ZIPANG-10 TOKIO 2020信州・佐久穂町に幕末の古民家をリノベした新スポット  火を囲んで旬を味わう 信州 発酵文化の知恵を織り交ぜ薪火イタリア料理店「自在堂」が開業

        信州・佐久穂町に幕末の古民家をリノベした新スポット 
       火を囲んで旬を味わう薪火イタリア料理店「自在堂」が開業

    ~薪火を囲み、千曲の恵を分かち合う~


「心はずむ街角をつくる」をビジョンに掲げる株式会社TANEBI(代表取締役:松村 和順/本社:長野県南佐久郡佐久穂町)は、長野県佐久穂町の古民家を改装した薪火イタリア料理レストラン「自在堂(じざいどう)」(所在地:長野県佐久穂町)を2025年4月12日(土)に開業した。


ご挨拶

『築150年を超える古民家と向き合いながら、じっくりと準備を重ねた一年。
多くの方とのご縁とあたたかなご支援によって、この日を迎えることができました。
言葉では言い尽くせぬ感謝を込めて、皆さまにご報告申し上げます。』


いらっしゃいませ。自在堂へようこそ❣

薪火イタリア料理店「自在堂」 外観


まず、リノベする前をご覧ください。

幕末の古民家です。「150年以上経つのですね⁉リノベ出来るんですか⁇(失礼!)」


リノベ後


Fantastico(ファンタスティコ)


コンセプトは「薪火を囲んで、千曲の恵みを分かち合う」


人は太古の昔より、火を囲み、温もりを分かち合い、食を分かち合い、知恵を分かち合ってきました。「自在堂」では、その営みに学びながら、薪火を囲む食の場を通じて、人と自然、人と人が響き合う豊かな時間を楽しんでいただきたいと考えています。


また、自在堂は日本有数の農産地を結ぶ、恵みの大動脈である千曲川に注目し、その流れが育んだ山菜や野菜、果物、川魚、ジビエ、信州の鶏・豚・牛・羊など──この地に“在るもの”を合わせて、“ここにしか無い”一皿に仕上げています。
食材は、できる限り魅力的な生産者の方々から直接仕入れをさせていただいております。


火のゆらぎと、五感にひらく食体験

自在堂の料理は、火とともにあります。イタリア・ピエモンテで伝統的な薪火料理を学んだシェフ徳田が、時には燃え上がる炎で、時には静かな熾火で、素材に合わせて火の温度と距離を調整し、食材の持ち味を最大限に引き出します。


また、信州の味噌や醤油、麹、酒粕、漬物といった発酵文化の知恵を織り交ぜ、イタリア料理の技法と土地の記憶が交差するような、一皿を仕上げていきます。


酒粕を練り込んだポルケッタ(イタリア伝統料理のローストポーク)、ブルーベリーソースが添えられたハンター直送の新鮮な鹿肉、季節野菜の姿焼き、佐久鯉のアクアパッツァなどなど。火の揺らぎに包まれながら五感をひらいて味わう、唯一無二の食体験をご提供いたします。


薪火


佐久鯉のアクアパッツァ


鹿肉の薪火焼き


■「心はずむ暮らし」の相棒に

レストランの他、店内にはナチュラルワインや自家製はちみつ、季節のジェラート、生活雑貨や古本が並ぶショップも併設。


味噌作りや干し柿づくりのワークショップ、千曲川流域の食材をテーマにしたイベントも開催していきます。“心はずむ暮らし”の相棒的存在を目指します。


■自在堂は「わが町自慢の舞台」

開業後、複数のお客様から「わが町自慢」ができるレストランができたとお声がけをいただきました。


地元の方々にとっては地域で採れた食材を使うレストランは、大切な人をもてなす最高の舞台となりえるのです。


また、生産者にとっては、愛情込めて育てた作物を誇りをもって伝える機会。旅人にとっては、その土地の風土や季節を五感で味わう機会になります。


自在堂は、そんな三者の思いが出会い、響き合い、未来につながる「わが町自慢の舞台」を目指していきます。


店内カウンター


「自在堂」全景


【店舗情報】

店名   : 自在堂(じざいどう)

所在地  : 長野県南佐久郡佐久穂町高野町136

営業時間 : ・ランチ  11:00~14:00(13時半LO) 水・木曜日定休

        セット 1,100円~

       ・ディナー 17:00~22:00 (20時半LO) 水曜日定休

        セット 3,300円~

       ・カフェ  14:00~17:00 水・木曜日定休

        ジェラート・玄米シフォンケーキ

       ・ショップ 11:00~17:00 水・木曜日定休

        ワイン・はちみつ・本・雑貨


お問い合わせ・ご予約

電話:0267-88-8754


【会社概要】

社名    :株式会社TANEBI

代表取締役 :松村 和順

所在地   :長野県南佐久郡佐久穂町3705

TANEBI CODE:受け継がれた種火に、新たな風を吹き入れ、今日の暮らしに灯す

VISION   :心はずむ街角をつくる

VALUE   :“在るもの“で、“無いもの“を。

       (1)“在るもの“を合わせる

       (2)古き良きを新たに

       (3)今、ここに、ただ一つ

       (4)ともに分かち合う

事業概要  :レストラン経営、養蜂、農産、イベント運営



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


信州 「小林一茶と信濃町」


一茶が少年時代を思いおこしてつくった俳句

我と来て 遊べや親の ない雀  一茶


俳諧寺(一茶俤堂)

明治43(1910)年、地元の一茶を慕う人々によって建てられたもので、間口3間(5.4m)、奥行2間半(4.5m)、萱葺の小さなお堂です。一茶の俳号にちなんで、俳諧寺(はいかいじ)と呼ばれるようになりました。


小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎と名乗りましたが、3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえます。


働き者の義母になじめなかった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々と替えながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。


一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。当初、い橋・菊明・亜堂ともなのりましたが、その後、一茶の俳号を用いるようになります。


29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書き残します。以降、30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。


一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしております。父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。


それには、一茶がふるさとに永住する過程では、決して安穏とした日々を過ごしたわけではなく、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続いていたのです。


一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計を立てました。貧乏と隣り合わせの暮らしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきます。


50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。


是がまあ 終のすみかか 雪五尺  一茶


※50才で故郷永住を決意し、雪の故郷にたどりついてよんだ句です。

小丸山には、ほかにも一茶顕彰にかかわった人達の句碑が建っています。

借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解したのです。


52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。


一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。


家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。


1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みましたが…この年の11月19日、65歳の生涯を閉じました。


北国街道巡り

古間宿 野尻宿 柏原宿


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020  我と来て 遊べや親の ない雀 「小林一茶と信濃町」
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/29198092



千曲川の源流「川上村」

日本最長河川の源流は川上村にある


真夏でも身をきるような冷水に、イワナ、ヤマメなどが棲息している。

川上村を東西に貫流し、長野盆地で犀川と合流、 新潟県に入り全長367キロメートル信濃川となる千曲川。


廻り目平キャンプ場は、奇岩群に囲まれた金峰渓谷の中にあります。 豊かな緑と、魚影の見える渓流、そして夜には満天の星がふりそそぎます。


川上村の沿革

■ 位置と地勢

川上村は長野県の最東端。山梨、埼玉、群馬の三県と隣接し、東西23km、南北16km、総面積209.61km。 北の村境から、東南の村境にかけて男山、天狗山、甲武信ヶ岳、国師ヶ岳、金峰山など秩父多摩甲斐国立公園の主峰がそびえ、村落の中心を東西に千曲川が流れています。全国的に名高い高原野菜の一大産地です。


■ 沿革

歴史は古く、旧石器時代の遺跡や縄文時代中期の大深山遺跡(国指定史跡)があり、中世には武田氏の勢力下で金を採掘、江戸時代には天領として幕府の直轄支 配を受けました。明治22年町村制施行により、川端下、梓山、秋山、居倉、大深山、原、御所平の7ヶ村と大明村の内樋沢を編入して川上村となり現在に至っています。


千曲川河畔(千曲市)戸倉上山田温泉

善光寺詣りの精進落としの湯として、戸倉上山田温泉は県内屈指の温泉街を形成してきた。

川面からの風を感じながらつけば小屋を覗いたり公園を散策したり、滔々たる流れに寄り添う千曲市には水のある心地よい風景が多い。市の中央をゆったりと流れる千曲川は、昔からこの地の生活と切り離せないものなのだ。


知る人ぞ知る温泉かけ流し「美肌の湯」

戸倉上山田温泉は、さまざまな薬効で知られる長野県屈指のいで湯「美肌の湯」の効果だけではなく、温泉療法医がすすめる名湯百選の温泉。


夏の盛りになれば川面をゆるがす威勢のいい太鼓の音やみこしの掛け声、いなせな芸妓御輿や木遣りで彩られる「戸倉上山田温泉夏まつり」大輸の花火が川をも焦がす「千曲川納涼煙火大会」など、元気のいい町衆が多い千曲市ではこの時期、日中から夜更けまで賑やかに盛り上がるのだ。


近隣には国の重要文化財を擁する寺社仏閣も数多くある。


千曲川と棚田

田毎の月

水を張ったいくつもの田んぼに風景が映り込む、春の奇跡のような姿。
平安時代の頃から姨捨は観月の名所として知られ、万葉集にも詠まれた場所。

江戸時代から明治にかけて開田が大きく進むにつれ、小さな棚田に映りこむ月影が一層注目されるようになった。

斜面に並ぶ不揃いな形の田んぼそれぞれに月が移りゆくことを「田毎の月」と言い表し、嫉捨の田毎の月は松尾芭蕉や小林一茶など多くの俳人が訪れ、歌句の題材にもなっている。


川上村は、レタス生産量日本一の野菜王国


秘境の川上犬

川上犬は長野県南佐久郡川上村原産の和犬です。「秩父山塊のヤマイヌが、猟師によって飼い慣らされた」との言い伝えが残り、現在でも、その野性的な要素が多々残る魅力あふれる犬です。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「川上村『村民憲章』 千曲川源流の村をたずねて・・・甲武信ユネスコエコパーク登録推薦決まる(埼玉県、東京都、山梨県、長野県)その弐」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3834312/



豪雪地帯の特色を活かし新ブランド『信州 雪まち野菜』


長野県上水内郡信濃町は、1月から2月の厳寒期ともなると2mを越える降雪を記録する地域です。1日の最深積雪が1mを越えることもあることから全国有数の豪雪地帯として知られ、国から特別豪雪地帯に指定されています。


そのため、冬期は除雪や雪下ろしをはじめとしたさまざまな雪対策が必要です。雪のある暮らしは大変なこともありますが、雪は豊かさをもたらしてくれる自然の恵みでもあります。


※雪中野菜 とは

雪国の人々が冬の貴重な食糧を保存するために行ってきた昔ながらの野菜の保存方法です。深い雪の中で保存された野菜は凍結から身を守ろうと、甘くなります。厳しい寒さに耐える、そんな野菜たちの強さが雪中野菜の凝縮された美味しさの秘密です。


長野県信濃町は豪雪地帯のため、冬の農作物の栽培ができず、農家の収入確保は長年の課題となっていました。そこで、町内の農家と連携し雪を活用した新たなブランド『雪まち野菜』を立ち上げました。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 小林一茶 雪の故郷「信濃町」豪雪地帯の特色を活かし新ブランド『信州 雪まち野菜』
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/29698472



郷愁の情景が今なお息づく悠久のふるさと

信濃平の銀世界に広がる「かまくらの里」


長野県のもっとも北に位置する飯山市は、唱歌「ふるさと」「朧月夜」などにも歌い継がれてきたような、郷愁の情景が今なお息づく悠久のふるさとです。


豊かな自然風土のなかで独特の文化や歴史、伝統と人情が育まれ、趣深い寺の町並みや奥深く続く森や高原、四季の彩りをたたえる農作物など、土地土地にさまざまな魅力あふれています。


平成27年3月に北陸新幹線・長野~金沢間が開通し、「飯山駅」が誕生しました。全国各地からのアクセスがぐっと便利になりました。 


信濃平の銀世界に広がる「かまくらの里」 原生のブナが多く残り、希少なヒメギフチョウとギフチョウの混棲地として山全体が国の天然記念物に指定されている黒岩山。


島崎藤村の『千曲川のスケッチ』にも自然豊かな山として描かれているほか、戦国時代には、その眺望の良さから上杉謙信方が戦いの合図であるのろしを上げたとされています。


その黒岩山の麓に広がる信濃平地区は、広大な水田が広がる飯山屈指の米どころ。
冬場は豊富な積雪が水田を覆い尽くし、白銀の世界を創り上げます。その雪を使い、地元の人々によって作られるのが、大小数十基もの「かまくら」。


1月下旬から約1カ月もの間、「かまくらの里」として所狭しとかまくらが並び、中央には本格的な鳥居を構えた「かまくら神社」も見られる非日常の光景は、いまや飯山の冬の風物詩として多くの観光客に親しまれています。


かまくらのなかには8人もの人が入れる大きなものもあり、「レストランかまくら村」として食事を楽しむことも。また、週末の夜はライトアップもされ、幻想的な光景を見せてくれます。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「郷愁の情景が今なお息づく悠久のふるさと!長野県最北の地 ” かまくらの里 "」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1453848



源義経も眺めたであろう、栄村秋山郷の大自然


平安時代の学者で政治家であった菅原道真は「学問の神様」としても知られる。その死後菅原道真を祭り、できたのが京都にある北野天満宮。この流れをくむ神社。開基は994年といわれ、菅原道真を祭った天満宮は全国各地にあるが、栄村の北野天満宮はこの地方唯一のもので、合格祈願の神社として人気があります。8月24日・北野天満宮祭礼 夜店が並ぶなど賑わいます。


古文書によると、この地の北野天満宮の創立は正暦4年(993)にさかのぼり、この年、北野に勧請されたのが始まりとされています。


二百余年後の文治3年(1190)には、源義経が当地を通過する際に、山上の地がすばらしい
景色であるとしてそこに石柱を建て、北野神を祀って去ったと伝えられています。


その後、文明8年(1467)に社殿を建立し、元禄8年(1694)には御本社と拝殿を再建、文化5年(1808)には御本殿向拝を取り付けたと伝えられています。現在は、3月25日に御戸開き、8月24日に前夜祭、8月25日に大祭、10月25日に御戸閉めが行われています。


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「源義経も驚き感動!栄村秋山郷の大自然の景観美と栄村の人々(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3943480



食と農の未来について考える
東三河FOOD DAYSが初開催!


食と農の未来について考える東三河FOOD DAYSが初開催されました!

中部ガス不動産は「農・食を軸とした地域の活性化」を目的とした「東三河フードバレー構想」を推進しています。


愛知県東部に位置する東三河地域は、中核市の豊橋市を中心に8市町村で構成されています。東三河は豊川用水や恵まれた日照時間等を理由に1,500億円余りの農業産出額を誇る、全国有数の農業地帯です。


日本中から食・農のキーパーソンが東三河に集まり、同時並行で様々なコンテンツが提供された本イベント。


この記事では開催の背景から各コンテンツの様子をご紹介します。


開催背景

中部ガス不動産は地域のプレイヤーと共に「農・食を軸とした地域の活性化」を目的とした「東三河フードバレー構想」を推進しており、東三河がフードクリエイターの聖地となるべく、次世代を担うフードクリエイターの発掘や育成を行っています。


「東三河FOOD DAYS」では、地域内外問わず、食・農にまつわるプレイヤーやコンテンツを集約し、共に語らい、繋がり、結果として東三河の食・農の魅力をもっと多くの人に知ってほしいと考え開催されました。


コンテンツ紹介

東三河FOOD DAYSはDAY1(7月28日(日))とDAY2(7月29日(月))の2日間で開催され、合計16のコンテンツが執り行われました。


DAY1は会場を emCAMPUS EAST・豊橋市まちなか広場とし、ご家族でも楽しめるような
コンテンツが提供され、

DAY2は会場をホテルアークリッシュ豊橋とし、ビジネス寄りなコンテンツが展開されました。


DAY1

【CLUB RED×emCAMPUS FOOD】

東三河を能登のシェフが彩る みんなのお子様ランチ


DAY2

【豊橋駅前再開発20周年記念シンポジウム】


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-9 TOKIO 2020 食と農の未来について考える ~東三河FOOD DAYS~初開催!
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/55191965



日本の歴史や文化の理解を深める【文化庁】


Living Historyとは

Living History(生きた歴史体感プログラム)促進事業のことを意味しております。

それらは史跡や重要文化財を探訪する方々が、合わせて往時のくらしや祭事などを体験し、日本の文化を理解・体感できるように、 歴史的背景に基づいた復元行事を企画したり、展示・体験事業などへの取組みです。


日本及び訪日外国人等の観光客が、各地の文化財等の見学に訪れて、日本の歴史や文化の理解を深めることは、日本文化の魅力度向上及びインバウンドの促進に極めて重要なことですね。


しかしながら、此れまでは必ずしも観光客にとって分かりやすい形で公開されているとは言えず、本来、それらの価値と魅力が十分に発揮されていませんでした。


そのため、国指定・選定文化財において、史料や研究資料等に基づき、往時を再現した復元行事・歴史体験事業の実施、及び当時の調度品や衣装の整備・展示等を通じて歴史的な出来事や当時の生活を再現するコンテンツを開発することにより、生きた歴史の体感・体験を通じて文化財の理解を促進するとともに、文化財に新たな付加価値を付与します。


文化財に新たな付加価値を付与し、より魅力的なものとする「Living History(生きた歴史体感プログラム)促進事業」の取組を通じ、文化財の活用による地域活性化の好循環を図ります。


王朝文化体感プログラム

芸術を生み出す縄文文化体感プログラム

湯涌江戸村の文化財を活かした歴史体感プログラム 

高岡市の文化財を活かした歴史体感プログラム

津和野藩校養老館を活かした歴史体感プログラム

日本遺産の構成文化財を活かした歴史体感プログラム


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 【文化庁】~Living History~(生きた歴史体感プログラム)とは
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/23526108



※現在、2600件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
https://tokyo2020-10.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


0コメント

  • 1000 / 1000