ZIPANG-10 TOKIO 2020 多気町とRVパークVISON、ダイレクトカーズ、ヴィソン多気の3社未来へとつなぐ地域社会をめざし『地域災害協定』を締結

多気町とRVパークVISON、ダイレクトカーズ、ヴィソン多気の3社未来へとつなぐ地域社会をめざし『地域災害協定』を締結



多気町とRVパークVISON、株式会社ダイレクトカーズ、及びヴィソン多気株式会社は「地域災害協定」を締結いたします。多気町内で大規模な地震や風水害などの災害時に、3社が車中泊施設及びキャンピングカーを提供いたします。つきましては、3月10日(月)に「地域災害協定」の締結式を開催いたします。


災害時における車中泊施設及びキャンピングカーの提供に関する協定書 締結式

【日時】3月10日(月)13時30分~

【会場】RVパークVISON(三重県多気郡多気町ヴィソン672番1本草1)

【参加者】

多気町  久保 行央 町長

RVパークVISON  佐藤 隆 代表(有限会社キットカッター代表取締役)

株式会社ダイレクトカーズ  百田 雅人 代表取締役

ヴィソン多気株式会社  立花 哲也 代表取締役


■協定の目的

・大規模災害時における迅速かつ効果的な災害対応の実現

・地域の防災力強化と住民の安全確保

・官民連携による持続可能な災害時支援体制の構築

・地域コミュニティの強靭化と次世代への継承


■協定の主な内容

(1) RVパークVISONとヴィソン多気株式会社による車中泊施設の提供

(2) 株式会社ダイレクトカーズによるキャンピングカーの提供

(3) 災害支援職員等の宿泊支援

(4) 救護・救援活動のための車両提供

(5) 平常時からの情報共有と協力体制の構築


■期待される効果

・災害時の迅速な避難所確保と多様な避難環境の提供

・被災者支援の質的向上

・救援活動の効率化

・地域全体の防災意識の向上

・世代を超えた地域の絆の強化


協定締結企業の概要

■RVパーク VISON

代表:佐藤 隆(有限会社キットカッター代表取締役) 所在地:三重県多気郡多気町「VISON」内

国内最大級のRVパーク。24時間利用可能なトイレ、ダンプステーション、電源設備、フリーWi-Fiを完備

より快適な車中泊環境を提供



■株式会社ダイレクトカーズ

代表取締役:百田 雅人 所在地:三重県鈴鹿市磯山3丁目4-1592

一般社団法人 日本RV協会会員

キャンピングカー、車中泊、アウトドア、トランポ
カスタム車の製造、企画、設計、開発販売

三重県鈴鹿市に常時70台以上のキャンピングカーを展示



<災害協定の実績>

2021年12月:神奈川県厚木市

2022年2月:三重県鈴鹿市

2022年3月:神奈川県藤沢市

2022年5月:三重県津市

2023年5月:三重県松阪市

2024年1月:能登半島地震被災地へのキャンピングカー貸出し


■ヴィソン多気株式会社

代表:立花 哲也 所在地:三重県多気郡多気町672番1



VISON [ヴィソン] 

東京ドーム24個分(約119ha)の広大な敷地に、四季を感じるホテルや日本最大級の産直市場、薬草で有名な多気町にちなんだ薬草湯、和食の食材メーカーによる体験型店舗、有名料理人が手掛ける地域食材を活かした飲食店舗、オーガニック農園など、9つのエリアに約70店舗が出店する複合商業施設です。



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

VISON [ヴィソン]

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


VISON [ヴィソン] 

「本草」エリア・「木育」エリア 合計7店舗が 6月 5日 に オープン!

様々な薬草湯で癒される本草湯 や木と森に触れて心を育てる kiondなど



三重大学とロート製薬の共同研究により実現した「本草エリア」には、
 VISON独自の本草七十二候 (ほんぞうしちじゅうにこう)*に基づいた72種類の薬草湯を1年通して楽める「本草湯」、その他、世界基準のウェルネスメニューが揃うサロン
「Wellness Salon by TEUZUSIKI」、ミネラルミスト浴 「 Le Furo」 、本草茶を楽しめる
カフェ「本草研究所 RINNE」、 日本一予約が取れない日本料理店のオーナー・ 笠原将弘氏が新たに手がける「笠庵 賛否両論」などが開業します。


「木育エリア」では、木や森をテーマにした体験・体感型施設「kiond」がオープン 。木材から家具やアート作品を作るワークショップや焚火起こしなどが体験できる森のアクティビティ、国産杉や尾鷲ヒノキを使用したプレイグラウンド、木や森、アウトドアの専門書や絵本が自由に読めるライブラリーカフェなどを併設しています。


*四季折々の気候を表す七十二候を、多気の行事や食べ物を基にVISONオリジナルで再構築したもの


《参考》

本草学

本草学(ほんぞうがく)は、中国および東アジアで発達した医薬に関する学問である。


概要

秦漢以後、六朝にかけて、神仙思想※が発達して方術※が盛んになると、神仙家の薬と医家の薬とを区分する必要性が生まれた。その頃に、方術の薬を指すものとして、「本草」という用語が生まれたとされる。


その意は、「草石の性に本づくもの」であるという。よって、単に薬草のみを指して本草という訳ではない。「本草」の語の文献上の初見は、『漢書』巻25「郊祀志下[1]」であり、紀元前31年に条に「候神方士使者副佐 本草待詔七十餘人皆歸家」とあり、方士ら神仙を説く者たちと共に、本草待詔70余人を免職にしたという記事が見える。但し、『漢書』巻30「芸文志[2]」には、「本草」という名を持つ書名は見られない。


梁の陶弘景(456年-536年)は、『神農本草経』に補注を加えて、730種の薬名を記録し、本草学の基礎を築いた。後、659年になって『新修本草』が勅撰され、陶弘景の書に修改が加えられた。


宋代には、974年に『開宝本草』、1060年に『嘉祐補註本草』(掌禹錫)、1061年に『図経本草』(蘇頌)が成立した。また、唐慎微は1082年に、掌氏と蘇氏の2書を合揉して『証類本草』を撰し、処方を加えた。


1108年の『大観本草』は唐氏の書に『重広本草』(1092年、陳承)の説を補足した。さらに1116年の『政和本草』では、『大観本草』の図を縮微して利用の便を図った。また同年には、『本草衍義』が成立している。


1159年の『紹興本草』は、『本草衍義』と同様、実用性を重視して編纂された。 明代の1596年に李時珍が著わした『本草綱目』は、本草学の集大成であり、1871種の薬種を収録している。日本の本草学(博物学)にも大きな影響を与えた。


※神仙思想

仙人(せんにん)また神仙(しんせん)、真人(しんじん) 、仙女(せんにょ)は、中国本来の神々(仏教を除く)や修行後、神に近い存在になった者たちの総称。神仙は神人と仙人とを結合した語とされる。


仙人は仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得たもの。本来、仙は僊と書き、『史記』封禅書では僊人、『漢書』芸文志では神僊と記される。もともと神である神仙たちは、仙境ではなく、天界や天宮等の神話的な場所に住み暮らし、地上の山川草木・人間福禍を支配して管理す。


仙人や神仙はいずれも自分の体内の陰と陽を完全調和して、道教の不滅の真理を悟った。彼等は道教の道(タオ)を身に着けて、その神髄を完全再現することができる。基本的に仙人という言葉は男性に指すが、女性の仙人もかなりいる。


※方術

方士(ほうし)とは、紀元前3世紀から西暦5世紀にかけての中国において、瞑想、占い、気功、錬丹術、静坐などの方術によって不老長寿、尸解(中国語版)(羽化)を成し遂げようとした修行者である。


神仙を目指した神仙方士のほか政府に仕官する方士もいたが[1]、道教の成立と共に道士と呼ばれるようになった。 異術を修め、鬼神に通じ、死生の解脱の道を知ろうとした。古代中国医学、化学、天文学、軍事を発展させた。


神怪小説において様々な活躍を行い、人々を苦しみから解放するため、医術を用い、侠客を導き、社会貢献を行った。また一部の方士は自らの利益のために、他人をだまし、社会を混乱させた。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~古今折衷~ 日本最大級の商業リゾート施設 VISON [ヴィソン ] 第二期 開業 !(Ⅲ)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18097828



アーツ・アンド・クラフツとデザイン

ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで


ジョン・ウォルシュ・ウォルシュ《カットグラスの扇型花器》Photo © Brain Trust Inc. 


人間性の復興を唱えるアーツアンドクラフツ運動とは

急速な工業化による経済成長で、都市部は過密になり、周辺へのスプロール現象がおこり、平和な田園風景も失われつつあります。そして一段落してみると、増え続けてきた住宅にも、質が求められる時代になってきました。


これは、産業革命を早めに成し遂げたイギリスの、19世紀の状況でもありました。 当時の文化人であったジョン・ラスキン(1819~1900)は、こうした工業化による都市や建築の変貌を鋭く批判し、中世に範を求め、芸術や社会に人間性の回復を唱えました。


これを受けて、美術、工芸に手づくりの良さを取り戻そうと、実践したのがウイリアム・モリス(1834~1896)らのアーツアンドクラフツ運動です。


モリスは、裕福な家庭に生まれ、幼い頃から、歴史小説等の読書が好きで、オクスフォード大学へ進学してからは、ラスキンらの書物に影響され、芸術や社会改革への関心が高まっていきました。


そして、画家、建築家、工芸家等、志を同じくする若者が集まり、共同して活動するようになったのです。1859年、美少女モデルのジェインと結婚する際に、仲間で協力し、理想の家づくりを目指して建てたのがレッドハウスでした。


ロンドン郊外の果樹園つきの牧場地を買い取り、家のプランはL字形で、外壁は急勾配の屋根と外壁で、素朴な造りとなっています。ここでは友人のフィリップ・ウェブ(1831~1915)が設計を担当し、家具デザインから、ガラス食器やキャンドル・スタンドまでをもデザインし、バーン・ジョーンズがステンドグラスと暖炉廻りのタイルを、そして、モリス自身も、刺繍の壁掛け等のデザインをしました。


この後、1861年、モリス・マーシャル&フォークナー商会が設立され、装飾デザイン、壁紙、ステンド・グラス、テキスタイル、カーペット、家具等、中世のクラフツマン・シップを取り戻すべく、製作販売が行われていったのです。


そして「建築のあらゆる仕事は協同の仕事である」というモリスの言葉が示すように、各分野のアートとクラフトの統合である建築づくりを目指したのでした。


フランク・ロイド・ライト「旧帝国ホテル」


(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 アーツ・アンド・クラフツ と デザイン(11月5日迄開催)【そごう美術館】
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/48936782



※現在、2600件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
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ZIPANG-10 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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