ZIPANG-10 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その71)日本各地の姥神たち・新潟県阿賀野市【寄稿文】廣谷知行

日本各地の姥神たち・新潟県阿賀野市

新潟県新潟市の東隣にある阿賀野市は、ラムサール条約登録湿地であり白鳥の飛来地としても有名な瓢湖、多くの登山客が訪れる五頭山、出湯・村杉・今板の3つの温泉地からなる五頭温泉郷などの観光スポットがある、人口約4万人の市です。酪農なども盛んで、同市の旧安田町にちなんで名づけられたヤスダヨーグルトの産地であり、工場近くのY&Yガーデンでは同社の乳製品を使ったスイーツが味わえます。


出湯温泉の羽黒優姥尊の堂に奉納されている姥神像


その13、14で同市の出湯温泉にある姥神信仰として、羽黒優婆尊や華報寺などを取り上げましたが、同市内には他にも姥神像を祀っている場所がありますので今回紹介したいと思います。


・安穏寺


安穏寺の姥神像


新潟県阿賀野市小浮に、天正元(1573)年に曹洞宗として開山した安穏寺があります。しかし、もともとは真言宗の寺として以前からあったようで、その歴史はさらに古いようです。その本堂内に本尊の釈迦如来とともに姥神像があります。もともと羽黒優婆尊、華報寺の姥神とセットだった3体のうちのひとつとされ、作られてから千年程度経過しているとされています。現在、この姥神像を中心とした祭事は行われていませんが、同寺本尊の隣にあるため、本尊―姥神型として祀られていると言えます。


・光明寺


光明寺の優婆尊堂


同市里に、寛永元(1624)年創立の光明寺があります。その境内に優婆尊堂があり、羽黒優婆尊と姉妹の木から彫ったとされる姥神像が置かれています。姥神像のみが堂内にありますので、本尊―姥神型として祀られていると言えます。


・長福寺

長福寺薬師堂にある姥神像


長福寺の姥神像背中側ある穴


長福寺姥神像の胎内仏の姥神 


同市中島町に、弘治2(1556)年開山とされる長福寺があります。その境内に薬師堂があり、そのなかに姥神像があります。ここの薬師堂は毎月7日が縁日であり、5月と11月には大祭も催されています。


この寺の姥神像は、背中側に胎内仏を入れる穴があります。出湯温泉の羽黒優婆尊の本当の姿は大日如来とされ、その22で紹介しました秋田県の光明寺の姥神像では、胎内仏として大日如来が入っていますので、この中にも同じ大日如来像があるのかと思いきや、マトリョーシカのように出てきたのは小さい姥神像でした。


同寺は、姥神信仰の盛んな出湯温泉華報寺の7世が開いたとされていますので、華報寺の姥神の分霊として安置されたのかもしれません。


薬師如来と一緒ではありますが、堂のなかの如来像の横にありますので、本尊―姥神型として祀られていると考えられます。


次回に続く・・・


寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…(その13)


姥神(うばがみ)とは

姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。 奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。


幕の下ろされた厨子に祀られています


この出湯温泉の羽黒地区に優婆堂があり、現在も信仰を集めています。中にある姥神像は基本的に秘仏であり、常には公開していません。しかし毎月20日にご祈祷するときに公開しています。特に安産にご利益があるとされ、この堂から少し先にある高徳寺が堂の管理をしています。


その縁起では、天平5(734)年に行基が出湯村を訪れ、霊木で仏像を彫ろうとしたとき、「我は三途河に住む懸衣婆なり、極悪憤怒の表情をしているが、内は慈愛に満ち悲しみの涙を流している。自分の姿を彫って民を救え。」との霊感を受け、毘盧舎那仏の化身と思いその姿を彫ったとされます。


毘盧舎那仏は大日如来のインド名、ビローチャナのことです。つまり、奪衣婆(懸衣婆となっていますが、奪衣婆のこと)の正体は大日如来だとしています。


その後、天正14(1586)年、華報寺の和尚により、高徳寺を開いて現在の場所に堂が建てられたといいます。


また、江戸時代後期(文政4(1821)年~天保12(1841)年)、肥前国平戸藩(長崎県)松浦静山によって書かれた『甲子夜話』六十二巻六に、三途河姥大像(越後国)とあり、「越後国蒲原郡デヨと云処に、十三間四面の広堂あり。その中物なくして、中央に大像あり(長け人の立るが如し)。三途河の姥子にして独坐なり。」とあり、最後に「然ればデヨは出湯の訛ならん。」と締めくくられています。


この文では、長身の人が立ったぐらいの大きさの、坐った状態の姥像があるとされていますが、現在の像はそこまで大きくはないようです。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その13)新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…【寄稿文】廣谷知行

https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7504639



出湯温泉の姥神信仰とは(その14)


五頭山華報寺 お姿の描かれたお守りです


前回に引き続き、新潟県の出湯温泉からもう少し紹介したいと思います。

出湯温泉の中心となる五頭山華報寺では、寺内に姥神像を祀っており、境内に石造の姥神像も祀られています。行基が霊木を彫って作った姥神像は全部で4体あったらしく、その内の1体が華報寺のものとされています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その14)新潟五頭山麓 羽黒地区 「出湯温泉の姥神信仰とは」…【寄稿文】廣谷知行

https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7661203



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ZIPANG-10 TOKIO 2020

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