富山県は、中部地方にある越中国として知られる人口約100万人の県です。よく知られる言葉、「越中富山の薬売り」の伝統から、医薬品の製造が盛んです。また、自然豊かな環境で、おいしい農産物が多く、特にホタルイカについて日本一の群泳海域があり、その旬の時期には非常に旨みの強いホタルイカが味わえ、ほかの時期でも天日干しや沖漬けなどの加工品で舌鼓を打つことができます。
これに関係して滑川市には、ホタルイカの生態や漁を学べる博物館のほたるいかミュージアムもあります。
放水する黒部ダム
観光地としては、富山県から長野県に山を越えて通り抜ける立山黒部アルペンルートなどで有名な立山連峰があり、雄山や剱岳などを目的とした登山客はもちろん、山々が織りなす美しい風景を見るため、多くの観光客で賑わいます。
アルペンルートのなかの黒部ダムは、標高3,000メートルを超える雄大な山あいの自然に囲まれたなかに巨大で荘厳な姿で鎮座し、そこから放流される水は巨大な滝となり、辺りの自然と相まって一見の価値がある風景を作り出しています。
今回はその富山県の姥神信仰を紹介します。
・芦峅寺閻魔堂
立山曼荼羅図に描かれた布橋灌頂会の部分
その10で紹介しましたが、富山県の立山周辺は姥神像を祀ったおんば様信仰が盛んだった地域であり、布橋灌頂会などの儀式が行われる芦峅寺、閻魔堂、姥堂跡のある場所です。私はその大規模な信仰形態などから、全国に伝わる姥神信仰はこの富山県の立山周辺が発祥ではないかと考えています。
現在の閻魔堂内
閻魔堂に増えた姥神像(向かって左側)
閻魔堂に増えた姥神像(向かって右側)
その芦峅寺の閻魔堂に、その10で紹介した時よりもさらに8体の姥神像が増えました。これは、北陸大学の福江教授が、同県黒部市で見つけられたものを手に入れ、閻魔堂に安置したものです。
新たな8体の姥神像も、もともとは立山の姥堂にあった像ではないかと推察され、もともと閻魔堂にある他の像と同じく、本尊―姥神型として祀られています。
・魚津市光学坊
姥神像のある大師堂
光学院の姥神像
同県魚津市に、光学坊があり、その宝物庫である大師堂に姥神像があります。顔の上半分や首の部分の境目がはっきりと見えるため、何回か修復した跡かもしれません。
この像はもとは、現在はありませんが実相院という寺のものらしく、魚津町史の記録によると、その実相院には芦峅寺から伝来した姥尊像が数十体あったようです。このことから、その中の1体が光学坊に伝わり残されていたということになります。
現在は他の仏像と一緒に並べてありますが、実相院の記録には、その霊験が著しく、遠くから参拝する者も多かったとありますので、本尊―姥神型として祀られていたと言えます。
次回に続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
参考(関連情報)
(その10)最古の姥神像「立山の地母神おんばさま」
日本三霊山のひとつ立山は大汝山、雄山、富士の折立の3峰の総称。
雄山頂上の神社「本地仏は阿弥陀如来」
姥神(うばがみ)とは
姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。 奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。
なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。
亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その10)最古の姥神像「立山の地母神おんばさま」・・・ 【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6988475
※現在、2500件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。
ZIPANG-10 TOKIO 2020 (VOL-10)
https://tokyo2020-10.themedia.jp/
ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/
ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
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