谷の世界にのめり込む道のりは、まさに太古の世界へ引き戻されます。ガイドツアーならではの期待以上の収穫の多い体験にはきっと驚かされることでしょう。タイムスリップの所要時間は約1時間20分です。
日本人のルーツ?港川人
港川人とは、沖縄県南部の石灰岩採石場で1970年に化石人骨として発見された人類です。
発見された4体の内、港川人1号と言われる1体は、人骨は頭の先から足の先まで骨が揃い、保存状態が非常によく、現代の私たちに多くのことを教えてくれています。
彼らは、約2万年前に実際にこの地に生きていた、旧石器時代の人類。
身長はおおよそ150cm前後で、現代人に比べると小柄です。その骨格から、森の中を歩き回りながら狩猟採集の生活をしていたであろうと推測されています。
現在判明している最古の人類は、アフリカ中部で発見された約700万年前のチャド猿人。
その後、様々な人類が誕生しては消滅していきました。そして、私たちホモ・サピエンスは、今からおよそ20万年ほど前にアフリカで誕生し、その後、今から約6万年前に我々の祖先はアフリカを飛び出し、世界中へと旅立っていったと言われています。
では、私たちの祖先はどのような経路で日本に辿り着いたのでしょうか。
港川人の発見は、日本人のルーツを握る重要な手がかりとなっています。
この地沖縄で暮らしていた港川人が、海を越え日本本土に渡り、日本人の祖先となった可能性があります。
遠くアフリカから沖縄にたどり着いた先人たちは、この地沖縄を飛び出し、また北へと向かう旅を続けたのではないでしょうか?
ガンガラーの谷の遺跡発掘調査
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 生命の神秘をたどる旅とは ~「 あなたはもう行きましたか ⁉ 今、世界が注目する ガンガラーの谷へ」
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天地創造『国生みの島・淡路』
第一話 沼島(おのころ島)
わが国最古の歴史書『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」。 この壮大な天地創造の神話の中で最初に誕生する“特別な島”が淡路島である。 その背景には、新たな時代の幕開けを告げる金属器文化をもたらし、 後に塩づくりや巧みな航海術で畿内の王権や都の暮らしを支えた " 海人(あ ま)" と呼ばれる海の民の存在があった。 畿内の前面に浮かぶ瀬戸内最大の島は、 古代国家形成期の中枢を支えた“海人”の歴史を今に伝える島である。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「天地創造『国生みの島・淡路』 第一話 沼島(おのころ島)」
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天地創造『国生みの島・淡路』
自凝島神社(おのころ島神社)
由来
おのころ島神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。 古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。 二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て 先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されている。
おのころ島神社には伊弉諾命・伊弉冉命の二神がお祀りされており、縁結び、安産の神として知られている。また、この二神は天照大御神様の親神様である。 昭和57年3月に建立された、高さ21.7mの朱塗りの大鳥居が目を引きます。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「天地創造『国生みの島・淡路』 第二話 自凝島神社(おのころ島神社)」
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国生み神話の始まりの地
最初に生まれた島『淡路島』
国生みゆかりの地「淡路島」
日本で最古の歴史書『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」。そこには、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱の神様が生まれたばかりの混沌とした大地を天沼矛で「塩コオロコオロ」とかき回すと、矛先から滴り落ちた塩の雫が固まって「おのころ島」ができたと記されている。
おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊・伊弉冉尊は、日本列島の島を次々と生んでいく。その中で最初に生まれた島が淡路島である。
二柱の神様が沼矛で下界をかき回し、落ちた塩の雫からおのころ島が生まれた描写は、「海人(あま)」が生業とした塩づくりの様子に重なる。また、沼矛でかき回すことによって下界が渦巻くさまを記した場面は、海人が活躍した鳴門海峡の巨大な渦潮を想像させる。
現在も鳴門海峡では世界最大級の渦が巻き、島の内外には絵島や沼島、自凝島(おのころじま)神社などおのころ島の伝承地がいくつも点在する。また、国生み神話ゆかりの「えびす舞」を起源とする淡路人形浄瑠璃も地元の淡路人形座によって大切に伝承されてきました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「国生み神話の始まりの地 最初に生まれた島『淡路島』(第三話)」
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御食国として知られる豊かな食の宝庫 淡路島
「淡路島」の食文化を【特別編】としてご紹介いたします。
淡路島は古くより天皇家とも縁が深く、朝廷に数々の食材を献上してきた「御食国」としても知られています。
本号では『国生みの島・淡路』と密接に関係する畜産から野菜・水産など、食材の宝庫である淡路島の食文化をご紹介いたしましょう。
島のソウルフード
御食国(みけつくに)として朝廷に仕え、今もなお海•山の幸に恵まれる食材の宝庫、淡路島で2008年10月に誕生した「淡路島牛丼」。
淡路島名産「牛肉」「玉ねぎ」「米」と三拍子揃った自慢の食材を使用し、発売から1年で48万食、約6億9千万円を売り上げ、島内への波及効果も含めると約11億600万円の経済効果を収めるメガヒット商品となった。
各店の自由な工夫を認め、お客による選択の幅を広げて「食べ歩きの楽しみ」を生んだ淡路島牛丼は、地域食材を総合的に活用し経済的価値を創出しているとして教科書にも掲載、島内の生産者に勇気と希望を与えるとともに、B級グルメならぬA級グルメ“島のソウルフード”として人気を博している。
淡路島牛丼3つの誓いとは
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「御食国 淡路島の食文化 古代から継承する日本伝統のおもてなしの極意とは(特別編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3123000
神々集う出雲大社
〝しあわせの御縁〟を結ぶ神々のサミット
八百萬の神々と共に ~ 神 在 祭 ~
御神像 境内の入り口手前右手の出雲大社主祭神、大国主大神の「ムスビの御神像」。
左手には「御慈愛の御神像」をご覧になれます。
遙かな昔、大国主大神様は国づくり・人づくりをなされ、数限りない私たちの祖先に、より良い暮らしをとのさまざまな業(わざ)をお教えになりました。そして、この国は天照大御神様のご子孫が治められるようにと、国譲り(奉還)なさいました。
この時に、私たちの住んでいる目に見える顕事(あらわにごと)※の世界は天照大御神様が、私たちが授かり生かされるイノチ・タマシイのことなど人智の及ばない目に見えない神事(かみごと)の世界は大国主大神様が分担して治められることになりました。
※顕事(あらわにごと)とは 「書紀」では「顕露、此をば阿羅播弐(アラハニ)と云ふ」として名詞と解し、後世「あらはにのこと」と訓読したところから生じた語。ーコトバンクより
以来、目に見えない神事(かみごと)の世界を主宰(しゅさい)される大国主大神様は生きとし生けるものの幸栄(さきはえ)のために「むすび」の御霊力をお授けになっております。
その〝おはたらき〟により大国主大神様がお鎮まりになられる出雲大社には、1年に1度全国の神々がお集いになり、さまざまな「縁結」のお話し合いをなされます。
この「縁結」とは男女の縁はもちろんですが、さまざまな人と人、人と物などのあらゆるつながりである「むすび」を意味しています。大国主大神様を〝縁結の大神様〟 と申し上げるのも、神々の会議を主宰なさる大神様だからです。
この神議(かみはかり)は旧暦10月に行われますので、古くより出雲では旧暦10月のことを「神在(かみあり)月」と呼んでおります。
そこで、出雲大社では旧暦10月10日の夜に「神迎神事・神迎祭」、旧暦10月11日から17日までの1週間は「神在祭」を奉仕いたしております。
出雲大社“神々のお集い”は、令和元年11月6日夕刻~11月13日夕刻
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 神々集う出雲大社 ‘‘神在月” のお祭りとは〜〝しあわせの御縁〟を結ぶ神々のサミット〜
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7262895
日本発祥にまつわる日向神話の源
高千穂の天岩戸神社
宮崎県は,古事記や日本書紀に描かれた日本発祥にまつわる日向(ひゅう が)神話の舞台として,多くの伝説や伝統文化,史跡等が残されており,日本書紀 編さん1300年の節目となる平成32年までを「記紀編さん1300年記念事 業」として,様々なイベントやシンポジウム等を展開しているところです。
国民文化祭の「第 35 回国民文化祭・みやざき 2020(仮称)」は、オリンピック年に重り、象徴的なものになるでしようから、全国的に協力体制を布いて、かなり力を入れた行事にすべきでしょう!
恒例の開催期間は秋なので、 当にピッタリのチャンスだと思います。いうのもオリンピックの興奮醒めやらぬ時期、日本が恐らくいやが上にも世界的にもてなし文化が鳴り響いてる期間に当たり、日本伝統の原点をアッピール出来るからです!
今回は日向國・宮崎県から日向神話の原点ともいうべき高千穂の天岩戸神社をご紹介いたします。
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